ボーイ・ミーツ・ガール【広央と“姫”の出会い】
葉純(はすみ)
第1話 総代の息子・広央
(プロローグ)
何も映していないその瞳は、まるで黒い闇のようだった。
完全に感情の無い
彼女はその虚無の瞳を哀しそうに見つめた。
「ちーちゃん…」
呼びかけるが、何の反応もない。
その顔はまるで仮面が張りついているかのように、生気がない。
完全に無力な存在だ。
彼女は堪えきれず、細い腕でただ“ちーちゃん”を強く抱きしめた。
「待っててね、私が必ず助けてあげるから」
◇◇◇
明治より数えて150年、日本は軍事独裁政権が支配している。
軍の元に法と秩序と教育と思想が決められ、軍の元に政治と経済と生活がある。
この国の人間の人生は、生まれ落ちた時から軍の洗礼を受け、死する時にも軍の影響下にある。
その日本で唯一、軍から独立を保っている場所がある。
それがここ“
海に浮かぶ陸の孤島。
首都から遠く離れたこの島に、今日も涼やかな自由の汐風が吹いている。
その神之島の、中心地からやや外れ。
簡素なマンションの、ワンルームの一室。
「いや、ほんとにゴメン…和希!お邪魔をするつもりはなかったんだ…!」
頭をこすり付けるように土下座して、ひたすら謝っているこの男。
名前を
当年23歳、中肉中背のこれといってあまり特徴のないこの人物。
実は優れた性、優秀種別と言われるα《アルファ》なのだ。
そしてなんと、この神之島の総代の息子でもある。
しかしそれだけ揃っていながら、優柔不断な性質のせいなのか、凡庸たる外貌のせいなのか、威厳を微塵も感じさせないオーラ無しの男なのであった。
「そんなヒロ兄、顔上げて!なんでもないから!」
こちらの青年は
広央の弟分で、20
この和希は劣った性、と言われるΩ《オメガ》だ。
オメガは外貌が特徴的で、色素の薄い白い肌、白い髪をしている。
和希もその例に漏れず白い肌、白い髪、色素の薄い瞳をしており、その上に大変な美男子なので、神秘的なまでに美しい容貌をしている。
問題はその美男子の和希が、腰にバスタオルを巻いただけの姿である事。
肌は陶器のように艶があって、鍛えられた筋肉はしなやかだ。
なぜそんなあだっぽい姿でいるかというと…
「じゃ!あたし帰るから!!ふざけんな!死ね!!」
そう叫びながら、濡れている髪を振り乱した美女が部屋から出ていった。
マンション中に響き渡ったであろう、玄関ドアをバン!と乱暴に閉じる音。
ハイヒールのカツカツ立てる音が、次第に遠ざかって行く。
広央が和希の住むワンルームを訪れたのは、喫緊で頼みごとがあったからだった。
インターホンを押したが反応が無い。
在宅らしいのに(電気が付いてる)反応なし。
時間がない。合鍵を持っているので勝手に中に入る。
浴室から物音が聞こえてきた。
「おーい、和希。悪いけど…」
風呂場のドアを開けると。
浴槽には裸の和希、とその向かい側には裸の美女が。
「あれ、ヒロ兄どうしたの?」
抱き着いている美女を乱雑に振り払い、さっさと腰にタオルだけ巻いて広央の元に駆け寄る。
この仕打ちに美女は当然怒り、先ほどの暴言となった訳だった。
「ほんと悪かったな…あの子彼女か?名前なんて言うんだ?」
「名前?…いや知らない。昨日の夜知り合ったばかりだから」
「あ、そう…」
年下の弟分なのに、どうも引け目を感じてしまう広央だった。
この手の事に関しては、どれくらい“先輩”な事やら…
「それよりヒロ兄、頼みって?」
「父さんに呼ばれた」
“父さん”という単語に、和希の顔に緊張が走る。
「総代が…?何かあるの?」
「いや分からん!あの人が何考えてるのかは一切分からんからね~、それで頼まれて欲しいんだけど…」
和希の心配をよそに、広央は両手を合わせて頼み込む。
「イサの事なんだけど…」
その名を聞いた途端、和希の綺麗な顔が悲しみと怒りで歪んだ。
広央に悟られないよう、咄嗟に下を向いたが。
同じオメガである女、イサ。
気に食わない女。
広央の頼みというのは、イサの面倒を数日間みてくれないかという事だった。
この島の総代である父と広央は、親子としての関わりは皆無。
わざわざ呼びつけたのには何か重要な用事だろう。
もしかしたらその用事が数日かかるかもしれない。
「イサが今ちょっと不安定でな…暴れたりしたら、あのばあちゃんじゃ対処できないだろ?…それで和希に頼めないかと…」
そこから先の台詞は、言わずとも和希には分っている。
精神的に不安定で、時折衝動的な自傷行為をしてしまうイサ。
そんなイサの守を安心して頼めるのはベータでもアルファでもない、同じオメガの自分しかいないのだ。
すまなそうに頼む広央に、和希は切なさを覚えると同時に、イサに対する怒りがこみあげてきた。
あの女はもう18にもなるのに、自分の身の回りの事すらロクにできない。
学びもせず働きもせず、ただヒロ兄を苦しめるだけの存在。
ただのお荷物だった。
それでもヒロ兄は何も言わず、ただただ庇護していた。
あの事件からもう、随分経っているというのに…
広央を心配させまいと、和希は努力して明るい声を出した。
「分かったよ安心して。しっかり見守るから…あれ、首どうしたの?」
襟で隠れよく見えなかったが、広央の首筋に大きな絆創膏が貼られていた。
「いやこれ?ちょっとひっかいちゃってさあ!ははは…」
広央は何でもないように、はぐらかすよう笑って答えた。
お守を引き受けてくれたことに礼を言うと、その足で総代のところに向かった。
和希は自分が半裸状態である事にようやく気づき、タオルでざっと身体をふいた。
『ヒロ兄は嘘が下手だ』
島で一緒に育った仲。
何かあったことは察したが、あえては聞かなかった。
出掛けるために着替え、神之島の自衛組織「
長く豊かな
黒のスポーツキャップを目深にかぶり、準備は完了。
オメガ性の特徴である色素の薄い肌や白髪は目立つ。
加えて彼は優美な相貌をしていて、幼いころから街を歩くとよくじろじろ顔を見られたものだった。
美貌に見とれられているらしいが、彼にとっては苦痛なだけだった。
帽子は視線を避けるために、自然と被るようになった。
鏡を見てより用心深く帽子の庇を下げると、この美貌のオメガの青年は猪狩隊の詰所へと向かった。
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