第6話 二人のお姫様
アリシエルは気が付いたら暗闇の中にいた。
突然後ろから出てきた大きな蜘蛛の群れに驚き、〝残念王子〟と呼ばれた人物にぶつかってしまったのは覚えている。
そこから不思議な浮遊感につつまれ、次の瞬間には目の前が真っ暗になっていた。
「葵さーん!」
呼びかけてみたが返事はない。音の反響の感じから、まだ
(やっちゃった……)
〝残念王子〟にぶつかったせいで葵に使おうとしていた力が自分に向かってしまい、彼の代わりに洞窟内のどこか別の場所に転移させられた。きっとそんなところだろう。
つまり、今は近くには誰もおらず、暗い洞窟内に、ただ一人。
「……っ」
そんな考えが頭を過ぎった瞬間、アリシエルの心に恐怖が生まれた。
暗い。怖い。
心臓の鼓動が高くなっていき、冷や汗が頬を伝う。
呼吸が、浅くなる。
独りがこんなにも怖いなんて忘れていた。
違う、大丈夫なはずだ。
自分は暗いのには慣れている。
独りなのにも、慣れているはずだ。
「すぅ、ふぅ……」
恐怖に陥った時、まずは深呼吸をすること。自分の唯一の世話係にして、師であった人物の言葉を思い出す。
彼女は言っていた。恐怖に囚われるな。考えるのを止めるな。思考を放棄した人間には、死が待っている。
彼女のように立派な人物になりたい。与えてもらった自由を諦めたくない。
そのために、葵たちには無理を言ったのだ。
こんな所でうずくまっているわけにはいかない。
(まずは視界を……)
指先に少しの魔素を集め、祈りを込める。
「
暗闇に生まれた小さな火は、洞窟内を薄く、ぼんやりと照らしてくれた。
やはり、先ほどまでとは別の場所にいる。何もない空間が目の前には広がっていた。
先が見えない。
同じ一階か、それとも別の階なのか……。
アリシエルは洞窟の闇を見据えながら、次の行動を思案した。一人でダンジョンを探索できるとは思えない。やはりこの場に留まるべきか――
「――――!?」
突然、背後から唸り声が聞こえた。
低い、飢えた獣が出すような音。
嫌な予感が全身を支配する。
何も見ずに、走り出した方が良かったかもしれない。
だが、アリシエルは振り返った。
そして、見てしまった。
「ひっ……」
全身が赤黒い鱗に覆われた、人の何倍も大きい巨躯。
丸太よりも太い手足。その先端に鋭利な鉤爪。
金色に光る眼と、縦長の瞳孔。
そして、背には巨大な翼。
その姿を、アリシエルは絵本で見たことがあった。
ドラゴン。魔物の中でも上位に位置する強敵の象徴。
どうやらその巣に、アリシエルは飛び込んでしまったらしい。
圧倒的な絶望を前にして、全身の力が抜けていく。
抗いようのない死のイメージに、全身が勝手に機能を停止しそうになる。
「ん……!」
だが、アリシエルは何とか膝をつきそうになるのを堪えた。
考えるのを、止めてはいけない。
ズン、とドラゴンが地響きを鳴らして一歩近づいてきた。
突然目の前に現れた餌を不審に思っているのか、こちらを様子を伺いながら、ゆっくりと、だが確実に。
歯がガチガチと震える。
それでもアリシエルは心を奮い立たせ、
「―――氷の精霊よ」
詠唱を始めた。
「全てを終わりに導く白銀の女王よ。そなたの息吹を紡ぎ、結合し、我が敵を貫け!」
右手をかざす。
体に染みついた経験に任せて口を動かし、魔素を練り上げる。
頭上、何もなかった場所に甲高い音と共に小さな氷塊が現れ、それはすぐにアリシエルよりも大きい氷柱となった。
「―――
アリシエルの命に従い、氷柱が放たれる。
槍は大気を切り裂く音を立てながら、ドラゴンの顔に直進した。
迫る攻撃を前に、ドラゴンは微動だにしない。
氷槍はドラゴンの眉間を正確に捉え――、
砕けた。
破砕音をまき散らし、氷の塊は細かい欠片となっていく。
ドラゴンには傷一つ付いていなかった。
しかし、アリシエルはその結果に落胆などしていない。
先ほどの魔法はけん制の一撃。少しでも怯んでくれれば嬉しいと思ったに過ぎない。
踵を返し、走り出した。
(このまま、このまま……!)
