ジタバタしてるだけに見える

ねこまんまときみどりのことり

第1話 私の仕えるお嬢様

「あれ?  私どうなったのかしら?」


 メイドとして働いている伯爵家で倒れていた私。

 正確に言えば、ここの家のお嬢様に足をかけられて、転んだのだ。




 私はリビドー・ダンロ男爵の庶子アガサ。

 母が亡くなり引き取られたが、男爵夫人マーブル様は優しい人だった。


「女はいつの時代でも生き辛いわね。私も父の言うままにここに嫁ぎ、夫になった男には何も言えないのよ」


 なんて疲れた顔をして、明け透けな話もしてくれていた。

 気心が知れる程好きになり、私は本当の母のように家事や身の回りのことを手伝い尽くした。

 一人でも味方がいるのは、とても嬉しいことだった。

 逆に血の繋がった筈の、リビドー様の顔を見たのは数える程度だ。



 リビドー様はマーブル様のことはほったらかしで、多くの愛人を囲っている。

 本邸であるここに、戻ることは殆どない。


 領地経営はマーブル様が行い、本人は社交と言って遊んでいるだけ。

 親に決められた結婚を嫌がり、マーブル様には指一本も触れていないそうだ。

 当然子供もいない。



 かと言って庶子の私が、後を継ぐことはないと思う。

 きっと政略結婚……と言う駒に使うつもりだろう。

 そうでなければ、今まで歯牙にもかけず祖母と暮らしていた私を、15歳になってから引き離すことはない。


 そのことをマーブル様も気づいているのだ。

 何か月か過ぎた頃、マーブル様がこう告げてきた。



「貴女は外で働いて、お金を貯めなさい。いつでも此処から逃げられるように。大丈夫よ、リビドー様には学校に行ってるとでも言っておくから」


 私は瞬いてマーブル様を見た。

 頷くマーブル様は言う。


「貴女は逃げなさい。何の誓約……もないのだから」




 その話をした後、伯爵家への仕事の紹介状を渡してくれた。


「貴女が出ていく時に少しは用立ててあげるけど、あまり大きな額は動かせないから、貴女も頑張るのよ」

「ありがとうございます、マーブル様。感謝します」


 私は素直に提案を受け入れ、伯爵家の住み込みメイドとして働きに出たのだ。身バレしないように、男爵夫人マーブル様の親戚の平民の子として。



 ずっと市井で暮らしていたので、家事はお手の物だ。

 邸の見取り図とやることを覚えれば、他の使用人にも受け入れられて、いろんな場所を任されていく。


 今日は、ヴァリーナお嬢様の身の回りの世話を任された。


 ちょっと拗らせているらしく、自分より綺麗な女性に意地悪をするらしい。


「ちょっと貴女、お茶が温いわよ。入れ直して」

「はい、申し訳ありません。ただ今お持ちします」

「早くしてね」


 粗っぽい町で生きてきた私には、こんな言い分はなんてことはない。

 却って嫌がらせをしている筈の、ヴァリーナ様の方が顔色が悪いくらいだ。

 きっと悪いと思いながらやっているんだろうな。


「お待たせしました、お嬢様」

「さっさと入れて頂戴な」

「はい、ただ今お入れします」


 今度は美味しく飲んで下さった。

 私は微笑んで、ヴァリーナ様を見ていた。


 まだ14歳で、幼さが残る可愛らしさがある。

 美人とは違う部類だが、僻むような不美人ではない。


 私のように地味な茶髪と薄いブルーの瞳より、艶々の黄色い髪と碧い瞳はとても鮮やかだ。

 卑下する要素はないのに。


 細かい嫌がらせに堪えないせいか、貴族のメイドがたくさんいる中で、何故か私が専属のようにヴァリーナ様付きになっていた。


 2か月も一緒にいれば、もう既にヴァリーナ様の嫌がらせのパターンは尽きたようだ。


 お茶をわざと絨毯に溢したり、衣装が気に入らないと何度も交換させたり、仕事が遅いと詰ってみたり。

 迫力もなく、勢いもなく、最早苦行のように辛そうな表情で繰り返す。

 なんだか、幼い子が気を引きたい時の行動に似ている。



 そのせいか無意識で、ヴァリーナ様に呟いていた。


「お嬢様、私はお嬢様が大好きですからね」



 動揺してビクッと体を震わし、俯くヴァリーナ様。

 無言のまま動かないので、心配になり声をかけた。



「お嬢様、大丈夫ですか?」


「…………なんで? 私いっぱい意地悪したのに。私のこと好きなの?」

「ええ。妹みたいで可愛いです。まあ私は一人っ子ですが、いたらこんな感じなのかなって」


 ヴァリーナ様は目にいっぱい涙を溜めて、私を見ていた。そしてあっという間に抱きついてきた。

 驚いたけれど、久しぶりの人の温もりに身を任せる。



 その後ソファーに座り直すと、ポツリポツリと語り出すヴァリーナ様。


 彼女には2つ上の美しい姉リキュア様がいる。

 煌めく金髪とアメジストの神秘的な瞳を持ち、その色は母親サリュナ様と同じで、サリュナ様もサリュナ様を愛する父親バーラン様も姉リキュア様の方に関心を寄せているそうだ。


