5-4
詩瑠はふと思いとどまる。
気をつけるって、何を? あったか荘に居るみんな妖混じりだったのだから、今更隠す必要もないんじゃない?
ただこれまで、詩瑠以外の住人の「そういう面」は見たことがなかった。
隠す必要がないはずなのに、住人同士も同族だと知っているはずなのに、みんなさらけ出していない。もしさらけ出していたのなら、いくら詩瑠が鈍かったとて気づいていたはずなのだ。
「どうしたの、シルちゃん?」
怪訝な顔をしていたのを目ざとく見つけた透里が、小首を傾げて尋ねてくる。
今日はこの少しあざといキャラの方でいくようだけど、いちいちヘイ兄ちゃんがギラっとした目を向けるから、正直やめてほしい。面倒臭い。それとも、面白がってわざとやってるんだろうか。
「いえ、あの……みんなどうして、あったか荘の中でも妖混じりのことを出さないで生活してるのかな、って……。だって隠す必要、ないじゃないですか」
「あぁ、そういうこと。ふふ、シルちゃんは知らなかったんだもんね。そっちの方がビックリだよ。まぁ鈍チンなところも純朴で可愛いなぁって思うけどねぇ」
「も、もう透里さん、からかい過ぎです! 私、本当にショックだったんですからね! 自分だけ知らないでいたなんてそんな――」
「仲間はずれみたいだって? なるほど、若い悩みだねぇ」
コロコロ笑う透里が、突然自分の頭の上に手を乗せる。
そしてスッと退けると。
「ほら、これで仲間の証かな?」
そこには髪の色と似た薄褐色のふさふさ三角のケモノ耳。
「尻尾も自慢だから見て欲しいところではあるけど、ここで服を脱ぐのは流石にちょっとアレだからね。……でも見ての通り。ボクも妖狐の末裔の末裔、そのまた末裔って感じだよ。だいぶ血が薄まってるからね。耳と尻尾が出る以外は、特になーんもないよ」
「あらぁ、その胡散臭い化けの皮の多さはー、狐のせいじゃなくてただ性格が捻くれてるだけなのねぇ」
「はっは、相変わらず酷いなぁラミ姉ぇ。でも俳優は天職だと物心ついた頃から感じてたから、もしかしたら少しだけ影響あるのかも?」
「透里さん、俳優さんだったんですね……私、それも知らなかったです」
「それは隠してた方が面白いかなって思って。ほら、いきなりテレビとかで見かけたら、シルちゃん良いリアクションしてくれそうじゃない?と言っても、まだ『売れない』が頭に付くような下っ端だけどね」
サインねだるなら今のうちだよ? と糸目で器用にウインクしつつ、透里は言葉を続ける。
「なんていうかさ。ボクらはみんな大体こんな感じで、妖の部分なんて何の役にも立たないし、表に出すメリットなんて無いって実感して生きてきてるワケ。シルちゃんもそうなんじゃない?」
「…………はい」
「だから、隠して生きる日常がもう当然になっているというか。別にもう、あえて出したいとか、隠すことが苦しいとか、そういう感じじゃなくなってるんだよね。出したっていいこと無いんだもん。それって、周りが同じようなヒトだからって変わることじゃないと思うんだよね」
「そういう、ものでしょうか」
「わかるよー。押し付けられる『当然』に納得いかないのも若さだよねー。『ありのままのワタシを受け入れられないのは辛い!』みたいなの、あるよね。……でもさ、シルちゃん」
「はい?」
「よく考えてみて。それって、人間なら誰でもそうじゃない?」
ぐいっと顔を近づけて問う透里の言葉に、詩瑠はビクっとして静止する。
わからない。そう、と言われてもピンとこない。
数秒待って詩瑠から返事がないことを確かめてから、透里は人差し指を狐耳に当てて再び話しだした。
「誰だって、人と違うところをどこか抱えて生きてる。そこが嫌いだ、恥ずかしいってなるとコンプレックスになる。ボクらはちょっと見た目でわかりやすいだけ。おしりに地図みたいなアザがあるとか、オヘソがちょっと出てるとか、親知らずが生えてるとか。みーんなと同じ。同じだってわかってるから、別にあえて出さなくてもイイかなって」
そんな風に考えたことなんて、無かった。
恥ずかしい――と思ったことはあまり無かったけど、それは周りが優しい人たちばっかりだったから。
でも、「たぬきを見られないように隠す訓練」を泣きながらやった幼い記憶は、どことなく「見せてはいけないモノ」という強迫観念につながっていた。
なんで私だけ、苦労して見られないように生きていかなきゃいけないの?
