遠征《エクスペディション》-2

 1週間も家を空けるとなるとジョージに知らせておかないわけにはいかない。心配されるし、何より変に噂をされるのを避けるためだ。クライブは準備をある程度済ませ、夜の時間帯(まだ明るいが)にジョージの店に向かう。

 イヴは風呂を済ませた後でバタバタしていたが、コテージに戻るときには戸締まりをして欲しいと依頼した。

「1人でジョージのところに行くんです?」

「長く家を空けるとなると彼に知らせておかないと」

 それだけ言って家を後にする。イヴも変な目で見られるよりはいいだろうと思ってのことだ。

 ジョージの店にはほどほどに人が入っていた。クライブは空いているカウンターの席に勝手に座り、ジョージに挨拶する。

「ビールがいいなあ」

「とんとうちにはご無沙汰だったが、別居中の妻とはよろしくやってるみたいじゃないか」

 ジョージは笑って泡がいっぱいのジョッキをカウンター越しに手渡してくれる。クライブは答える前に泡と一緒に黄金の液体を口から喉へ、そして胃袋に流し込み、心地よい刺激に満足を覚える。

「ああ。だがもう少ししたらメガロポリスに帰る身だ。少し予定は伸びるかもしれないが……」

「こっちに住まわせたら別居じゃ済まないかもしれないからな」

 ジョージは観光で来てこの街を気に入って住みはじめたはいいが、この土地の厳しさに耐えられなかったり、退屈して逃げ出す人間をずっと見てきた。だからイヴもその類いだろうと普通に判断しているのだ。そしてクライブ自身も同じ意見を持っている。だが、それ以上の理由がある。

「彼女は……自分の仕事に誇りを持っているんだよ」

 少なくとも先輩から聞いたイヴの経歴と仕事ぶりはそう判断するに足るものだった。少しばかりがんばりすぎて、少し運が悪くて、ここに避難してきただけのことなのだ。

「その仕事ってのはここじゃできないものなのかい?」

「どうなんだろうな……仕事はあるっちゃあるだろうが比べたら絶対数がないわな」

「そもそもメガロポリスと比べるなよな……」

 ジョージも分かってはいるがという顔をした。

「まあ1つだけいえるのは別居中とはいえあんないい奥さんがいるんだから、マギーとの火遊びはもう金輪際しないことだな」

「呼んだ~~?」

 店の入り口の扉をバーンと開けてマギーが姿を現した。今日も仕事帰りらしく、飛行服の上着の前を大きく開けて、胸元がばっちり拝めるようにしてある。禁欲も甚だしいクライブにとって目の毒以外のなにものでもない。マギーは呼びもしないのに、他の客の熱いまなざしを無視してクライブの隣に座った。

「他にも空いてるだろ?」

「あたしがどこに座っても、文句を言われる筋合いはないわよう。ジョージ、エールね」

「あいよ」

 ジョージはクライブの前にミックスナッツの皿を置いたあと、冷えたエールの瓶とグラスをマギーの前に置いた。

「きたきた。これが楽しみで仕事しているようなものよ!」

「あんまり飲み過ぎないようにな……」

 クライブは酔ったマギーに絡まれる前に退散しようと思う。

「あのかわいい子と上手くやってる?」

 エールを仰いだ後、マギーが小さな声でクライブに言った。

「ぼちぼち」

「……別居中の妻って嘘でしょ?」

 女には分かるらしい。

「僕からそう言った覚えはない」

「そう周りに思わせてるのは男よけ?」

「面倒だからね……先輩から預かった大事な身だから」

「先輩?」

「ああ。いろいろ世話になった人のところの社員なんだ」

「やっぱりそんなところだと思った」

「もう少しこのままの設定を通させてくれ」

「そりゃいいけど……彼女の方はそうはならないでしょう」

 マギーはちょっと寂しそうに、そしてちょっと可笑しそうに言った。

「どういう意味だ?」

「男は女を軽く見る。その立場や人格じゃなくて、女の心に占める男の重さを」

 哲学的だな、と思う。マギーの方こそ別居中の旦那のことが忘れられないということなのだろうか。どうあれ一般的な意見とはかなり言いがたい。しかし心に刺さることも間違いない。

「ジョージ、おかわり」

「クライブもマギーくらい飲んでくれよ」

「じゃ僕ももう1杯」

 グラスは合わさないが2人で飲む。ジョージが2人に話しかける。

「で、最近、仕事はどうよ?」

「あたしは変わらないよ~~ 夏は忙しいわ」

 観光客が来るのはほとんどが夏の時期だ。

「僕の方は大きな遠征がキャンセルされて……まあイヴが一緒に行ってくれるって言うからプリンス・ウィリアム湾を散策してくるよ。しばらく空けるけど心配しないでくれ」

「楽しそうじゃないか」

 ジョージは笑顔でクライブを見る。オヤジに見られている感覚だ。

「ふーん。そうなんだ……」

 マギーは面白いねえ、と言わんばかりの顔をした。

 そして頼んでもいないのにおひょうのフライが出てくる。この州を代表するグルメだ。タンパクでクセのない白身の魚のフライは実に美味しい。フライをレモンだけで味わっているとまた1人、ジョージの店に客が入って来た。

「おっかなーい!♪」

「来たぞ嫁さん!」

「イヴ!!!」

 店の入り口に姿を現したのは風呂に入ってあとはもう休むだけになっていたはずなのに、服とメイクで完全武装したイヴだった。

 マギーは気を利かせたのかカウンターの席を1つずらして空けた。

「何? 私は来ちゃダメ?」

 イヴはつかつかと歩いてきてマギーが空けた席に座った。

「ビールでいい?」

 そう聞くジョージにイヴは頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る