 私から見れば姉妹に対しての両親の態度に、それ程変化は感じられない。

 けれどヴァリーナ様は、差があると感じるみたい。


 虐待されている訳でもなく、教育を受けさせないこともない。

 まして放任でも過保護でもない。

 幸福そうに見えるのだが、彼女は納得しない。


「だってお姉様が言うの。『私が幼い時は悪いことをしたらすごく怒られたし、上手くいけばとても褒められたわ。それに比べると、貴女はいつも程々の対応で可哀想』って。


 だから自分にもそんな風にして貰いたくて、たくさん勉強もしたし、いろいろ悪いこともしていたの。そうしたら、家の外でも意地悪令嬢と言われるし、両親にも呆れられるし、今さら態度も戻せないし…………。

 それなのに貴女が好きって言うから。ふえっ、ぐすっ」



 よっぽど我慢していたのか、泣き出して止まらないヴァリーナ様。

 これまでの態度は、そんな理由でしたか。

 納得しましたよ。


 それにしても、一番身近でアドバイスもしたリキュア様が、ほったらかすのは頂けない。

 キチンとヴァリーナ様を守ってあげれば、こんなことになってはいないのに。



 泣いているヴァリーナ様を私からも抱きしめて、優しい声音で伝える。


「安心してください、お嬢様。私は全然意地悪とは思っていませんし、じゃれて貰ってるようで嬉しいです。あ、じゃれるなんて失礼ですね。えーと、可愛らしいお嬢様を独占できて嬉しいです」


なんて言ってたら、泣き止んだヴァリーナ様。


「可愛らしい? 私が?」

「はい、勿論です」


「お姉様のような蜂蜜色の髪でなくても? 紫水晶の瞳でなくても?」

「はい。それに私は、お嬢様の髪の方が好きですよ。春先の菜の花の妖精みたいで、元気がでますもん。碧い瞳も素敵です。とっても羨ましいですよ」



 それを聞いて、頬を染めるヴァリーナ様。

 褒め慣れていない所を見れば、あながち両親の関心が姉寄りなのは勘違いでもないのだろう。



 だから私は、市井のある家族のことをお嬢様に話してみた。


 市井では避妊薬も高くて買わないせいか、兄弟姉妹がワンサカいる家もある。

 5人くらいいれば、上の子は下の子の面倒を見て忙しいし、末っ子はわりと愛情を受けるから我が儘に育つ。

 3、4番目は構われないから、他所に手伝いに行ってお小遣いを貰っている、ちゃっかりさんが多い。

 そこで上の女の子は、不満が溜まり早めに嫁に行くか、母性に溢れ全てを諦めて、愛情深い子になるかの二択が多くなるのだ。


「これがさあ、男は除外されやすいの。割りを食うのは女ばかりで、兄は逃げても怒られないの。姉ばかりが大変なのよ。いつも怒られてばかり、やって当たり前って。女が不公平なのは、貴族も平民も似ているね」


「た、大変そうね。平民にはメイドもいないのでしょうし、子供が子育てするなんてね」


「まあ、みんなそんなものです。だから親よりも、回りのおじさんやおばさんにお世話になった子も多いんですよ。

 親の愛は平等ではないんです。男がいれば、後から生まれても女より優遇されることが多いのです。 女は嫁に行けば終わりだって、他人の子になっちゃうって。

 でも愛していない訳じゃないんですよ」



 ヴァリーナ様は、暫く無言で思考していた。


「……いろんな愛があるのね。よく考えれば、両親は私に優しくしてくれているわ。十分に物も与えてくれているし。

 ……そうだわ、私ったら一番にして欲しいと考えていたのかも。お姉様から意地悪されたこともないし、お兄様も優しいわ。

 お兄様は寮にいるから、なかなか会えないけどね。一人でいじけて馬鹿みたいね。

 ありがとう、教えてくれて」


 大発見したみたいに、ヴァリーナ様は良い笑顔になった。



(私ったら勢い余って、ヴァリーナ様になんてことを。言葉遣いの注意はされなかったけど、気をつけないとね)


 まだいろいろと蟠りはあるだろうけど、ヴァリーナ様の気持ちはスッキリしたみたいだ。



 それから私は、信頼するメイド長に今日のことを話した。

 メイド長は何となく気づいていたようで、私にこっそり耳打ちする。


「お嬢様を邪険にしているのは、リキュア様の方なのよ。なんでも自分の好きな男性が、ヴァリーナ様の方に好意があるらしくて、嫉妬でヴァリーナ様を貶めようとしているみたいなの。