どうして私だけ、ありのまま生きるのが普通じゃないの?
羨ましい。憧れる。私も「ただの人間」で生きてみたい。
思わず父の顔を見る。酒で赤らんで、目はほんのりトロンとしているけれど、話を反芻している詩瑠を何も言わずじっと見ている。
知らなかったけど、考えもしなかったけど、お父さんもそんな風に思って生きてきたの?
「あぁ、でもシルちゃんの感覚が間違ってるとは思わないよ? 世の中にいる妖怪混じりの人たちには悩んでるコもいっぱい居るし、ボクらだってもちろん葛藤が無いわけじゃないし、ね。ただここは――あったか荘は、あえてさらけ出さなくても居心地がいい場所ってだけだよ」
「でも、でもだって、妖しか住めないんでしょ?」
「そりゃ誰だって『事故』はあるからね。化けるのが上手くない人だって居るわけだし。アリィちゃんなんかそうだよ」
名前の挙がったアリィの方を見ると、急に水を差し向けられたせいか少しだけ嫌そうな顔をしながら、ため息をついた。
「ちょっと、アンタが始めた話でしょ? 最後まで責任持ちなさいよ」
「まぁまぁ。アリィちゃんお話上手だから、ついつい頼っちゃうんだよね」
「まったく口ばっかり回るんだから……そうよ。アタシは小豆あらいってのが混ざってるんだけど、泣いたりするとお肌に出やすくってね。もーやんなっちゃうわ」
そう言って、アリィがぐいっと袖をまくる。
すると、そこには薄紫色でほんのり湿った凹凸のある肌が。一番近しいので言えばカエル、だろうか。
「アリィちゃんさんはじゃあ、それが見られるのが嫌で隠して……?」
「違うわよ」
あっさりと否定。
「別に見た目を多少言われるのなんて、オネェをからかわれるのに比べたらどうってことないわ。ただこの肌、お化粧がスルッと取れちゃうのよ。嫌じゃない? せっかく頑張ったのが、泣いた瞬間ドロって取れちゃうんだもの」
「そ、そうですか」
「アタシはこの肌がなくっても、ハート鍛えられてるからね。実際、オネェつながりで別のところに泊まったり住んだりなんてするけど、気にしてないわよ。むしろ一発芸にして笑ってもらってるわ」
「……すごいです」
「そうよ。すごいのよ、アタシって」
この先どんな人生を送っても、こんな風にはなれないだろう。
あまりにも清々しく割り切ったアリィの前向きさに、今度は詩瑠がため息をつく。
みんなすごい。
それに引き換え自分はウジウジと悩んで周りを責めて、でもそんな自分は嫌いだから心の内にこっそり隠して。
……カラン。
詩瑠がそっとおいたスプーンが、小さく音を立てる。
隣の平安がそっと肩に手をおいてくれるけれど、その感覚が遠く感じる。
アリィが「ちょっとどうしてくれるのよこの空気」と透里をなじるのも、遠くに聞こえる。
このままじゃ、また暗いところに戻ってしまう。
助けを求めるように、憤りをぶつけるように、詩瑠は父を見た。相変わらずトロンとした顔。
一回口を開いて、閉じて。
息を吐いて、意を決して、言葉にする。
「……お父さんはどうして、私をここに入れさせたの? お父さんが決めたんだよね。お父さんがここじゃないと上京は認めないって。……全部知ってたんでしょ? あったか荘がどんな場所か。たぬきを隠して、人間の社会で暮らしたいって私の気持ちも」
「おう、そりゃもちろん」
「じゃあ……じゃあどうして!」
「娘だからだ」
父のきっぱりとした声が返ってくる。
明確で反論を許さないような、強い言い切り。
でも、どこか丸くてあったかい声音。
「そりゃ、娘だからだ。……そりゃ心配するさ。当たり前だ。それ以上に、応援もしてやりたかった。だったら、少しでも危険が少ないところに住んでもらいたいじゃないか。だが頭ごなしに妖専用のシェアハウスに住めなんて言ったら、受け入れられないだろう。ましてや、自立しようとしてる、大人になろうとしてる子どもに偉そうなことは言いたくない。だからあえて伝えなかった。勝手だよな? でも親の動機なんてそんなもんだ。子どもには幸せになって欲しい。危険な目にあってほしくない。それ以外は何も望まねぇよ。……大きくなった子どもに親がしてやれることなんて、大してないんだからな」
