雪が降った日は

須藤淳

第一章:出会いとすれ違い

1. 少年時代(プロローグ)

 車の中の空気が、なんだか重たかった。

 助手席に座ってるお母さんは、ひざの上に広げた地図を見ながら、指でなにかをなぞってる。


 お父さんは運転席でハンドルを握ったまま、ちょっとイライラした顔で、お母さんの言葉を待ってた。


「待って……今どこ?」

「さっきの郵便局を右に曲がったところだよ」

「え? それじゃあ……間違えてる!」


 お母さんの声がピリッとして、ぼくは思わず背すじを伸ばした。

 お父さんが道を間違えちゃったみたいだ。


「いや、こっちで合ってるはずだって」

「確認するから、ちょっと待って」


 お母さんがそう言うと、お父さんはため息をついて車を止めた。


 ぼくは後ろの席で、静かに二人のやり取りを聞いていた。

 隣では、妹が毛布にくるまって、すやすや寝てる。きっと、引っ越しの準備でつかれちゃったんだ。車に乗ってすぐ、ぐっすりだった。


 ぼくは窓の外をぼんやり見てた。

 真っ白なものが、ふわふわと降ってる。


 雪だった。


 めずらしい。前に住んでたところでは、雪なんてほとんど降らなかったから。


 ここも町の中なのに、しんしんと積もってる雪が、なんだか違う世界に来たみたいだった。


 本当だったら、うれしいはずだった。

 でも、今のぼくには、雪を楽しむ気持ちなんて残ってなかった。


 お父さんの仕事がうまくいかなくなって、急にこの町に引っ越すことになった。


 前の学校の先生は、ぼくが困らないようにって授業を早めてくれたし、友だちもすごくやさしくしてくれた。


 みんなのこと、大好きだった。

 なのに——気づいたら、こんなふうに車の中にいた。


(みんな、今ごろ何してるかな……)

 そんなことを考えていたとき。


 窓のすみに、ちらっと何かが映った。


(……子ども?)


 道路の向かいにある公園に、ぼくと同じくらいの子がひとり立ってた。


 真っ白なコートがふわっと広がってて、明るい茶色の髪には、小さな雪の粒が乗ってる。


 その子は、両手を広げて、空から落ちてくる雪をすくうみたいにして遊んでた。


(……雪の妖精、みたいだ)


 思わず、息をのんだ。


 くるっとまわって、空を見上げるその子の横顔は、雪よりも白くて、なんだか透きとおってるみたいだった。


「……きれい」

 ぼくは気づかないうちに、そうつぶやいてた。


 ただ雪と遊んでるだけなのに、なんでこんなに目が離せないんだろう。


 そのとき——その子と目が合った。

 ふわふわの笑顔で、こっちを見た。


(やばっ)


 ぼくはあわててしゃがみこみ、車のシートから転がるみたいにずり落ちた。


翔真しょうま、どうしたの?」

 お母さんの声に、ハッとして答える。


「なんでもない」

 そっぽを向きながら、息をととのえる。


 そのとき、エンジンの音がまた車内にひびいた。

「道が分かったよ。次の交差点を左ね」

「分かった」


 車がゆっくりと動き出す。

 ぼくはこわごわと姿勢を戻し、もう一度窓の外を見た。

 ……でも、もうあの子の姿はなかった。


(見間違いだったのかな? それとも、本当に雪の妖精だったのかも……)


 必死で探したけど、車はどんどん進んでいく。


 ほんの少しの時間だった。

 けど、あの光景は心に焼きついたまま、ずっと残っていた。


(あの雪の妖精みたいな子……また、会えるかな)

 そんなことを考えながら、小さく息を吐いた。


 この町で、新しい生活が始まる。

 不安で、さびしくて、なんだかちょっと怖い。


 でも——

 もしかしたら、何かが変わるかもしれない。


 雪の精に出会ったあの瞬間から、ぼくの胸の中に、あたたかい灯がともった。

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