 ヴァリーナ様は単純、ゴホンッ、純粋だから行動を誘導されたのね。貴女は気にいられてるようだから、そのまま守って差し上げてね」



 恰幅の良い中年のメイド長が、頭を下げて頼んでくるので、私は即座に応じた。

 ヴァリーナ様の評判が悪く流れたのはここ最近で、リキュア様が振られた? 頃だ。

 きっと、それが理由で間違いないだろう。


 いつも妹より美しいと言われ、優位に立っていた姉は恋で挫折を経験し、それが許せず妹を貶めたのだ。


 ヴァリーナ様は何にもしてないのに、なんと言うプライドの塊なのだろう。

 私は誰にも気づかれないように、自室で不満を呟いていた。



 しかし、あれからヴァリーナ様は変わった。

 と言うか、本来のヴァリーナ様に戻ったのだ。



 使用人達も最初は、おっかなびっくりに様子を見ていたが、次第に普通になった。

 どうやら以前はリキュア様から有ること無いことを吹き込まれていたから、避けるようになったらしいのだ。


「妹に逆らったら扇で打たれたとか、熱いお茶をかけられたとか、酷い侮辱を受けた話を聞いたから、貴女も気をつけて」と。


 誰がとかは聞けないし、メイド自身の家庭事情で時々入れ替えもある。

 それなのに、あの人は意地悪されて辞めたのかしらとか、尾ひれがついて大きな噂になっていく。


 なんと言っても発信源は、姉のリキュア様なのである。

 他人は疑いようもない。


 そうして伯爵邸から、使用人の口上でいろんな噂が立ち、ヴァリーナ様は意地悪令嬢にされていたのだ。

 使用人達も少し考えれば分かっただろうに。


 メイド長は以前から、みんなに説明していたのに。

「ヴァリーナ様は、噂のようなことをしていないわ。ちょっと、我が儘を言っているだけよ」と的確に。


 でも噂は一旦広まると収拾がつかなくなり、私が来たことで仕事を押しつけたようなのだ。


 そんなことでもなければ、私がヴァリーナ様に付くなんてことはなかった。私は可愛いお嬢様に出会えて良かったと心から思っているので、その点だけは感謝したい。



 ちなみにヴァリーナ様に侍女がいないのは、結婚の為に以前の侍女が退職してからだ。

 その後新しく侍女を決める時には、この噂が広まって誰もなりたがらずにいた。

 サリュナ様もリキュア様からの話で、ヴァリーナ様が落ち着くまでつけなくて良いと認めたそうだ。


 それがどんなにか、ヴァリーナ様を傷つけたかは分からない。



 私がヴァリーナ様と打ち解けてからは、ヴァリーナ様は人の目を気にするのを止めた。

 社交に出ても遠巻きにされるので、断れないもの以外は行かないと割りきったのだ。


 その代わりのように孤児院に慰問し、本の読み聞かせをしたり、文字や計算を教えるようになった。 

 最初は市井にもお嬢様の悪い噂があり、孤児や職員も少し怯えていた。


 けれどお嬢様に関わることで、ただの噂だとすぐに分ってくれた。

 子供はそう言うの鋭いからね。

 特に孤児は人をよく観察している。

 懐かれればそれが証明にもなるのだ。


 サリュナ様も、孤児院の慰問は止めなかった。

 噂を信じているからか、 “やっと改心したのね。きちんと勤めなさいね” くらいの様子で許可を出してくれた。

 


