6-4
「絶対救う……なんて言ったものの……」
詩瑠の口から弱気なセリフがこぼれた。
居てもたってもいられず、次の日から大学の図書館に籠もって調べ物に当たっている。目の前には山のように積まれた本や新聞、そして色々と書き殴ったメモの束。
努力はしている、しかし成果が見えるにはまだ至っていなかった。
――改めて、矢成氏と桂から聞き取ったあったか荘の問題は、ごくごくシンプルだった。
桂さん曰く、あったか荘の建物と守り主である大家さんは一切不可分な関係。
なんでもあったか荘自体がそもそも大家さんの容れ物として作られたモノらしいのだ。壮大な話にも思えるけど、建物というのは元来そういうモノに適しているらしく、昔はよくあることだったらしい。神社やお寺、教会なんかがいい例だ。
それ故、建物の老朽化が進むと大家さんの力が減退し、大家さんの力が失われて建物の老朽化が進むという、まさに悪循環。
では、大家さんの力の源泉が何かというと、住まう人々の活力や幸福。由来は座敷わらしとしての特性らしい。
住人が多く住んで活気づけば、そのお裾分けを吸収して大家さんの力になる。
だから、スープを作って食べるという一見妙なルールで、住人の交流を強制的に生み出す仕組みにしたのだそうだ。
その仕組みは結果的にうまくいっていた。十分な活気は大家さんに潤沢な力を与え、それは桂さんの生命力と、住民へささやかな幸運という形で還元される。
しかし、近年は入居者が減少。
加えて、入居する住人の妖の血が薄まっている傾向があり、力の吸収の効率がガクッと落ちているらしいのだ。
さらに建物の老朽化でも効率の低下は起きているようで、減少のスピードは加速度的に増しているとのこと。
「じゃあ建物を建て替えればいいじゃん……って思ったんだけどなぁ」
話を聞いた詩瑠は真っ先にそう提案した。
でも「それはできないんだ」と、苦笑いの桂から即座に却下されてしまった。確かにそんな誰でも思いつきそうなこと、二人が検討していないわけないよねとも思うけど。
彼曰く。
「彼女はもうこの家と深く深く結びついている。……結びつきすぎてしまってる。だから、建物を壊した瞬間に彼女の存在が揺らいでしまう可能性が高いんだ」
過去に大規模なリフォームをしようとしたことがあったけど、その時も大変なことになってしまった、とも。
確かにそんなことがあれば、慎重になってしまうのも無理はない。
じゃあ単純に入居者を増やして貰える力を増やす方法も考えたけど、こちらは口に出す前に矢成氏から却下されしまった。
「建物は本当に限界なんです。私も不動産のプロ。これ以上入居者の皆様の安全を脅かすことはできません。そんな状況で新しい入居者だなんて、とても」
新入りの詩瑠はイマイチ実感が無かったけど、あったか荘は相当危ない状態みたい。入居者の何人かも「やっぱりね」みたいな表情をしていた。
何より、話をする矢成氏の顔は苦しそうだった。
なんとかしたい。
詩瑠も心からそう思っているが、打破するきっかけが見つからない。もどかしい。
コペルニクス的転回、コロンブスの卵。そういう新しい発想が見つかれば。
他の入居者も、自らの伝手を辿って各々動いてくれているらしい。入居者だけじゃない、あの場にいた平安や父も手を挙げてくれた。
皆それぞれ社会に出て長いから、培ったつながりや活かせる経験もたくさんあるんだろう。世間知らずの詩瑠とは違って。
「……ううん。弱音を吐いてる場合じゃないよね」
静かな図書館に配慮して小さく頬を叩いてから、詩瑠は立ち上がる。
人と比べてもしょうがない。自分だからこそ出来ることがきっとあるはずだ。
幸い、この大学の図書館は充実している。
詩瑠の入学した建築学科関連の本や論文もたくさんありそうだった。他には、妖怪に関する伝承や民俗学なんかも役に立つかもしれない。
少しでも関連のありそうな本を手にとって抱えていく。
あれもこれもと、タイトルで気になったものは全部。
そうしていると、気づかぬ内に両手には塔のように本が積み上がっていて。
「おっと、とっと」
ゆらゆら揺れながら、視界さえ塞ぐほどの本を落とさないよう慎重にゆっくりと席へ戻る詩瑠、だったが。
ドン――ドサドサっ。