ドラゴンから少しでも距離を取ろうと、懸命に手足を動かす。
その後ろで、空気中の魔素が震えた気がした。
肩越しに背後を見る。
ドラゴンの顎の隙間から、炎が見えた。
ブレスが来る。炎が放たれる。
こんな所では、終われないのに。
地面に足を取られ、体が浮く。
無情にも迫る熱を感じ、思わず目を閉じてしまった。
炎に焼かれる自分の姿が脳裏を過ぎり、恐怖に身が硬直する。
鳴り響く轟音。
「……あれ?」
痛くない。熱くない。
いつまでも訪れない終わりに、アリシエルは恐る恐る目を開けた。
遅れて、自分が誰かの腕の中にいる事に気が付く。
顔を上げる。
初めに目についたのは綺麗な白い髪。
長髪がさらりと流れ、顔が露わになる。
繊細なまつ毛に大きな目。少女特有の愛らしさを主張する、小さな赤い唇。
「すまん、遅くなった」
アリシエルは、少女姿の遠野葵に抱かれていた。
◇◆◇◆◇
「すまん、遅くなった」
なんとか間に合ったことに安堵し、俺は腕の中に納まったアリシエルさんの姿を確認した。良かった。どうやら怪我はないようだ。
「ほら、立てるか?」
呆然とした様子の彼女をゆっくりと足から地面に降ろす。体に力が入らないのか、俺の服の袖を握り締める手は震えていた。
唇もわなわなと震えている。しかし、力なく開かれた口は、何かを伝えようとしているようだ。
「あ」
「あ?」
彼女の口から漏れた音を聞き取ろうと、口元に耳を近づける。
「あ゛お゛い゛さ゛ーん……!!」
「いっ!?」
直後、大音量の泣き声をあげながら、アリシエルさんが飛びついてきた。
耳の痛みとのしかかってくる重み。俺は思わず抗議しようとし、
「わた゛し゛、こわくてっ……」
けれど、「わーん」子供のように泣く彼女に、口を噤んだ。
どうやら相当怖い思いをしたようだ。
「頑張ったな……」
渚の小さな時を思い出して、あやすように背中を優しく叩いてみる。
効果があったのか、しばらくして涙は少し収まったようだ。大音量の泣き声がすすり泣きに変わった。
「少女よ! 早く手を貸したまえ!!」
少し離れたところから今度は別の声がかかる。
アリシエルさんの背中を撫でながら視線を送ると、〝残念王子〟がドラゴンと対峙していた。爪と牙による猛攻を、至近距離で懸命に躱し続けている。
「うるせえ! もうちょっと気張ってろ」
だいたい、あいつが
アリシエルさんを五階層まで跳ばしたと聞いた時は焦り、さらには『ありったけの力を込めたから』と魔素切れで再発動は無理だと言いだした時はぶん殴りたくなった。
怒りに任せて手持ちのポーションを口に突っ込み、強引に魔素を回復させたのだが、その分アリシエルさんを助けに来るのが遅くなってしまった。
つまり、全部あいつが悪い。もうちょっと罰を受けるべきだろう。
魔素ポーションも高いのに。
とはいえまた、流石にもう限界なのか、無理な
仕方ない。そろそろ助けてやるとしよう。
「ちょっと待ってろ」
「……あい」
コクリと頷いたアリシエルさんから体を離し、俺は改めてドラゴンを観察した。
赤黒い鱗に炎のブレス。全長は十メートルほど。体格からして若い火竜――フューズ・ドラゴンだ。どうやら不運にもコイツの巣に跳ばされたらしい。
「おい、クソトカゲ」
俺は火竜を睨みつけ、体内から魔素を放出した。
無視できない
俺の存在に気が付いた
大気を通して肌が震える。
意に介さず、俺は左腰の刀を抜いた。
竜の口腔からチロリと炎が漏れた。
芸の無いことに、再びブレスを撃ち込むつもりなのだろう。
ガパリと大きな顎が開かれる。
俺は右足に力を込め、大地を強く蹴った。
同時、放出された
