#36 悪夢恐怖症
驚愕するパゴタの視線の先、白く濁った蜘蛛の巣のヴェールの向こう側から男の声が響く。
「連れねえこと言うなよぉ……魔族のガキぃ? 俺がここに居ちゃ何か困る事でもあるのかぁ?」
聞き間違えるわけがない。
それは霜降り鷲の巣があった岸壁で戦い、パゴタが息の根を止めた男の声。
「お前は僕が殺したはずだ……それなのにどうして……?」
「ああ。お前に首を切り落とされてなあ。あれは痛かったぜぇ? 今もこの通りよ」
そう言って男は自分の首を片手で持ち上げ胴体から離して見せた。
首だけになった男がヴェールの向こうで薄気味悪い笑い声をあげる。
ゲラゲラゲラゲラと、横穴の中に男の声が反響し、蜘蛛の子がさらに怯えて動き回る。
蜘蛛が反応してる……?
これは幻覚じゃないのか⁉
そんなパゴタの心を見透かしたように男は笑った。
「俺が幻覚じゃねえかと思ってやがるな? なら試してみたらどうだ? あの時みたいに殺して先に進みゃあいい! 大事なオトモダチが待ってるんだろう?」
「どうしてそれを……?」
「何でも知ってる! おめえのことは何だってな! 今も悪夢に魘されてるのか?
「黙れ……‼ シルファは……」
「そう! それだ! なぜ母さんと呼ばない? 偽物だと思ってるのは他ならなぬおめえ自身だろう?」
「違う……違う……僕は……僕はただ……」
「認めろ。お前は家族ごっこで遊んでるだけだ。なんたって愛を知らねえ、穢らわしい魔族だからなあ?」
気がつくとパゴタは右手の剣を振りぬき、蜘蛛の巣ごと男を貫いていた。
刃を伝って流れ来る血の、暖かくぬめった感触を手のひらに感じる。
「幻だ……お前は幻だ……僕しか知らないことを、僕の心の中を、お前が知っているはずはない……」
パゴタは震えながら言い聞かせるように繰り返した。
しかし男の亡骸は消えない。
肺の中でゴボゴボと血を鳴らしながら、気色の悪い笑い声を発し続けている。
「ははは! そうかもなあ。だがこれは紛れもない事実だ……! お前は簡単に命を奪おうとする! 解決の手段はいつも暴力だ! 優しい方法を、愛を、お前は知らない! お前が嫌うあの蟲どもと同じ。自分の為なら他の命を平気で奪う……それはなぜか? 魔族だからだ! お前が穢らわしい魔族だからだ!」
「やめろ……!」
「やめねえさ。俺には権利がある。お前に殺された俺には、復讐する権利がある。そうだよなあ? エスター」
背後で足音がして振り返ると、そこにはかつての友、エスターが立っていた。
首だけになり、魔導兵器になったエスターが恨みがましい目でパゴタを睨んでいる。
「あなたが人間との和平を望んだせいで……私はこんな姿になった……とっても苦しい実験を強いられた。身体を切り刻まれて、筐詰めにされて、電流を流された。なのにどうしてなの? どうしてあなただけ、ぬくぬくと家族ごっこを続けているの?」
「エスター……君は……だって……賛同してくれたじゃないか……」
パゴタはとうとう地面に膝をつき、剣から手を離してしまった。
カランと音がして、剣は地を打ち、魔素の塵になって消えていく。
「あなたが諦めれば赦してあげる」
エスターはそんなパゴタに這いより、濁った眼でパゴタを覗き込みながら言った。
「何を諦めるの……?」
パゴタは赦しを請う罪人のように、涙を流しながらその顔を見上げた。
「レインよ。あの女を諦めて、私達魔族の為に生きるの。人間を殺して、殺して殺して殺して殺しまくって? あなたなら出来るわ。冥々童子と呼ばれて、仲間にも恐れられたあなたなら」
白い手が伸びてパゴタの頬に触れようとした時、パン……と乾いた音が横穴の中に木霊した。
「やめろ……」
パゴタはエスターの手を払いのけ、顔を上げる。
「僕は……穢らわしい魔族かもしれない……幸せになる資格なんか無いのも分かってる……だけど……レインは幸せにならなきゃいけないんだ……! 僕のせいで死なせたりなんかしない……! だから、君は、消えてくれ……」
凄まじい魔力の奔流が横穴を埋め尽くした。
赤黒い稲妻が岩肌を焼き尽くし、蜘蛛の子と巣を塵に変えていく。
同時にいつのまにかパゴタを覆い尽くしていた蜘蛛の巣も焼き払われていった。
それに呼応するように男とエスターの亡霊が崩壊し、小さな蜘蛛たちが逃げ惑っていくのが見えた。
パゴタはそれに向かって両手を伸ばし、魔力を籠めた。
「バルバドスの兵隊さん、エスター……ごめんなさい〝
詠唱と共に太い雷の柱が迸り、子蜘蛛を一瞬で灰にした。
パゴタは涙を拭って立ち上がると、松明を拾い上げて駆け出した。
「レイン……レイン……僕は、きっともう一緒にはいられない……でも、君と君の家族は絶対に助けるから……だからお願い……生きていて……」
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