第4話 宿屋で一服
村長宅を辞した関羽とユーリンは、フユッソ村の中央の宿屋『ルベル亭』を訪れた。
宿屋の1階は食事処兼雑貨屋となっている。広間に円形の食卓が並び、壁際の棚には雑貨が無造作に陳列されていた。
宿泊施設は2階に設えられており、2人分の滞在を申し入れると、宿屋の女将は部屋の清掃のために上機嫌で階段を駆け上っていった。
太陽が山稜にさしかかるにはまだ時間があり、広間には関羽とユーリンの2人のみが客として食卓の椅子に座っていた。
「あー、手が痛い。まったく痛い。たぶん5本くらい折れてるよ。というわけで、キミの誠意をみせてもらおう。償いの夜はさぞかし楽しかろうじゃん? この宿屋、壁の厚みは大丈夫かな」
ユーリンは手をプラプラとさせて、ことさらに苦痛を訴えるようなことを関羽に言った。
言われている関羽はセミの抜け殻のように空疎な表情のまま椅子に乗せられ、口を開けて天を仰いでいる。
耳に入ったユーリンの言葉が、口から蒸気となって抜け出ているのが見て取れた。
「お、おお。なんという……ことだ……。いまの儂ほどに哀れな人間がほかにいようか? いや、おるまいて……ああ、なんという悲劇だ……」
「聞いてるかい、ウンチョーくん? 元気を出すのはムリにしても、出しちゃいけないモノが口から出てるよ。キミ、生命マナがマジで漏れてる、そのまま飲まず食わずで40日間くらい放っておくとマジで逝くからやめときなって」
先刻の村長宅にて、関羽は衝撃を受けた。
目当てのカッサータが食べられない———その驚愕の事実を知った関羽は消沈してしょぼくれ、村長宅の床にめり込むように伏してしまったのである。
どうしたものかと困り果てる村長に謝罪をしつつ、ユーリンは左右の足を交互に出して関羽を蹴とばし、巨体を引きずり、ときおりすれ違う村人のいぶかしむ視線を笑顔でかわして、どうにかして関羽を連れて宿屋まで辿り着いたところであった。
「もはや希望もなし。かくなる上は酒浸りの老後生活でも始めようかのぉ」
「ジジづくりのワカがヤケクソやってもガキっぽさが増すだけだよ。ていうかこの村にはほかにもスイーツあるんだし、順番に堪能してまわろうよ。せっかくはるばる来たんだしさ」
「いやじゃ。『カッサータ』がいちばん気になるんじゃ。ぜったいに食べたいんじゃ」
「駄々こねジジイ風に言っても、かわいくならないね。やっぱキミ、軍神くらいしかとり得ないんじゃない? まぁ軍神は自称にしてもさ」
「軍神なんていやじゃ。むさくるしいし、危ないし、疲れるし、女子には避けられるし。……儂、
「……ほんとにキミ、前世の死後は祭られてたの? 塩粒ほどの畏敬のカケラも見つからないんだけど」
「畏敬? ありまくりじゃったらしいぞ。死後のこと故、詳細は知らぬが、転生の身を自覚した今は、なんとなくそのへんも知れるのだ」
「……まずいな。ぜんぶキミの妄想ってことにすると、きれいに辻褄があってしまう。……すげぇやべぇ誇大妄想症の男が世界に1人増えることになるけど、この世界にはお仲間はいっぱいいるからさみしくないよ。とびきりクソなこの世界に転生できてよかったね!」
「そうさな。この世界の有り様には未だ驚くことも多いが、スイーツなる文化のあるこの地で第二の生を得たことは、深く感謝しておる」
「ボクにも会えたしね!」
「うむ。それも大きな理由のひとつだ」
関羽は僅かな照れもなく堂々と断言し、精悍な眼差しをユーリンに向けた。
のろけじゃれ合いを仕掛けた側のユーリンが反射的に赤面し、テーブルに顔を伏せ、呻くように関羽をたしなめた。
「……!? ちょっ! ……ウンチョー……まだ日の明るいうちに、そんな……」
「暮れたとしても、塩粒ほども何もないであろうが……」
吐息をもらしながら、関羽は呆れた。
そこに、フユッソ村唯一の宿屋兼酒場である『ルベル亭』の主人が、テーブルに寄ってきて、関羽に声をかけた。
「やぁ、いらっしゃい。お客さん、旅の人だって? しばらく泊まってくれるんだろう? 歓迎するよ」
「うむ、しばし当地に滞在するゆえ、この宿の世話になる予定である」
「うれしいねぇ、旅のお客さんは久しぶりなんだ。いま女房が部屋を掃除してるから、終わるまでここで休憩しててくれるかい。もちろん食事をとってくれてもいい。まだ早い時間だが何か作るよ」
「これはありがたい。では何か軽い物と、当地の酒を頂戴したい。連れ合いはまだ腹に空きがない故に、儂の分だけ、手間のかからぬものでよい」
「あいよっ。じゃあ焼き菓子盛り合わせと乳酒でいいかな。すぐ持ってくるよ」
主人が去って、残された関羽は考えた。
いまの主人との会話において、妙な視線の強さを感じたためである。
ユーリンに囁いた。
(よもや……素性を怪しまれておるのでは)
(ほほう、察したかい。キミの人間的な成長を感じるね。そのとおりだよ。ここの主人さんの視線の裏には、疑うような鋭さがある。陰険でチクチクして痛々しいよ)
(儂、何か非礼をなしたか?)
