凶悪貴族に生まれたけどスローライフを送りたい
和宮 玄
異世界に転生していた
人生って思っていたよりも難しい。大人になるにつれて『やりたいこと』をやる機会が減っていった。
大学3年生で両親を事故で亡くした僕には、他に頼れるような親族もいなかった。
しかし、生きていくためには稼ぎが必要だ。決して条件は良くないが、なんとか就職先を見つけ、卒業後は朝から晩まで働く毎日。家に帰っても一人で、次第に食事を適当に済ませることが多くなった。
『やらないといけないこと』をやっていたら一日が終わっていく。
子供の頃はもっと自由だったのにな……。
大人になっても、少しくらいは好きなことをして、幸せに暮らしていると思っていた。結婚したり、子供がいたりして。
それだというのに現実は、休日に会うような友人や……知人すらもいない。人で溢れかえった町で、僕は一人だった。
「疲れた……」
仕事から遅くに帰宅し、真っ暗な部屋の電気をつけてスーツのままベッドに倒れ込む。
いつも通りの仕事帰り。そこまでは、覚えている。
だけど──
「あれ?」
ハッとした次の瞬間、僕は豪華な箱馬車に乗っていた。
ちょうど顔を向けていた窓ガラスには、流れていく景色に重なるように自分の顔が反射している。
そう、ダークブラウンの髪に、幼いながらもわずかに鋭さを感じさせる顔つきをした8歳児の顔が。
「いやっ、なんで」
8歳って……僕が?
そんなわけないだろう。ガラスに映っている子供の姿は、僕とは似ても似つかない全くの別人だ。
端正な顔のパーツも、そもそも年齢も。
戸惑いが大きくなって、混乱が押し寄せてくる。
「ジル様……?」
パニックになりかけていると、突然平坦な声で名前を呼ばれた。
名前……そうだ、今のは僕の名前だ。
向かい側の席に座るメイド服姿の黒髪の少女がこちらを見ている。無表情っていうか、なんか怒ってる? 怖いんだけど。
「な、なんでもない」
思わず気圧されてしまい、咄嗟に首を振る。
少女は口を閉じたまま僕をじっと見つめ、しばらくしてから窓の外に目を向けた。
えっと……もしかして、無視された?
ちょっと傷つくが、今はそれよりも、だ。目の前の少女のおかげでパニックはどこかへ消え、思い出したことがある。
僕の名前はジル・ヴァリオン。
兄と姉を一人ずつ持つヴァリオン伯爵家の第三子で、この世界に貴族の子として生を受け8年になる。
僕は何らかの理由で、地球とは別の異世界に転生していたらしい。前世での死因は一向に思い出せない。
多分、過労死でもしたのだろう。
そして今、不意に日本にいた頃の記憶を思い出したわけだ。
いや、正確には前世の人格が目を覚まして、8歳のジルとしての僕と混ざりあった感じかもしれない。あくまで感覚的な話にはなるが。
まあ経緯とか原因とか、色々と理解しがたい夢みたいな話だけれど、確かに現実に起こったことだ。
記憶も少しずつ安定してきて、今はもう先ほど無視を決め込まれた少女のことも思い出せている。
彼女は僕の専属メイドであるミレイナだ。よく見ると分かる通り、先の尖った耳をしているエルフという長命種だが、年齢はたしか見た目通り18歳だったはず。
別にタイミング悪く怒っているとかではなく、彼女はいつもこんな感じだ。
一応、僕に仕えてくれているメイドさんのはずなんだけどな。冷たいというか壁があるというか……。嫌われてるのかもしれない。
無言が続く二人きりの空間。
うーん、気まず過ぎる……。
ただ、決してジルとしての人生が不遇というわけではない。
現在はミレイナに連れられ、魔法の適性検査を受けてきた帰りだ。専門施設で健康診断みたいに様々な検査を受け、僕には創造魔法の適性があることが判明した。
魔法である。
前世の人格が目覚める前も喜んではいたが、正直「創造魔法って……かっこよく炎を飛ばしたりしたかったのに」と思う自分もいた。
けれど、今はなんてことない。