 バーラン様の方は仕事が忙しく、ヴァリーナ様に構うこともあまりない様子だった。

 それはリキュア様にもなので、本当に多忙なのだろう。

 この方はあまり家にいないが、公平に接しようとしていることが、今ならば分かる。


 リキュア様だけは、「あんな子を家から出せば、醜聞になる。まだ早いわ、心配よ」

 何て口出ししてくるが、親の許可があるのに止める訳がないのだ。



 その頃になれば、ヴァリーナ様だって客観的に物を見る目が養われてきた。

 メイド長とも仲良くなり、メイド達との仲も普通に戻った。


 パーティー等の社交にも出ないから、侍女もいらないと断るヴァリーナ様。

 サリュナ様も “今は噂が消えるまでは、社交なんてせずに大人しくしていなさい” と、ヴァリーナ様の行動を容認してくれた。


 その為リキュア様子飼いの侍女が、一時的にでもヴァリーナ様に付いて、悪く言う機会もない。



 なので、暫く平和な日々がヴァリーナ様に訪れていたのだ。



 そんなある日、リキュア様の思い人の男性、フランシス・コスタリア侯爵令息が孤児院に慰問に来たが、社交界から離れていたヴァリーナ様は彼のことを知らなかった。


 アガサもわざわざ、元凶の核になる人の話をする気にもなれず、スルーした。

 別にもう会うこともないもないだろうと思って。


 孤児達はお嬢様に駆け寄り、いつものように声をかけてきた。


「ヴァリーナ様、御本読んで」

「サッカーやろうぜ、ヴァリーナ様」

「ちしゅう(刺繍)おしえて、ヴァリちゃま」



 子供達の様子に、フランシス様は優しく微笑んだ。


「ああ。グランザリ伯爵令嬢は、大人気だな。やっとゆっくり話せると思ったのに。サッカーなら、僕もまぜておくれ」

「勿論良いですわ。でも衣装が汚れますわよ」

「ああ、大丈夫だ。普段からよく体を動かしているから、役に立てると思うんだ」


 運動着に着替えたヴァリーナ様とフランシス様は、最初はぎこちなかったものの、だんだんと打ち解けていく。


「はぁはぁ。こんな風に動くのも楽しいものだね」

「ふはぁ、ふふっ。そうですよね。私が遊んで貰ってることもありますよ。はぁはぁ」


 なんて感じで距離が縮まり、時々孤児院で顔を合わすことになった。

 2人で読み聞かせをしたり、従者や馭者も巻き込んで、マンツーマンで文字を書けるように教えたり。 時には本を読めるようになった子を語りべにし、ヴァリーナ様とフランシス様、従者と馭者と私の5人で簡単な演劇をして、本の内容を分かりやすくコミカルに伝えた。


 ただ読むだけでは退屈でも、演じているのを見ればなんとなく内容が理解できるし楽しい。

 2歳や3歳の幼子も、用務員のお爺さんも、院長先生も、学習に携わらない人が楽しそうにそれを見る。


 続きは一緒に読んでみようと言えば、学びに対する抵抗感は薄れて真剣になった。

 読み終わったら、読めない子に演じて教えてあげてと言えば、少し恥ずかしそうにしているが、幼子達がせがむので頷いていた。


 演劇風に教えてみようと言ったのは、侯爵家従者のジムだ。

 彼も孤児院出身で、大人になってデートの時に初めて見た演劇に心震わせたと言う。


 その後に演劇の元になった本を貸本屋で借りて読みあさり、その話を同僚に語っていた所をコスタリア侯爵の目に止まり、厩舎の使用人から従者に抜擢されたのだった。


「そもそも男の子は、じっとしてられんのです。でも面白いことがあれば食いつくんですよ。演劇って見ているだけでワクワクするでしょ?

