第16幕ー透明で強靭ー

スクリーンの中、図書室での会話は続いていた。


『もう今日は帰っちゃう?』


『うん、いいよね。』


なんていう間に2人ともさっさと荷物をまとめ出している。


図書館から廊下に出た時。彼のリュックにキラッと光るものを見た。


『…可愛いキーホルダー。くじら?』


『うん、僕も好きだからね、大きいもの。

これはシロナガスクジラ。

誰とも群れずにひとりで悠々と海を泳いでる』


『ひとり…でも寂しくないんだろうな。

なんか、いいなぁ』


広い海で悠々と泳ぐクジラを想像する。と同時に中2のあの窮屈さを思い出して、言葉のあとに、少しだけ静寂が落ちた。


『その景色、想像するとちょっと寂しいけど… 綺麗だなって思った。』

彼が、いつものトーンで答える。



 『綺麗…』


綺麗。

そんな捉え方もあるんだ。

不思議と、背筋がしゃんとする気がした。


悠歩は小さく笑って、つやつやと光る金属製のキーホルダーをいじりながら口を開いた。


『僕はさ…海の生き物を守ったり、あの深くて、まだ誰も知らない世界を覗いてみたい。冷たくて静かな深海も、嵐みたいな荒れた海も、ぜんぶ受け止められるような、そんな存在になれたらって…だから将来は、海の研究をしたい。海洋学者になりたいんだよ。』


さらりと、でもはっきりした声で将来の事を口にした悠歩は眩しかった。


この頃の同年代には、頑張ることや努力することをどこか“かっこ悪い”とする空気があった。夢なんて叶うわけないとごまかしたり、からかったり——。


しかし真っ直ぐに夢を語る彼は、そんな同級生たちより何倍も美しかった。


『あ、ごめん…語りすぎた?』


『ううん…。全然そんなことない。

すっごく素敵な夢だよ。応援する!』


ユイナの心の底からの声が出た。


彼はすごい。私にはまだわからない。自分が何者になるのか。どうなりたいのか。


いつか、彼のようになれればいい。


そんな想いを込めて見つめた。


照れた表情を見せる悠歩。


『ありがとう。

うん、有言実行する。

もう失敗したくないんだ。』


『…失敗?』


意外な一言に驚いたが、悟られないように聞き返す。


『あぁ、僕、中学受験したんだ。海嶺学園。あと少しだったんだけど、ダメだった…悔しかったー。…うち、経済的に余裕がないから特待狙いだったんだよね…。ま、もう過去の話だし、吹っ切れた。まだチャンスはある。外部受験の特待枠なんて、本当に狭き門だけど…やるしかない。』


彼が目指すのは全寮制の名門校だった。いつも穏やかな彼の、思いがけない過去。そして、芯の強さが垣間見えた。


『……母さんたち、すごく謝ってた。

試験落ちたの、僕もなのにね。

……気を遣わなくていいのになぁ』


『あっ……。』


ユイナもどこかで重なる感覚を思い出した。


***


『ごめんね、また出張なの』


いつかの母の声が、心に響く。


中学生になった今は、もう慣れっこだと思っていた。だけど、そんなふうに何度も謝られるたびに、どこかで、寂しさが小さく積もっていた。


『もう私は中学生だし、大丈夫だよ』そう言えたらいいのに――言葉にできないまま、笑っていた日々が、確かにあった。


***


『私も…分かる気がする。うちも同じ』

少しの沈黙のあと、ユイナがぽつりと続ける。


『そうなの?』


『うん、うちは親が忙しくて、あんまり一緒にいられなかったの、でもね…』


少し言葉に詰まる。

なんて言うか…


『『大事にされてるって、ちゃんと分かってた』』


思いがけず、二人の言葉が重なった。

言いたいことは同じだった。

驚いて顔を見合わせて、それからふふっと笑った。


親のほうが引け目を感じていることを、子どもは案外分かっている。でも、大切にされている実感があるから、責めることはしない。


その寂しさごと、大切にできるだけのやさしさと強さが、2人にはあった。


『なんか似てるね。』


『うん。びっくりした。』


そう言った後、また目を合わせて、口元を緩めた。言葉にしなくても通じ合えるものが、たしかにそこにあった。


他の同級生たちとは違う空気感。

特別で、誰にも踏み入れさせない聖域。

なんていうと、少し大袈裟かもしれないけど。

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