目と目が合う。
瞬間。
詩瑠の顔がボッと熱くなった。
同時に、色んな感情が湧き上がってくる。これまでの記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
そんな感情の濁流の中で一番上へ浮かんできたのは――羞恥だった。
恥ずかしい。
恥ずかしい、恥ずかしい。
勝手に邪推して、勝手にから回って、勝手に落ち込んで、勝手に責めて。
自分がどうしようもなく恥ずかしかった。
冷静に考えれば、あの父が裏切るような意図で隠し事をするはずも無かったのに。
そう。冷静じゃなかった。必死だった。
新しい生活を上手にこなせるように。慣れない共同生活で嫌われないように。ハリボテの夢を叶えられるように。自分の進んだ道が間違いじゃなかったと思えるように、そう思い込んで。
「自分のことばっか考えて、何も見えなくなってた……」
ぽたり。
目の端から、雫がこぼれる。
茶色いスープに波紋は起きない。
どうしよう。
せっかく、お父さんと話して前を向こうって思ってたのに。
こんなんじゃ、みんなの顔を見れない。
詩瑠が拳を握りしめた――その時。
「それの何が悪いんだ?」
父の声が響いて、ハッと顔を上げる。
「当たり前だろ。みんな、自分のために自分の人生を生きてるんだ。何が悪い? 何がおかしい? 普通だ普通」
「え?」
「あのな、詩瑠。お前が考えてるほど、人は他人のために生きてない。自分の幸せのために生きて、あふれた幸せをほんの少し周りに分けて、分けてみたらそれが結局自分の幸せになって。結局、中心は自分のためなんだよ。てか、自分を幸せにしたくないやつは、他人を幸せになんて出来ないんだよ」
パチクリ、目を瞬かせる。
すると、ぼやける視界の中でみんながウンウンと頷いた。
「みんな同じだ。人間だろうが、妖怪だろうが、妖怪混じりだろうが。みんな他人に見せたくない悩みを持ってて、みんな自分中心に生きていて、みんな時々間違える。詩瑠、お前は普通だ」
普通。
そっか。普通。
褒め言葉でも、貶し言葉でもない。普通。
でも、今の詩瑠には何よりも欲しくて、心の内に染みる言葉だった。
そしてたぶん、他の誰に言われるよりも、一番しっくりきた。
「そっか、私、普通だったんだ」
「あぁ。普通だ」
「お父さんも?」
「俺は違う。俺はスーパー父ちゃんだからな」
「……ふふ、なにそれ。料理も失敗するくせに」
「よく考えてみろ。あんなド派手に失敗する奴、他にいるか?」
「自分で言っちゃうんだ」
「あぁ。……親ってのは、娘の前では特別でいたいもんだからな」
そう言って、父は赤ら顔を背けて酒をあおった。
ちゃんとは見えなかったけど、父も恥ずかしそうな顔をしていた気がする。
自分によく似た顔。
「お父さん。ありがとう」
「ん」
「私、あったか荘で良かった。ここが、ここのみんなが大好き。ここにいたら、自分のことをもう少しちゃんと見れそう。普通の自分が、本当は何者になりたいのか」
「そうか。そりゃ、よかった」
「ありがとう、お父さん」
「俺は何もしてないし、お前もこれからだ。」
「うん」
詩瑠は改めてスプーンを握りしめる。
もう湯気は立っていないはずなのに。口に運べば運ぶほど、内側がぽかぽかした。
父の言う通り、まだまだこれからだ。
でも、今こそちゃんと前を向ける。
今こそちゃんと言える。
「私、大好きなあったか荘で、前を向いて始めなおすよ!」
――そう、宣言したのに。
「お取り込み中、失礼します」
和やかなあったか荘の居間へ、不意に硬い声が差し込まれる。
それは、終わりの始まりを告げる声だった。
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