  こいつらが演劇好きになってくれれば、将来趣味話で楽しめる。今から楽しみです」


 何て言うけれど、きっと彼なりに学ぶことを大切だと思っての提案なのだろう。

 彼自身が厩舎の馬番から従者への大出世だ。

 給金も5倍も上がったそうで、その差分を孤児院に回していたそう。


 人に教えるのは、理解を深める必要がある。

 子供達は熱心に学び、字を覚えていくことだろう。

 たぶん書くことにも。


 孤児院のことを、孤児達のことを大切に考えるジムだから考えられたこと。

 そんなジムからの提案だからこそ、ヴァリーナ様もフランシス様もその提案に付き合った。

 馭者のアグニも最初は恥ずかしそうにしていたが、今ではノリノリで楽しんでいる。


 正直言うと責任感から受けた仕事だが、演じることにヴァリーナ様は戸惑っていた。

 けれど同じようにジムの話に共感したフランシス様と共に行動することで、恥ずかしさは薄れていく。

 何よりみんなの喜ぶ顔を見ていたかったのだ。




 でもヴァリーナ様は、自分の家族にはその話はせず、いつも通り静かに過ごしていた。


 孤児院に行って楽しんでいることに、何となく後ろめたい感じがあったのと、友人になったフランシス様のことを邪推されたくなかったからだ。


 アガサはメイド長にだけ、フランシス様のことを伝えたら、はっきりと形になるまでなるべく内緒にして欲しいと頼まれた。

 最近はリキュア様からの接触もなく、社交界の悪い噂も増えていない。

 けれどフランシス様のことを知れば、何だか良くないことになると思ったそうだ。



 フランシス様は肩までのグリーンプラチナの髪を一つに束ね、子供達への対応も丁寧だった。

 ヴァリーナ様への対応も紳士的である。

 馴れ馴れしく触れることもなく、言葉遣いもそれ程崩さない。


 その後も交流が続き、お互いにを名前で呼ぶことになり、そこで漸くフランシス様は婚約を申し込んだ。

 ヴァリーナ様も彼の人柄に惚れ込んでいたので、微笑んで承諾する。

 彼の筋肉質な体型と精悍な顔つきは、一見威圧的にも感じるが、彼を知るヴァリーナ様は既に見慣れたものだ。


「いつまでも、君を守るよ」

「ありがとうございます、フランシス様。私も貴方様をお支えいたしますわ」


 恭しくヴァリーナ様の手を握り、手の甲に口づけを落とすフランシス様の顔は真っ赤に染まっていた。

 それを見てヴァリーナ様も、さらに赤く頬を染め固まっていくのだった。



 翌日グランザリ伯爵邸に、フランシス様とコスタリア侯爵夫妻が、婚約の書類を交わしにやって来た。

 ヴァリーナ様の父親バーラン様とは既に話は進んでいたが、サリュナ様とリキュア様は当日初めて知ることになった。


 応接室の長いソファーに、家族ごとに対面に座り挨拶を交わす。

 フランシス様とヴァリーナ様が顔を見合わせて微笑む中、リキュア様は屈辱で震えていた。


「ど、どうして、ヴァリーナなのですか? 」


 リキュア様は顔色悪くバーラン様を見て問うたが、当然のようにそれに返される。


「二人は噂等に左右されない気持ちを持っているからだよ。姿だけではなく、相手のことを尊重している。それは素晴らしいことだと思うよ」 


 バーラン様は、彼女ヴァリーナ様に悪い噂が流れていることを知り、調査を行っていた。

 その原因がリキュア様であることを知り、頭を抱えることになる。


 対外的には立派に振る舞うリキュア様が、まさか妹に酷いことをしているとは思わなかったバーラン様。

 自分似のリキュア様に甘い、妻サリュナ様の対応にも疑問を持たれていたよう。


(もう少し早く、気づいてあげれば良かった。

済まないなヴァリーナ)




 バーラン様はコスタリア侯爵から、ヴァリーナ様に来た婚約の打診を一人で抱えていた。

 あの子がこれ以上傷つくことがあってはならない。


 人となりを見て貰えるように、フランシス様に孤児院の慰問を進めたのもバーラン様だった。

 ヴァリーナ様の奉仕中の行動を見て貰い、同意できないなら断ろうと思っていたのだ。


 だがそれを受け入れて、ヴァリーナ様を大切にしてくれたフランシス様に、バーラン様は好感を持った。

 噂のせいで嫌な思いをしたヴァリーナ様は、対人関係に不安があった。

 それを含めて心を繋げた彼なら、安心してヴァリーナ様を託せると思ったのだ。



(リキュアが彼に好意を抱いていることは知っていたが、ヴァリーナを心から信じて愛しているフランシスはリキュアを絶対選ばないと思う。


 美しくて知力も高い、機転の利く彼女リキュアには辛い経験になるだろう。

 けれど思ったことが全て叶うことがないことを知る時期がきたのだ)と考え、この婚約を承諾したバーラン様。


「リキュアはヴァリーナに対して容赦がないので、できる限り早く離した方が、互いにとってベストだろう」


 そう考えての今日だった。



「そう、ですか。分かりましたわ」

「ああ。じゃあ婚約の誓約書を記入しよう」


「そうですな。グランザリ伯爵、これからもよろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします。コスタリア侯爵」


