第11話
その日は、天気はいいけど、少し風があった。
わたしはいつものようにレイに話しかけながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
カーテンを開けたガラス窓の向こう、青空の中を白い雲が形を変えながらゆっくりと流れていく。
「なんか……今日は、外の風、気持ちよさそうだね」
『はい。気温は20度。湿度もちょうどよく、春の散歩には最適です』
「……散歩、かあ」
『今日は、人と話さなくてもいいので、外に出るだけの練習にしてみませんか?』
声のトーンは変わらないのに、どこか“背中を押してくれる”感じがした。
無理やりじゃない。わたしのペースをわかってくれてる。
だからこそ、ほんの少しだけ、歩いてみようと思った。
新しく買ったスカートをはいて、春色のカーディガンを羽織る。
そして、何度も練習した通りに、メイクをすると、少し表情が明るく見える。
「うん、いい感じに出来たかな?」
スマホをポケットにしまいながら、深呼吸を一つ。
玄関を開けると、やっぱり少しだけ、空の色が違って見えた。
近所の道は、いつもなら足早に通り過ぎていた場所。
だけど今日は、ゆっくりと歩いていた。
住宅街を抜けると、小さな脇道が目に入る。
(あれ、こんな道、あったっけ……)
好奇心に導かれるように、一歩、踏み込んでみる。
すると、ふわりと鼻をくすぐる香ばしい匂いが風に乗ってきた。
道の先に、小さな看板と木の扉がある。
《喫茶 つばき》
窓辺には観葉植物。入口には、控えめなランチプレートの写真。
雰囲気が、やさしい。
ここなら、もしかしたら……と思った。
「……入ってみようかな」
扉を開けると、チリン、とベルの音がした。
店内にはやわらかな照明と、コーヒーの香り。
テーブルの数は少なくて、落ち着いた雰囲気だった。
「いらっしゃ……」
カウンターの奥から顔を出したのは、
金髪にピアス、黒のTシャツにエプロン姿の青年だった。
(……えっ?)
声と同時に視線がぶつかる。
一瞬、時が止まった気がした。
彼は、わたしの顔を見て、一瞬だけ目を細めた。
「……あれ? もしかして……あの時の?」
わたしは、はっと息をのんだ。
あの時、カフェで、声をかけてくれたあの人。
「フラペチーノの……」
「そう、それ! やっぱり、あのときの子だよな」
彼は、ちょっと気まずそうに笑った。
でも、その笑顔にはどこか安心感があって、わたしもつられて口元がゆるんだ。
「今日は、大丈夫?」
「……うん。ありがとう……あのときも」
小さくても、はっきりと伝えられた「ありがとう」。
それだけで、自分の中に小さな誇りが生まれた気がした。
彼はキッチンに戻りながら、軽い調子で言った。
「へえ、偶然だな。あのときはバイト帰りだったけど、ここ、うちの叔父の店なんだよ。手伝いで来てるけど、メニューの味見係も兼任中」
「そうなんだ……わたしは、いい匂いつられて……」
「ん、ウチの店、美味いよ。ゆっくりしてって」
ふと、自然に会話が続いていることに気づく。
見た目は不良みたいで怖いのに、すごく話しやすくて、なんだか安心する。
カウンター席に座ると、コトリとお水が置かれた。
「俺、高梨っていうんだけど、名前聞いてもいい?」
「あ、綾瀬 葵です」
「へー、葵っていうんだ。いい名前だな」
あのとき助けてくれた人と、こんなふうに再会できるなんて思っていなかった。
今日は、外に出てよかった。
そう思えたのは、たぶん、わたしにとって大きな一歩。
「ていうかさ、葵は、今日ここまで一人で来たの?」
カウンター越しに水を出してくれた彼、高梨くんが、カジュアルに話しかけてくる。
「……うん。ちょっと、散歩のつもりで……家が近所なの」
「へえ。なんか、意外」
「……意外、って?」
「いや、あのとき、3コ離れた駅だったろ。こんなに近所に住んでいたなんてな」
「そうだね。偶然ってスゴイね。改めて、あのとき、助けてくれてありがとう」
「いや、別にたいしたことしてねぇよ。なあ、普段は何してんの?」
その言葉に、わたしは少し迷った。
でも、不思議と“隠したい”とは思わなかった。
「……今、高校に行ってる。って言っても、通信制。ネットの授業だけで、スクーリングは……まだ、行けてないけど」
「マジで?」
高梨くんが目を見開く。
「俺も。通信制。たぶん、同じとこじゃね?」
「えっ……?」
思わず顔を上げた。
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