異世界ハローワーク ―悪魔の匙加減―
⚪︎△◻︎
第1話:人族人間型:青年「エルカド」
―― 異世界ハローワーク第5支部
それは、さまざまな種族が暮らすこの世界において、すべての知的生命体に平等な機会を提供する唯一の職業紹介所である。
この施設は大陸の中央に建てられ、その立地は象徴的な意味を持っている。
人族、獣族、竜族、妖精族、魔族、アンデッド族など、多様な種族がここに集う。
東西南北から伸びる転移ゲートは、この支部が世界の中心であることを示しているかのようだ。
それぞれの種族には専用のゲートが設けられており、誤って他種族のゲートに入ることはできないよう認証魔法と警備ゴーレムによる厳重な管理がなされているため、施設内での種族間トラブルは極めて少ない。
施設の内装も多種族に対応しており、種族ごとの体格や習性に合わせた相談ブースや待合室が設計されている。
翻訳水晶によって言語の壁も解消され、誰もがスムーズに相談を進められる。
職業水晶判定システムにより、求職者が水晶に手をかざすことで魔力や資質を自動的に分析し、その人に適した職業の候補が空中に浮かび上がる仕組みも導入されている。
その中立性と実績の高さから、第5支部は各国や種族の枠を超えた信頼を集め、政治的にも軍事的にも“最後の中立地”として重要視されていた。
――だが、その政治的事情など「どうでもいい」と感じている男がひとり。
どれほど優れたシステムが整っていようとも、最終的に職を紹介するのはひとりの人間。
それが、マルト・ミタキャオである。
異世界ハローワーク第5支部の支部長。
そして、相談者たちから“ハロワの悪魔”と呼ばれる男である。
「お待たせいたしました。ご予約のお時間、エルカド様ですね」
名を呼ばれた青年エルカドは、椅子の背にもたれ、緊張を隠せずにいた。
手のひらは汗ばみ、呼吸は浅い。今日、彼の担当は“あの悪魔”。
――扉が開く。
そこから現れたのは、燕尾服を完璧に着こなし、銀のトレイに紅茶のセットを載せた優雅な男だった。
「エルカド様、お疲れのところお越しいただきありがとうございます。よろしければ、こちらをどうぞ」
ミントティーの湯気がふわりと香り、緊張していたエルカドの肩がわずかにほぐれる。
「これは……?」
「ミントはリラックス効果がございます。緊張をやわらげ、思考を整理しやすくしてくれるのです」
ミントティーを口にした後、一呼吸おいてエルカドが話す。
「…実は、僕、冒険者だったんです。魔法使いとして。でも、戦うのが怖くなって…後ろから魔法使うだけの楽な仕事と言われるのも辛くて、辞めました」
マルトは静かにうなずき、水晶球を机の中央に置く。
「まずは、こちらに手をかざしていただけますか」
エルカドが手をかざすと、淡い光が立ち昇り、空中に職業候補が浮かび上がった。
《魔法使い》
《魔術講師》
《結界術士》
《魔力充填士》
「やっぱり……私の人生は魔法使いしかないんですね」
「確かに適性は極めて高い。ただし……」
マルトはエルカドをまっすぐに見つめ、問いかける。
「あなたにとって“魔法使い”は、幸せな未来を描ける職業でしょうか」
黙るエルカド。
「では、私の“匙加減”を、お見せしましょう」
マルトは一枚の紹介状を差し出した。
《武具工房・第2試験室助手(住み込み)/武具設計・記録補佐》
エルカドは肩を落とし、ぼそりとつぶやく。
「……これが噂に聞く、悪魔の匙加減か……」
(魔法しかしてこなかった人生で、鍛冶屋なんて、できるわけないだろ……)
それでも彼は紹介状を握りしめ、視線を落としたまま支部を後にした。
マルトは静かに紅茶をすすり、独り言を呟いた。
「さて、次の方の紅茶も準備せねばなりませんね」
―― 数ヶ月後。魔法道具工房。
白衣姿のエルカドは、図面と試作品を見比べながら魔導線の調整に集中していた。
配属当初は助手だったが、その技術と発想力はすぐに認められ、今では主任として現場を任されるようになっている。
「……この魔力回路、あと0.5ミリ狭くすれば、魔力の流れがもっと均一に……」
彼が注力したのは、戦闘用の道具ではなかった。
「エルカド、また“包丁”の注文入ってるわよ」
「ありがとうございます。鍛冶室に伝えておきます」
そう、彼が手がけたのは“生活を支える魔導具”だった。
水切り包丁:水魔法を利用し、野菜の水々しさを保ちながら滑らかに切れる包丁。
火切り包丁:火魔法で切断面をサッと炙り、皮は香ばしく、中はふっくらと仕上げる。
その革新性と使いやすさは料理人たちに評判となり、“エルカドブランド”として知られるようになる。
「“荒野の戦場”じゃなくて、“調理場の戦場”で使う武具を作る。それが、僕の仕事なんだ」
展示会でも彼はそう語り、多くの見学者の心をつかんだ。
「……あのとき、魔法使いを辞めてよかった。あの人が、僕を見つけてくれた」
――その頃、第5支部。
マルトは、いつもと変わらぬ動作で紅茶を淹れながら、窓の外を見つめていた。
ゲートの先から、また新たな相談者が歩いてくる。
口元に微笑を浮かべ、彼は静かに言った。
「さて、次の“匙加減”を、始めるとしましょうか」
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