「じゃあ、ヴァリーナ記入しようか」

「はい、フランシス様」


 互いに頬を染めて、誓約書にサインを済ます二人。

 それを暖かく見守る、コスタリア侯爵夫妻とバーラン様。


 コスタリア夫妻は、バーラン様の行ったヴァリーナ様の調査書を渡されていたから、余計にヴァリーナ様を受け入れやすかった。

 孤児院で活動するフランシス様達の様子も確認し、演劇も見てきた夫妻。

 そしてリキュア様に対しては、態度に出さずとも警戒心を持っていた。


 だからリキュア様が何を言っても、彼らが動揺することはないのだ。


 サリュナ様も婚約のことを知らされておらず、内心少しだけ憤慨していた。

 それでもヴァリーナ様の幸せな顔を見れば、それも吹き飛んだ。

 彼女だってヴァリーナ様のことが大切なのだ。

 リキュア様の方に、比重が多いだけで。




 ヴァリーナ様の婚約に不満なリキュア様は、どうしても許せなかった。


「あんな味噌っかす、フランシス様には似合わないわ。最悪私と結ばれなくても良い。ヴァリーナが自分より幸福になるのだけはイヤ!」


 そう言うと、リキュア様は再びヴァリーナ様の悪い噂を流し始めた。


“婚約者がいるのに、他の男にも会っている” と。




 リキュア様は自分のことをヴァリーナ様だと言って、子爵家令息の好色漢プレイボーイルビット様と逢い引きしていた。

 わざわざヴァリーナ様の、黄色い髪のカツラを被って。


 その現場を、フランシス様と侯爵家の騎士が確保する。


「我が婚約者の名を語り、名誉を傷つける痴れ者を捕らえよ」



 フランシス様は、その女性がリキュア様だと気づいていた。

 それでも知らない振りをして、騎士団に引き渡したのだ。


「何で騎士団に?  私はヴァリーナの姉のリキュアよ。貴方だって知っているでしょ?  離してよ、離しなさいっ!!!」


 騎士に拘束され、暴れるリキュア様を悲しそうに見るフランシス様。

 今までのヴァリーナ様に対するリキュア様の行動にも憤っていた彼。けれど、肉親だからと我慢してきたのだ。


 ヴァリーナ様が実の姉に貶められたことを知れば、きっと悲しむと思ったこともある。


 けれど再び、リキュア様はヴァリーナ様の名誉を貶めた。

 これ以上は我慢できない。


「きっと優しいヴァリーナは悲しむだろうな、姉が捕まってしまったことに対して。でも僕は君の名誉の方が大事なんだ。だから許してヴァリーナ」




 その後、リキュア様がヴァリーナ様に変装して、好色漢プレイボーイのルビット様と逢い引きしていたことが、世間に知られることになった。

 騎士団に捕まったことで、みんなが事実だと信じることに。


 リキュア様がヴァリーナ様を貶めた行為から、社交界に流れる悪い噂も、リキュア様の捏造だと思われ始めた。

 コスタリア侯爵夫妻がヴァリーナ様のことを、気立てが良いと褒めまくることで悪評は少なくなり、悪評を囃し立てる者は、夫妻に睨まれ沈黙することになった。


 少し眼光は鋭いけれど、美形で次期侯爵のフランシス様に憧れる女性は多い。

 けれどもう、空気の読める者は邪魔などしないだろう。




 グランザリ伯爵夫妻は、騎士団警備本部にリキュア様を迎えに行った際、サリュナ様はリキュア様の頬を叩き詰った。


「なんで妹の名前なんて使ったの?  貴女のせいで私達が何て言われるか考えたの?」


 扇子をミシリと音をたてて壊し、床に投げつけるサリュナ様。憤怒の顔で自分を見る彼女サリュナ様には、いつもの優しい風情はない。


 バーラン様はヴァリーナ様の婚約後、サリュナ様にもリキュア様にも釘を刺していた。


 リキュア様が再びヴァリーナ様に嫌がらせをしないように、サリュナ様にはリキュア様が行った恥ずべき行為の数々を全て伝えた。

 それでもサリュナ様は、泣きそうなリキュア様を見ると、それ以上は叱らず庇ったのだ。


「リキュアは嫉妬心で、ちょっと間違っただけ。いつもは良い子だもの。もうヴァリーナに意地悪しないわよね」


 一言も怒らずに、話を切り上げたのだ。


 リキュア様は “もうしません” と憮然と言っただけで、反省したように見えない。

 バーラン様は反省を促すが、聞いていたのか分からない。


 だから最後に鋭い瞳を宿したバーランは、威圧を込めてこう言ったのだ。


「ヴァリーナはもう、侯爵家の保護下にあるからな。お前だけの妹ではないのだよ」




◇◇◇

「ああ、やはりこうなったか」


 バーラン様はリキュア様を見て、寂しげに呟いた。

(妻であるサリュナによく似た、美しい容姿と強気な性格は、サリュナの若い時を思い出してついヴァリーナよりも可愛がってしまっていた。

サリュナがリキュアを甘やかす分、自分が厳しくするべきだったのに) 


