第6話 何気ない日常とレモネード

朝の通学路。春の陽気に包まれた並木道を、智樹とつばさが並んで歩いている。


偽装恋人生活も気づけば一週間か……。最初はどうなるかと思ったけど、なんだかんだ慣れてきたな。


つばさがふと横を向いて話しかける。


 「ねぇ、あんた。気づいてる? もう一週間よ、この“偽装恋人”生活。」


 「そうだな。最初は嫌なところばかり目に付いたけど、慣れって怖いもんだな。」


 「ほんとよね。慣れたくもないけど……」


智樹は少し笑って、冗談交じりに言う。


 「ま、偽装恋人がつばさってとこ以外は最高だけどな。」


つばさは呆れたようにため息をつきつつも、口元が緩んでいる。


 「バカ。私だって、もっとマシなやつにすればよかったって後悔してるわよ。」


二人は思わず顔を見合わせ、ふっと笑う。


……なんだよこれ。本物のカップルみたいじゃん。いやいや、そんなわけない。こいつのこと、別にそういう目で見てるわけじゃないし。


教室では、いつものように澪が笑顔で迎えてくれる。だが智樹はなんとなく、つばさとのやり取りが心の中に残っていた。


放課後。校舎の裏側にある自動販売機へ、智樹は足を運ぶ。


レモネード、今日もあるかな……。ここにしか売ってないからな。家とは逆方向だけど、どうしても飲みたくなる。


小銭を入れて、ボタンを押す。ゴトン、と音がして缶が落ちる。智樹が取り出したその瞬間、自販機のランプが「売り切れ」に変わる。


ラッキー、最後の一本か。なんか、ちょっと嬉しい。


すると背後から聞き慣れた声がする。


 「あれっ、レモネード……売り切れ? 残念。ここしか売ってないのにな~」


智樹が振り返ると、そこには少し残念そうな顔をした澪が立っていた。


 「……あー、そっか。好きだったっけ、レモネード。」


 「うん。毎日は飲まないけど、たまに無性に飲みたくなるの。」


智樹は手にした缶を見つめたあと、無言で澪に差し出す。


 「ほら、やるよ。俺はまた明日来ればいいし。」


澪は少し驚いたような顔をした後、ぱっと笑顔を見せる。


 「……えっ、いいの? ありがとう智樹。智樹もレモネード好きなんだ?」


 「まあな。あの独特の甘さと酸っぱさがちょうどいい。あそこのメーカーの中じゃ、これが一番美味いと思ってる。」


澪は受け取った缶を両手で持ちながら、嬉しそうに笑った。


 「……そうだよね、わかるなぁ。なんかね、昔からこれ飲むと元気になれる気がするの。レモネードって、優しい味がする。」


……ああ、やっぱりこの子、笑うとき本当にきれいだな。


ふと沈黙が訪れるが、それは気まずいものではなかった。ただ、静かに、時間が流れていく。


「今日はちょっと落ち込んでたけど、智樹と話せて、元気出たかも。」


「落ち込んでた? なんかあったのか?」


「うーん、ちょっとしたこと。家のこととか、勉強のこととか……まぁ色々あるじゃん。誰にでも。」


智樹は頷いた。


「わかる。俺も時々わけもなくイライラするしな。」


「……そういう時はさ、レモネード飲んで、空見上げるといいんだよ。」


智樹は空を見上げた。日が沈みかけ、オレンジ色の残照が空を染めていた。


「……ああ、たしかに。なんかちょっと、スッとするな。」


「でしょ?」


二人は少しの間、並んで空を見上げていた。


その帰り道、智樹はふと足取りが軽くなっていることに気づいた。


なんだろうな……澪と話すと、心が穏やかになる。別に意識してるわけじゃない。でも――


ふいに思い出す、今朝のつばさとのやり取り。あの自然な笑い。あの距離感。


……あいつのことは、まだよくわかんない。でも、ちょっとずつ見えてきた気もする。

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