「あ、あっ!すみません!」
誰かとぶつかってしまい、抱えていた本を全部ぶちまけてしまった。
謝りながら詩瑠は慌てて本を拾い集めていると。
「ほっほ。これは勉強熱心な娘さんだの」
皺くちゃで骨ばった手がにゅっと伸びてきて、落とした本を拾い上げてくれる。
受け取って「ありがとうございます」と顔を上げてみると。
そこには、優しそうな笑みを浮かべた高齢の小柄な男性。たっぷりとした太眉と口ひげあごひげ、撫でつけた髪も全部真っ白。大学の図書室に居るということは、どこかの教授だろうか。
彼は詩瑠がぶちまけた本を一瞥して、ズレた眼鏡を直しながら言う。
「建築学、時事問題、民俗学、伝記、神話……いやはや。これはまた、ずいぶんと幅広い本を手に取ったねぇ」
ほっほ、となおも優しい顔で笑う老教授。正直、慣れない大学施設に緊張もしていた詩瑠は、その笑顔でホッとした。
しかし本をすべて拾い集めてなお、メガネの奥で細めた眼がじっと詩瑠の顔を伺っているのが気になる。
「あの、私が何か……?」
「ほっほ、これも時代かのぉ。……おっと、これまたすまない。新入生が入る時期というのは、若い空気が一気に吹き込んでこう、ワクワクするものでな。ついつい興味深く観察してしまうのだよ」
「どちらかの学部の先生なんですか?」
「あぁそうだ。ちょっと待っておくれ……ホレ」
懐から取り出したパスケース。そこには目の前と変わらぬ笑顔の写真。そして――。
「白澤、教授……建築学科?!」
思わぬ偶然に、詩瑠は見開いた目をパチパチ瞬かせる。
「私も、建築学科の新入生なんです!」
「ほぉ、こりゃ嬉しい奇遇だのう」
そして詩瑠は思わずパパッと髪や衣服を手で整えてから。
「右芝 詩瑠です! 今年からよろしくお願いします!」
「ふむ、こりゃご丁寧に。ワシは白澤じゃ。学科では主に歴史的な建築の保存や改修を専門に教えておる」
柿渋色と白銀色の頭が交互に下がり、再び目が合う。
やっぱり教授は変わらず、詩瑠を観察するような視線だ。
まさか、ビックリするあまり狸耳や尻尾が出てたか? と思ったけれど、ササッと触ってみてもその感触は無い。
だから恐る恐る聞いてみる。
「あの、やっぱり教授。私に何かその、気になるところが何か……」
「ふむ。……では若者の探究を邪魔してしまった詫びに、少しばかり老骨を役立たせて貰おうかの」
「え」
「調べ物、行き詰まっておるのだろう? こういうのは、他人に話してみると存外妙案がスルッと出てきたりするもんじゃ」
「そんな、良いんですか?!」
「ほっほっ。若者との交流は楽しみでもある。ぜひ御一緒させて貰えると嬉しいのだが。それとも迷惑だったかの?」
とんでもない。願ってもないことだ。
教授が名乗った専門分野は、まさに詩瑠の悩みと近いところ。感謝こそすれ迷惑なんて以ての外。
「迷惑じゃないですっ。ぜひ、ぜひぜひお願いします! 私、本当にきっかけが掴めなくて困っていて。でも、絶対解決したいんです。きっとできるはずなんです! ……どんなことでもいいんです。私だけでできないことでも、何か好転できる、きっかけを……!」
必死に、必死に頼み込む。
言葉にする内にだんだんと涙が浮かんできた。
幸運な出会いが、差し伸べられた救いの手が嬉しくて。同時に、何も進まない現状がもどかしくて苦しくて。
「ほほ、どれどれ、いったん落ち着いて。まずは、君の事情を聞かせてくれないかな? 想いを共有したほうが良い道が見つかる。なんとなく、そんな予感がするんじゃ」
「はい……」
「決まりじゃ。さて、それには本より言葉より何よりも先に、あったかい飲み物が必要になるのう。近くに飛びきり薫り高い紅茶が飲める喫茶店があるのじゃが、紅茶はお嫌いかな?」
「いえっ、だ、大好きですっ」
「ほっほっ、重畳、重畳。では行くとしよう。本は一旦、受付内に預けておこうかね。教授の特権もたまーには役に立つのだよ」
お茶目に下手なウインクをする白澤教授に従って、詩瑠はキャンパスの外へ。
未知への期待感と春の暖かい空気が、自然と足取りを軽くさせた。
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