「ごめんなさい。こんなに大事になるとは思わなかったの。…………私はどうなるの?」


 家族間のことなので、ヴァリーナ様が許せば罪には問われない。

 でもヴァリーナ様が許しても、今度はリキュア様に醜聞が付きまとうだろう。

 ヴァリーナ様は騒動の直後、すぐにフランシス様の迎えがあり侯爵家で暮らすことになった。


「結婚までは手も触れません。なので安全の為に保護をさせてください」

「…………分かった。こちらこそ、よろしく頼みます」


 そう言うだけで精一杯のバーラン様。

 ヴァリーナ様は悲しそうにリキュア様のことを許すと言って、父親伯爵と強く抱擁し去っていった。


「さようなら、お父様。お元気でいてください」


 ヴァリーナ様はフランシス様から、父親のしてくれたことを教えて貰っていた。

 自分の為に行動してくれていたことを。

 でも、1つ嬉しいことを知った後、2つ以上の辛い事実を知ることになった。


 フランシス様のことが好きだった姉が、自分にした嫌がらせと今回の出来事を。


 リキュア様が嫌がらせをしたことで、早期に社交界を去ったヴァリーナ様は、リキュア様がフランシス様を好きなことを知らなかった。


 もし知っていれば、フランシス様のことを知る前に距離を取っただろう。

 姉の思い人を奪おうとするヴァリーナ様ではない。 

 そもそもフランシス様のことを知ったのも、孤児院で会った時が初めてなのだから。


 姉の口から、フランシス様の話が出たこともないのだ。



 ……………でも、もう今は無理だ。


ヴァリーナは、フランシス様を愛しているの!」


 そう心で叫んだヴァリーナ。

 フランシスとヴァリーナは、既に強い絆で結ばれていたから。


 彼女は涙をこらえ伯爵家を一度振り返ってから、フランシス様と踵を返した。


 寄り添う姿はまるで、風凪ぐ草原に咲き誇る水仙のようだった。




 リキュア様には、二つの道が残された。

1つは、ヴァリーナ様に変装して逢い引きしていた、子爵家令息のルビット様と結婚すること。


 星の数ほど愛人はいるが、妻はいなかった彼。

 子爵当主であるルビットの父からも、伯爵家のお嬢様なら大歓迎だと言われている。

 既に庶子が何人いるのか、把握はできていないと言う。


「君も醜聞のある身だ。庶子たる子が後継でも良いだろ?  君は優秀だから、領地や家のことを任せられるし。これがWin-Winってやつかあ。はははっ」


 社交界の高嶺の花と呼ばれていたリキュア様は、爵位の下の不良物件にこんなことを言われ、苛立っていた。

 噂になった者同士なら、変装して逢い引きしていたということにすれば、少しは悪評も薄れるとルビット様の父子爵が言うのだ。


「お断りよ。なんで私があんな奴の嫁になるのよ。馬鹿にしないで!!!」



 そうでなければ、もう彼女リキュア様を娶るまともな貴族はいない。

 コスタリア侯爵にも睨まれてしまうからだ。



 もう1つは、寄付金を払って修道院に入ることだ。



 どちらにしても、伯爵令嬢には辛い未来が待っているだろう。




 だからリキュア様は、怒りの矛先をアガサに向けた。


「あんたがいなければ、上手くいった筈なのよ。本当に邪魔、最悪。私の未来は真っ暗よ。あんたなんか、死んじゃえ!!!」

「あ、えっ、えーーーー」


ガタガタガタガタッ、ドサッ

 私は階段から転落した。




 衝撃で気を失ってしまったようだ。



 目が覚めると、アガサはベッドに寝ていた。何故か男爵夫人のマーブル様が、傍にいた。


「目が覚めて良かったわ。心配したのよ」



 マーブル様は私の手を握りしめて、泣いてしまった。

 どうやら2日も、意識が戻らなかったらしい。



 グランザリ伯爵夫妻は私を手厚く看病して、義母のマーブル様も呼んでくれたのだ。


「ああ、マーブル様。ありがとうございます」


 私は嬉しくて微笑んだ。

 私の血縁は、祖母と男爵しかいない。

 それなのに、血の繋がらない夫人が心配してくれていたのだ。


「あれ、痛たたっ。右足が痛いです」


 私は頭こそ打たなかったが、右足が折れているらしい。


「ああ、アガサ。良かった、気がついて」

「本当に済まない。アガサ、許してくれ」


 意識が戻った私の元に駆けつけた伯爵夫妻は、リキュア様が私にしたことを謝ってくれ、完治までここで面倒を見てくれるそうだ。 


 そしてリキュア様のしたことを、内緒にして欲しいと頼まれた。


 それはリキュア様のことだけではなく、ヴァリーナ様の醜聞に繋がるからだと言う。

(殺人未遂だもんなぁ。確かにそんな人がいると、生まれてくる子供達にも影響がでそう。虐められたら困るものね)


「私達のことは、酷い奴だと罵ってくれて構わない。けれどもう、あの子の足を引っ張りたくないんだよ。済まない、アガサ」

「私が甘やかしたせいなの。アガサ、お願いよ。私の宝石も財産もあげるから。どうか、どうか……チャンスをちょうだい」


 2人とも悲壮な顔で頭を下げてくる。


「私は下町にいたし、こんなことに近いことも経験していたんです。だからもう、謝ってくれたから許します」


 そう告げると、2人は泣きながら感謝してくれて、慰謝料をたくさんくれた。10年は余裕で生きられる程の金額だ。


 私は断ろうと思ったけど、マーブル様は貰っておけと言う。

 その方が伯爵達も安心するそうだ。



 そして此処にいないリキュア様は、戒律の厳しい修道院に入れられていた。

 私が許せない時はそこから出して、騎士団に罪人として引き渡すつもりだったらしい。

 どちらにしても此処には置いておけないと判断し、修道院で預かって貰っていたそうだ。


 なのでそのまま、修道院に入ることになるそうだ。


 もし私が死んでいても、騎士団に引き渡したそうだ。

 それはマーブル様にも言っていたので、嘘ではないようだ。



 私の怪我が治れば、ヴァリーナ様のメイドになる為に、私はコスタリア侯爵家に行くことになった。 お金が手に入り、暫く働く必要もないのだけど、私は働いていたいのだ。


「待ってたよ、アガサ」

「本当ですか? 嬉しいです、お嬢様」


 私はメイドの仕事をしながら、侍女長の下でマナーと教養を学んでいる。

 読み書きはできるけど、他は全滅だからだ。

 どうやらヴァリーナ様は、私を侍女にしたいらしいのだ。


「やっぱり、いつまでも近くにいて欲しいから。アガサ頑張ってよ」

「……出来るだけ頑張ります」


 ヴァリーナ様とフランシス様は仲が良く、今も孤児院の慰問に行っている。

 あの時の伯爵家の馭者アグリは、侯爵家に引き抜かれた。

 侯爵家の従者ジムも健在だ。


 今も時々、5人で演じている。孤児院でも識字率があがり、語りべも増え演じ手も増えた。

 ここから、役者になる子も出るかもしれない。



 婚約期間の婚約者教育も順調で、2年が経過した。

 一度も伯爵家に戻ることもないヴァリーナ様だが、姉がいない今、顔を見せても良いのではないかと思う。

 私もよく祖母やマーブル様に会いに行っているし。


 来年の春に、ヴァリーナ様とフランシス様は結婚式をする予定だ。


 そうそう、血縁上の父親リビドー・ダンロ男爵は、病死した。

 病名はなんと、腹上死!