(キミの挙動にいまのところ非合法を匂わせるものはない。たぶんお役目だろうね。こういう小さな村の宿屋とか酒場とかは、治安のための監視も兼ねてるんだ。ボクらの様子に狼藉者の疑いがみられたら、あの人の良さそうな村長さんにご注進する
(まずい、まずいぞ。無用に警戒されては、儂のスイーツ道楽に差し障るではないか)
(キミさえ大人しくしてれば何もないと思うけどね)
(そなたが騒擾を起こしてからでは、いかんともしがたいではないか)
主人が盆に酒器と小皿を乗せて戻ってくると、関羽はさっそうと起立して、言った。
「あいや、主どの、まずは名乗らせていただこう。姓は関、名は羽、字は雲長。スイーツをこよなく愛する者である。主殿、ご安心めされい」
いきなりの関羽の脈絡のない口上を浴びて面食らった顔を隠せない主人をみて、ユーリンは、アチャーと頭を抱えた。
しかし瞬時に、そういうノリで通したほうが簡単だ、と判断した。
人の感情の流動に乗ることにかけては、ユーリンは天下一品の船乗りである。
「ボクはユーリン。ウンチョーのお世話係の付き添い役です。飼い主みたいなもんとご認識くださいですね」
椅子に腰を下ろしたまま落ち着き払った態度で、人をとろけさせる笑顔をこしらえて、ユーリンも強引に自己紹介を済ませた。
主人が応答に窮している間に、ユーリンは畳み込む。
「彼、こんなザマをしていますが、不相応にもヨーコノートの有資格者なんです。彼のスイーツ修行の旅ということで、聖カイロリン帝の事跡に倣った道中を辿っています。こちらのフユッソ村には聖女ヨーコから直伝されたスイーツがあると、森の向こうの村でウワサを耳にしまして、今日ようやく森を抜けてこちらの村にお伺いできた次第です」
言外に「自分たちがこの村に仇なす因縁を持たない立場」であることをほのめかし、ユーリンは天凛の声音を歌のように響かせながら店主に友好を訴えた。
店主はユーリンの声に聞き惚れたように身体を硬直させたが、そのユーリンの麗しく整った顔が自分に向けられていることに気がつくと、あわてて息を吹き返したようにドキマギとした緊張を目元に表した。
ユーリンの人心篭絡の術が、容赦なく振るわれている———その光景を幾度も目の当たりにしてきた関羽は白け切った顔をすっかり隠さないようになってきていたが、当のユーリンは外野(関羽)の反応を無視して、もてあそばれる哀れな店主にトドメをさしにかかった。
「はじめて訪問させていただきましたが、のどかでステキな村ですね。宿屋も居心地が良さそうで、うれしいです」
ユーリンは、いたって無難な美辞の脇に、美貌の源泉があふれこぼれ出たかのように爛漫な笑みを添えた。
言葉が平凡であることは、ユーリンの顔により意識を向けさせるための演出である———そのカラクリを知っているのは、この場では関羽ただ1人である。
関羽は以前にユーリンのこの対人技巧の構造について「美酒を愉しむには飯が平凡である方が良い。それと同じ道理であるな?」と膝をうって理解を示したことがあるが、ユーリンは呆れむくれな不満顔をつくってそっぽを向き、以後半日は関羽の呼びかけに応えなかったのである。
関羽はそんなことを思い出したが、すぐに心を無にして、主人が運んできた酒器に口をつけた。
心労は身体に毒であることを、転生後のこれまでの経緯でさんざん痛感させられてきたのである。
ユーリンは誰にはばかることもなく、店主の心の情緒の琴線を無遠慮に鷲掴みにしかかった。
いたって自然な動作で立ち上がり、店主に顔を寄せる。
それは、ユーリンの顔を真正面から仔細に堪能でき、かつ息遣いを感じさせられる距離である。
思わず手で触れたくさせるように誘導し、けれども触れてもよい雰囲気はつくらない———そこに生じる相手の自覚なき葛藤をユーリンはほしいままに操縦し、その混乱をもってユーリンの望むところに相手の心を誘導するのである。
