応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 後編への応援コメント

    繕光橋さん、素敵な作品をありがとうございます!
    読んでいて最初に思ったことなのですが、登場する全員の番号が近いんですよね。同じロッドとして作られたのならそりゃそうだと言えるかも知れませんが。キャラクターほとんどの名前が数字4桁かつ頭文字「3」で被っていると、読んでいる途中で「あれ? これ誰だっけ」となる事態が頻出します。
    『百年の孤独』を思い起こしました。あの作品、一族で同じ名前ばっかりつけるから「アウレリャノ・ブエンディア」なんか20人近く出てくるんですよね。他の名前もかぶるかぶる。微妙にミドルネームなどでバリエーションを付けたり付けなかったりするんですが。『百年の孤独』において、同じ名前のキャラクターは大体性格が似ていて、似たような運命を辿ります。そのために、読者は似た名前のキャラクターを重ねて見てしまうのです。つまり、一瞬区別が付かなくなることに意味があったと言えましょう。
    この作品では、子守ロボットたちはそれぞれの個性やポジションを持っているため、方向は違いますが(または、個体差があるキャラクターたちの区別がつきにくいこと自体に、物悲しさをもたらす効果があるのかもしれませんが)、運命と言う点においては類似の効果が発揮されているのではないでしょうか。「エモーションドライブは失敗した。プロジェクトの子守ロボットたちは、3か月後の更新以後、青い光だけしか表現できなくなってしまったからだ。」というラストの一節が、こんなにも効く理由の一つには、ネーミングがあるように思えます。名付けには宿命めいたものを感じさせる力がありますから。
    やっぱりポンとこの結末が置かれているのかっこいいですよね。でも唐突な感じはあんまりしない。本作では様々な情報が巧みにコントロールされているため、「何かある」と読者に確信させるヒントがありながら、後半のサビに入るまでそれが明かされない。
    例えば開幕で3361号が慌てたように取り繕う部分では、具体的に何があったのかの情報はほとんど匿されています。何らかの「批判」めいたことを口にしてしまって、それを偶然3687号に聞かれてしまった、ということのみが読み取れるばかりです。具体的な3687号の事情は伏せられたまま進んでいきます。「先生」とのやりとりの部分においても、同じように。でも方向性のリードみたいなものは確かにされていて、それが読み手にとっても一種の推進力になる。
    また、情報のコントロールは描写においても効果を発揮しています。
    「僕らは感情機能を下賜された。それは僕らが受け取ったものであって、決して自分たちの中で形成されたものではなかった。」
    「だから、たまに同窓会のようなノリでの集まりを理由付けに、僕らはそのデータを収集されるんだ。思いも、念いも、収集され、嘘偽りなく解析される。」
    以上のような部分を読んでいて思うのは、明言することはないけれど、確かにもやもやする部分があるのでしょう。気持ちの揺れのような部分が巧みに書きこまれていると思いました。
    ここからは一言ずつのコメントみたいな感じになるんですが、読み進めていく中で、子守ロボットと言う設定が先にあるところから書かれたのかなー、みたいなのが感じられて面白かったです。
    また「禿頭の眩しい研究管理者」はきっと頭テカテカで冴えてピカピカなのでしょうね。勝手にパロディを感じてくすりと笑いました。
    あと「だからこそ、究極的な局面を迎えたなら、僕はエモーションドライブをデリートするだろう。」という一節が、とても切なくて好きでした。『もはや食後ではない』もそうなのですが、繕光橋さん作品の硬派な語りやユーモラスな言葉が詰め込まれた雑駁で豊かな言語世界のなかに、ふっと胸を締め付けるようなフレーズが光るところ、好きです。
    評議員としてだけでなく、「祝福としての文学」を書くという形でも参加していただけて、とても嬉しかったです。

  • 後編への応援コメント

    ロボットと心という昔からSFで哲学で取り上げられてきたものでありながら、今また考えられ始めてきているような問題、遼遠のときも感じたのですが、本当に時代に即したものを掬い取るのがお上手で、すごいなぁと思います。
    内容も素敵で、今、しんみりとした読後感に浸っています。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

     黒石てゃ。
     楽しんでいただけたみたいで良かったです。僕の作品なんて、言わば思想つよつよ突き抜けマンの物語なので恐縮ですが、皆様が描くあたたかみを持った作品への憧れもよく溢れ出してきます。
     ほんま皆様を大尊敬です。
     そんな中、お褒め頂いてありがとうございました。ニマニマした顔のオッサ…お兄さんを、また一人この世に産み出してしまったな。
     これからものんびり宜しくお願い致します。

  • 後編への応援コメント

     子守を担うロボットに感情の機能が搭載されているがゆえに生じる葛藤を描いた作品です。ロボットならではの感情が揺さぶられる描写に、私の心も悲しみに引き込まれました。
     物語は悲しい結末を迎えます。ドラえもんのオマージュでありながら、悲しみの色である青に染まるという終わり方は。何とも皮肉さえ感じます。「祝福としての文学」というお題を考えると、最初は悲しみが祝福と結びつくことに疑問を抱きました。しかし、よく考えてみると、「悲しいことを悲しいこととして表現する」ことに、確かに救いを感じる人がいるのだと気づきました。この作品は、そうした人々にとっての祝福となり得るのでしょう。自分自身、悲しみを皆が喜びとして祝う世界にずれを感じる人々のための文学だと感じました。そのような人々を拾い上げる、そんな祝福なのではないでしょうか。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     作中最後に登場した青年。前加害者家族の世話先、「ユピテル」は、実は文盲という設定があったのです。日本は識字率が99%であり、若い方は存じないでしょうが、日本ですら文字を読むことが出来ない1%が確実に存在しています。
     僕は小説を書くときに、「自分が小説で愛を伝えることができる人物とは、文字を読むことができ、それも日本語読者に限られる」という圧迫的な閉塞感に襲われました。僕らが当たり前に過ごしている中に悲しみがある。
     そこを、この「文盲だった人物が主人公を再び求める手紙」は、物語が悲しみ一色のみに染まらないためのバランサーとして注ぎ入れました。
     オチとしてこの結果に至ったことは、むしろ極端な結果を踏んだというロボット側の悲劇です。そのロボットが目に映しているのは、実は、(ぜんこうばしの作風なんだけど、)人間なんす。こんにちは人類。