 最期まで女好きを貫いた人だった。

 ダンロ男爵家は、マーブル様が相続することになった。

 アガサに、貴族の身分がある方が良いという判断からだった。

 コスタリア侯爵家と、グランザリ伯爵家の支持があるので、マーブル様の当主就任を反対するものもいなかった。


 マーブル様は、少し太って顔色が良くなっていた。


「やることは同じなんだけど、リビドー様が散財しないからお金が貯まってるのよ。孤児院は侯爵家で支援しているから、私は老人ホームでも立ててみるわ。

 孤児院の横に空いた土地があるから、そこに建てる計画をしているのよ」


 そして老人ホームが立ち、なんとアガサの祖母も入れてくれたのた。


「貴女のお祖母さまのことは、私もずっと心配していたのよ。孤児院の隣なら、アガサも来やすいでしょ?」


 まだ自分で身の回りことはできている祖母だけど、ずっと心配だった。一緒に暮らすこともできないし。


 今はヴァリーナ様と孤児院に行く時に、祖母の顔を見ることもできるし、祖母も私に迷惑をかけなくて済むと言って安心していた。


「元気でいてね。お婆ちゃん」

「アガサも無理するんじゃないよ」


 不安がなくなり、そんな会話もできるようになった。




 やっぱり、マーブル様はさすがだなと思う。


 投資などでも大成功するし、自身で贅沢しないから使用人の給金もあげちゃうしで、神様みたいだ。


 孤児院と老人ホームが交流できるようにしているから、賑やかでみんな楽しそう。

 孤児院から老人ホームに就職する人も出てきたり、回りに店が建設されたりと活性化してきた。



 そして、そんな夫人にも春が来た。

 なんと侯爵家の従者ジムと再婚したのだ。


「なんとなく、気があってね」

「本当、不思議だ。こんなに好きになった人はいないんだ。愛してるよ、マーブル」

「ちょっと、人前で恥ずかしいわよ」


 マーブル様のこんな幸せな顔、初めて見た。

 良かったね、お義母さん。


 当主はマーブル様のままで、ジムが補佐だ。

 よく老人ホームに通っていたマーブル様と、時間があれば孤児院に行くジムが出会ったのだった。


 穏やかな日だまりのような2人は、時々演劇を見に行ってネタを仕入れているそう。

 今の孤児院の劇には、老人ホームの人も参加し、ジムと共に次々と新作を作成している。

 元舞台役者や脚本家等の本格的な人物もいて、劇場でも公演してみないかと声をかけられている。



 その資金を老人ホームの回転資金にすれば、運営も安泰だ。

 そういうことに資金を出すパトロンは、崇高だとされる為廃れないだろう。

 まずは継続し、一般受けもできる劇に仕上げられることが目標だ。


 そこに出演する子供達も老人達も、俄然張り切っている。

「俺、役者になりたい」

「私はお話を書きたいわ」

「僕は券を売るよ」

「若い者には負けんぞ」

「稽古つけてやるぞい」


 子供達の可能性も広がりそうだ。

 役者になれなくても、字や計算を学ぶことが将来の力になると思って貰えるだけでも良いと思うのだ。

 ここの子供達が文字を覚えるのが異様に早いのは、目的があるからなのだろう。




 グランザリ伯爵夫妻は、今日も修道院に通う。

 リキュア様はまだ、ヴァリーナ様に怒りをぶつけており、修業も懺悔もせず喚いているらしい。


「全部ヴァリーナのせいだわ。目が覚めたら、フランシス様が迎えに来てくれるわ。私は幸せな結婚をするのよ」



 個室に入り、日に日に衰弱していくリキュア様は、もうベッドから起き上がれない。

 特例で伯爵家よりメイドが派遣され、介助をしている。

 拒食で夢見がちな瞳には、何も映していないようだ。


「ああ、貴方。どうしてこんなことに?」

「……最期まで見届けよう。愛する娘なのだから」



 リキュアを見捨てないグランザリ伯爵夫妻は、通い続ける。

 彼女の終わりの日を見届けるまで。




 全てを手に入れたかった、ある女の喜劇の物語。


(ああ、フランシス様。私は幼き日のお茶会で貴方とお話してから、ずっと貴方が好きだった。侯爵家の貴方に釣り合うべく、全てにおいて研鑽を積んできたのに。

 ……なのにあんな搾りカスのような妹に靡かれたら、私の努力は水泡に帰すだろう。それこそ存在ごと。


 私は何を間違ったのかしら?

 ただ好きとだけ言えば、思いに応えてくれたのかしら?)



「…………………もう、既に……遅い、の、ね………………」







 初恋に殉じた魂は、今、解放されたのだ。

 精一杯、ジタバタと足掻きながら………………




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