店主はもはや声も出ない。
ユーリンの透き通るような空色の瞳の中に、まるで心気を吸い上げられてしまったかのように呆然としている。
「ボクたちは、しばらくこちらの宿をお借りします。だからご挨拶をさせてください。ボクの名前はユーリンです。店主さんのお名前もお伺いしたいのですが、ボクに許されるでしょうか?」
「あ、あぁ、お、おれは、ルベル……ってんだ」
「ルベルさん、ルベルさんですね。よかった! お名前を知れて。ボクはルベルさんのお名前を忘れません。だからルベルさんにもボクの名前を覚えておいていただきたいのですが、お願いをしても?」
「……あ、ああ。ユ、ユーリン……さん。覚えておくよ、忘れない。ゆっくり泊まっていって、くだ、さい……?」
「そうです。覚えてくれましたね! これでボクたちはお友達ですね」
実際に、永遠に忘れない―――卓越した知性を有するユーリンであるが、こと人を記憶することにかけては、無尽蔵とも思える容量を有している。
関羽は酒を味わいながら、内心でつぶやいた。
(店の名前が『ルベル亭-雑貨販売飲食宿泊可』なのであるから、店主の名は察しがついておったであろ)
そんな関羽の呆れきった顔に気づくこともなく、ユーリンの不意打ちで情緒を無茶苦茶にされた主人は、ふらふらとおぼろな足取りで店の奥に帰っていった。
関羽は、孫のイタズラをたしなめる老爺のような表情をユーリンに向けた。
「そなた……」
「浮気じゃないよ? ただのご挨拶だよ?」
「儂の前世の一般的な挨拶とは、
「多少の腹いせ感は否定しないよ。もともと宿があるなら普通に泊まるつもりだったしね」
「先刻の若僧か。世間知らずの跳ね返りではないか。気にすることでもないと思うが」
「もちろん気にしてないさ。ただすっきりしておきたい気分だったからね。店主さ……ルベルさんで遊んじゃった。悪いことしたな」
「……のぉ。疑問なんじゃが、無闇と人を籠絡することが、なにゆえそなたにとっては心地よいのだ? 心労のほうが多かろうに」
「んー? だって、何かが自分の思い通りになったら、なんとなく気持ちよくない? 射掛けた矢でも、駆る馬でも、人の心でも……それがどんなもんでも自分の思い通りに動くと、気持ちがいいでしょ?」
「……そなた、なぜまだ刺されておらんのだ?」
「刺される、て……なんで? ボク、ボクに惚れたヤツにそんな自由を許したこと、ないよ?」
「そなた……」
「ていうか、ボクを刺せる人には最初から深入りしないもん。相性が悪い人のことね。……だから勝てるところで勝ちまくるのが当面のボクの指針さ。とにかくお友達を増やさないと」
すっかり元気になったユーリンを、関羽はまったく白け切った表情で眺めていたが、やがてぼそりと言った。
「あの主……儂のことはもはや忘れておろうな」
「うん。そうしたかった」
悪びれる様子のないユーリンだった。
テーブルを囲って、のんびりと関羽は酒を楽しんだ。口端をだらしなく弛ませ、酒精が登って身体を温める感触を味わいながら、ときおり焼き菓子をつまんだ。焼き菓子をかじるときだけ、真剣な眼差しに戻る。
「うーむ」
「どったの?」
「ふむ、さてはバターが良いのだな。平凡な材料、単純な工程、されどこの芳醇な味わい……口の中でほどける度に立ち込める馥郁たる薫り……抜群の鮮度の乳を使っておる証だ。見事な仕上がりである。『
小皿に盛られた焼き菓子をまじまじと眺めて、しんみりと関羽はそれを絶賛した。小麦とバターに甘みをつけて焼き上げただけのシンプルなものであるが、食道楽家たる関羽の鋭敏な舌は、その凡庸な焼き菓子の魅力を的確にとらえて見逃さない。
興味を惹かれたユーリンも小皿に白く細い指を伸ばして、ご相伴に勝手にあずかる。
「ふーん、そうなの? どれどれ……うーん、確かに美味しい? 気がする……なぁ……?」