構わず俺は突進。
両目にも魔素を集め、炎を視る。
炎に内包された鮮やかな
ブレスが身に届く直前、魔素が薄い部分に向かって刀を振り下ろした。
炎が分かれ、道が開かれる。
勢いを殺さずそのまま火竜に肉薄した俺は、
「は――――っ!」
返す刀で首筋を切りつけた。
手に残ったのはほぼ無に等しい手応え。
ずるり、とドラゴンの首がずれていく。
着地した俺に数秒遅れ、ドスン、と重い音を立て、地面に首が落ちた。
火竜に向き直る。
一部が黒い霧となって消滅し始めたことを確認してから、俺は刀収めた。
「……ふぅ。よし、討伐完了っと」
少し乱れた呼吸を整える。
幸いなことに牙が残ったようだ。想定外のことはあったが、魔石と
怪我の功名と思うことにしておく。
「……ん?」
これで邪魔者がいなくなったと思ったら、洞窟の奥からズンという地響きが届いた。
巨大な影が、姿を現す。
「ぐす……。もう一匹いたんですね」
現れたのはまたしてもフューズ・ドラゴンだった。仲間がやられたことに怒っているのか、低い唸り声を上げながら近づいてくる。
「ああ。アリシエルさんは下がって――」
「いえ、今度は私もやります!」
「……え?」
驚く俺をよそに、アリシエルさんが一歩、前へ出た。
「―――氷の精霊よ」
凛とした声で奏でられたのは、氷の精霊への祈り。
「全てを終わりに導く白銀の女王よ」
火竜がアリシエルさんを見据え、灼熱の門が開き始める。
「統べるは死と永遠、澄んだ絶望。生あるもには終焉を。そなたの息吹が世界を染める」
彼女を庇おうとし、俺は動きが止まった。
とてつもない量の魔素がアリシエルさんから溢れ出した。
色は鮮やかな緑。
先ほど、〝残念王子〟の
辺り一帯を染め上げた魔素が、右手に収束していく。
炎が放たれる。
直後、
「―――
パキン、と空気が割れたような音を立てて、世界が凍った。
フューズ・ドラゴンの赤かった鱗も、アリーから前方の洞窟内全ても、気が付けば白く輝いていた。
後方、効果範囲外のはずのこちらの表皮が、極度の気温の低下に痛みを覚える。
それを成したアリーが、ふぅ、と白い息を吐く。
そのことがきっかけになったように、直立不動だったドラゴンの体にピシリとひびが入り、すぐにガラガラと崩れていった。
「やりましたー!!」
くるりとこちらを向いたアリーが、満面の笑みで飛び跳ねる。
「あ、ああ……」
俺は曖昧に頷くことしかできなかった。
凄まじい威力の精霊魔法だった。
今まで見た中の最高峰の魔法にも迫る――いや、凌駕する威力。
それにしても、これは――
「え……? は……?」
俺以上に間抜けな声に、つい、と視線を向ける。
そこには尻もちをついた状態の〝残念王子〟。そして、彼の後方にはジーと
あ、マズイ。
「……あー、アレだ、さすがエルフだ!!」
このままではヤバイことになる気がして、俺は咄嗟に声を上げた。
「いやー、すごいな。エルフは。――な? 〝残念王子〟」
〝残念王子〟に近づいていき、バンバン、と肩を強く叩く。
その目を強く睨みつけながら。
「いや……え?」
「な?」
「あ、ああ、そうだ、な。すごいなエルフは。ハハハ」
「だろ? ハハハハハ」
魔法に優れたエルフならこれぐらい普通。
なんとか視聴者の認識がねじ曲がらないかと祈りながら、俺は〝残念王子〟とともに乾いた笑いを出し続けた。
無邪気にぴょんぴょん、飛び跳ねるアリシエルさんを見つめながら。
ああ……俺はもしかして、とんでもない子を拾ってしまったのかもしれない。
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