むしろちょうどいい。
ここは魔物と呼ばれるモンスターが存在する剣と魔法のファンタジー世界だ。魔物と戦ったり、人同士で争ったり、そこそこ血なまぐさい。
僕はそんな危険に、進んで首を突っ込む気にはなれないからな。
今となっては戦闘向きではなさそうな魔法の適性で良かったと思っている。前世でも物を作ったり、いじったりするのは好きだった。社会人になってからはそんな時間もなかったけど。
魔法が使える人生なんて、ワクワクするものだ。
加えて、今まさに門を抜け、馬車が入った我が家だ。広大な敷地に建つ前世では見たことすらない規模のお屋敷が、貴族の家の豊かさを物語っている。
家を継ぐのは兄の予定だから、僕は自由にやれる。
家事は自分でしなくていいし、今は食べていくために労働に勤しむ必要もない。前世と比べると、かなり恵まれている環境だ。
ならば、と意志を固める。
これからは『やりたいこと』を全力でやって生きていこう。
自分の気持ちを第一に、好きなことをして幸せに暮らそう。
この環境を存分に活用しようじゃないか。
前世のように大人になり、生きていくために必要な諸々に仕方がなく時間の大半を割くのは、もう御免だ。今のうちから楽しさ優先でいろんなことをやってみて、その中で何かを見つければいい。
平穏に、楽しく。
僕がそんな人生の指針を固めていると、馬車が玄関口に到着したようだ。
先に降りたミレイナが扉を開けてくれる。
「ジル様」
「あ、ありがと……ぅ」
目の前を通るときにジロリと見下ろされ、思わず縮こまってしまった。
だから、いちいち怖いよ。メイドとしての仕事はちゃんとやってくれてるけど、殺し屋みたいな雰囲気で。基本的に僕の名前を呼ぶだけで、言葉数も少ないし。
家に帰ったら、まず両親に魔法適性の結果を報告することになっている。
唐突に前世のことを思い出したこともあって、何か忘れてる気がするけど……まあいいか。気分も新たに、両親が待つ部屋へと向かう。
魔法が使える人は希少なため、父さんも母さんも喜んでくれるはずだ。
馬車の揺れのせいでヒリヒリするお尻をさすりながら、ミレイナを連れて部屋の扉を開ける。
あれ、そういえば今の両親ってどんな人だっけ?
「ただいま──」
「愚か者! 恥を知れ、恥をッ。この愚鈍な馬鹿め、一秒でも早く対応しろ!」
「ハッ! 申し訳ございません……ッ!!」
えぇ……。
軽い気持ちで部屋に入ったら、厳つい顔をした筋肉質の男が執事を詰めていた。
男は何故か全身が赤黒く染まっていてわかりにくいが、黒い短髪の……って、手に重そうな剣を持ってるし、もしかしてあれって返り血?
幸い、執事が斬られたというわけではないみたいだ。
機敏な動きで深く頭を下げ、大声で謝罪している。
「あら、ジルちゃん。帰ったのね」
そんな状況にも動じることなく、部屋の中央にあるソファに座っていた銀髪の女性が僕に声をかけてくる。
煌びやかなジュエリーに身を包み、扇子で口元を隠す美女。まだ二十代だろうか、かなり若々しい。
「……ジルか。報告はあとで受ける。おい、俺たちは出るぞ」
血濡れた男はこちらを一瞥すると、執事を連れて勢いよく部屋を出ていってしまった。
バタンッ、と力強く扉が閉められる。
そこで、ふと意識が完全にクリアーになった。
今の男が父のヴォルフで、微笑を浮かべている目の前の美女が母のバネッサだ。
威圧感のある父に、少し高飛車な母。どこか普通ではない、この感じ。
失念していた。
怖いのはメイドのミレイナだけじゃない。
僕の生まれたヴァリオン伯爵家は、『凶悪貴族』として周囲から恐れられている悪名高い一家なんだった……。
平穏に、楽しく。新たな人生は裕福な家で幸せに暮らそうと思っていたのに。
これはちょっと、想定外だ。
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