「この違いがわからぬとは。嘆かわしいことだ。……これまでの道中でも感じたことだが、ヨーコ殿が遺したスイーツのレシピは、やはりその地の産物や文化習俗に根ざすように配慮されている。
焼き菓子をねっとり堪能と堪能する関羽はちらちとユーリンを伺った。雨の日に通りかかった優しい少女に庇護を求める棄てられた子犬のような目である。うるうると眼を
「キミが幸せならボクは何も言うまいて」
「そ、それでは」
「いいよ。すぐに注文しなよ。幸いにして路銀に余裕はある」
「したり! そう来なくてはな!」
「キミが幸せならボクは何も言うまいて……と、お客さんだね」
宿屋の扉が、少し開いた。そして、恐る恐るという様子で、中をうかがうようにゆっくりと動く。扉の端から、人の顔が覗いた。髪型からそれが女性であると察せられる。
「いた! あ、あれ! あの人……」
「どれどれ……わっ、すっごい……」
「きゃー」
3人の村娘である。そのうちの1人に、ユーリンは覚えがあった。
扉をほうに顔を向けて、声をかける。
「こんにちは。森の中でお会いしましたね。ご案内をありがとうございました。おかげさまで、こうして無事にたどり着けました」
「きゃー、覚えられてた!」
「いいなー」「ずるーい」
1人の村娘が頬に手を当てて恥じらい入り、それを囲って2人の村娘が囃し立てている。
キャイキャイと黄色い声をあげて盛りあがる村娘の様子を見て、関羽は理解した。森の中で遭遇してフユッソ村の所在を尋ねた折に、この村娘は、ユーリンの外面だけは完璧な容姿を目の当たりにして魅了され、ユーリンを鑑賞するために、旅人が宿泊するこのルベル亭を訪れたのである。友人を誘ってきたのは、単身でユーリンと相対する勇気がなかったためであろう。
関羽がたどり着ける程度の結論をユーリンが誤るはずもなく、ユーリンは全ての事情を理解している。しかし全くそれを表すこともなく、邪気の欠片も示すことなく、美貌の無害な貴公子然を装って、村娘たちを食卓に誘った。
「よろしければお話しませんか? この村のことなど、ぜひお伺いしたく思うのですが」
「えっ! ウソ!」「キャー、どうする? どうする?」「いく? いっちゃう?」「えーどうしよう」「いこう、いこうよ」「で、でも……」
「……ご迷惑でしょうか?」
ユーリンは、あたかも本当に申し訳なさそうに思っているかのように、少し不安そうな陰りを麗顔に作った。喜怒哀楽の適度な明暗が、自身の外見的な魅力を否応なしに増幅させることを、熟知しているのである。
村娘たちの意思力は一撃で撃沈され、まるで操られたように静かになって、関羽とユーリンのテーブルに歩み寄ってきた。
ユーリンはご満悦である。
関羽は気が気でない。
―――よくぞこうも的確に火に油をくべおって。赤唐辛子に山椒を和えるようなものぞ
関羽は
(そなた、あんな年端もゆかぬ小娘を毒牙にかけようなどと……)
(嫉妬かい? ……ていうかああいう娘っ子たちは熟女趣味のキミの範疇外だし……ひょっとしてボクの浮気を心配してるのかい?)
(ええい、茶化すな。女性嫌いのそなたが、どういう意図だ?)
(別に
(その過程でそなたが新しい厄介の火種を作ることを懸念しておるのだ。娘を狙われた父親は怖いぞ?)
(そのときは母親を味方につけて盾にするさ。あと情報収集しておきたい、『カッサータが作れない』事情についてね。キミも気になるだろう?)
(なるほど、そういうことか!)
関羽は合点して、顔を明るくした。
しかしすぐに暗くした。
(……儂、席、外そうか?)
(まったくキミというヤツは。だいじょうぶ。
(……儂、席、外したい)
村娘たちは勝手知ったる様子で他のテーブルから椅子を移動させ、夢心地といった面持ちでユーリンを囲むように、されど関羽からは自然とやや距離をとるような位置取りで、テーブルについた。
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