第9話 死とは
死とはなんだろう。
死という言葉に闇が連想されるのは、目を閉じるとそこに闇しかないからだろうか。
だけどあたしは違う。
目を閉じてしばらくすると、そこにはキラキラした輝きが見え始める。
暗闇だったその先が、いつの間にかキラキラへと変わっていた。
『危ない所だった』
『よくやったわ、セリス』
『こんなに素敵なレインなのに壊さないの!』
そんな声が……聞こえた気がしたの。
『それはなに? なに?』
『またえらく小さな
『それが気に入ったの? 壊さないでね』
キラキラの中で誰かが喋っていた。
『これだけ大きいキャンバスだと運ぶのもたいへんね。壊してしまいそう』
『あたしがやろうか?』
『ダメダメ! フィリアじゃ絶対壊す!』
『なんでよ!』
『そのまま置いておきましょうか』
――ごめんね。張りきってちょっと大きくし過ぎたね。
『この赤いのに城を掃除して貰いましょ!』
『あら、名前が付いてるわ。ベスですって』
『リリ! 食べちゃダメだって!』
『うっわ、なに食べてんの。こんなもの口にするなんてホント、エルフよね』
――ベスならあたしも食べたよ!
『スカーレットレイジ、あんたに返すわ。だから……昔みたいに戻っても構わないのよ。ね……』
彼女に似合わない、哀しそうな声……。
『見て! 大烏の羽が抜けてた。ほら!』
『他の魔剣もあちらさまにお返ししましょう』
今度は嬉しそうな声。
『ずいぶん羽が抜けたわね。身体も小さくなった。それに比べて……』
『フィリアのお腹、大きくなった!』
『いつやったんだよ……』
『男はね、逆らえないのよ。どんな時だって』
それからしばらくして、声がふたつ増えた。
『これ、あなたが好きだった人なんでしょう? あなたが昔のあなたに戻りさえすれば、きっと戻ってくれるわ』
諭すような声。冷たい言葉はどこにもない。
『レイリアがね、下の町に棲みついた男と一緒になりたいなんていうの! あたしに勝てたらって言ったんだけど、レイリア、その男を庇うのよ! 信じらんない!』
今度は怒っていた。
『レイリアの生んだ赤ちゃん、めっちゃめちゃカワイイの! あたしの子供たちに負けないくらい!』
楽しそうに笑う彼女。感情豊かでこっちも楽しくなる。
『見て! ルルもフィリアみたいにできたよ!』
『どうやったんだよ……』
『エルフって人間と子供が作れたの!?』
ただそれもしばらくして……。
『ルルが死んじゃった!』
『あたしより先に逝くなんて……』
『こいつが悪い! こいつが悪いんだ!』
『やめなさいリリ! ルルが望んで残した子なの!』
そしてまた、フィリアも居なくなった。たくさんの子供たちに看取られて。
『どうしても行くの? 最後までレインの傍にいてあげられないの?』
『リリはもう十分生きた。精霊になってレレが残したこの世界を見守る』
長い時間の先、二人だけになった声がそんな言葉を交わし合った。
そしてまた、長い長い時間が過ぎ――――――
「マリア…………マリア、目を覚まして」
懐かしい声が聞こえた。いつぶりだろうか、人の声を聞いたのは。
キラキラから目覚めたそこには、あの懐かしい昔のままのレインが居た。
「レイン……」
言葉が声になった。ハッっとして思わず口に両手をやると、そこには右手と左手が。
足元を見ると、ちゃんと右脚と左脚が。あたしはベッドで横になっていた。
「体を起こすよ。大丈夫? セリスが話したいって」
レインが片手をあたしの背の下にやり、ゆっくりと起こした。
ベッドの脇には、深い青のローブにつばの広い三角帽子、だけどずっと背の低い人影が居た。あたしに向かって顔を上げると、そのつばの下から人形のように整った顔が現れた。現れたのは顔だけだった。腕も、脚も、身体もなかった。
「ごめんなさい、あまり時間が無いの。だけど間に合ってよかった。レインは少し外して」
ああ――と頷いて部屋を出ていくレイン。
「あの、あたし、なんにも変わってないように思えるんだけど……」
「……でしょうね。ああは言ったけれど、作り変えたらそれはもうあなたじゃない」
「じゃあなんで……」
「結局…………レインにはあなたしかいなかった。フィリアとあれだけ子供を作っておいて、よく言うわねって思うけどね、私も」
「うん、あたしも思った」
「ふふっ、男は勝手よね。――彼の憎しみは
「ズルいね」
「男が勝手な分、女はズルくてもいいの。ああでも……あなたの身体を蘇らせるとき、お腹の中だけ私の物に入れ替えちゃったの。未熟だった私のわがまま、許してね」
「しょうがないな。セリスの子供をたくさん産むよ」
「嬉しいわ、マリア」
あたしは小さなセリスと抱き合った。
「レイン! レイン、こっちに来て!」
セリスの声にレインがやってくる。
レインはセリスの前に両膝を突く。
「もうお別れなのかい? セリス」
「ええ、あなたと一緒に過ごせた日々、温かかった」
「感謝してる。君を選べなかったことは――」
「それは言わないの。フィリアも、ルルもリリもみんなあなたを愛していたから、それだけを憶えておいて」
「ああ。ありがとう」
レインはセリスを抱きしめると、頬に口づけをした。
セリスの白い肌が、気のせいかほんの少し赤らんで見えた。そしてセリスは消えていった。
「ありがとう……」
セリスに感謝した。彼女は、いえ彼女たちは、一生をかけてレインを昔のレインに戻してくれたんだ。
「マリア、立てるかい?」
「ええ」
自分の脚で立つのは久しぶりなのに、あたしの脚はしっかりと石畳を踏みしめていた。
レインに促されて歩いた先には霜に覆われたキャンバスがあった。
やがてその霜が消えていくと、そこにはあたしの描いたレインが居た。隣に立つレインと同じレインに見えた。
「僕はこの絵の僕が憎かった」
「えっ?」
「こんな幸せそうな僕は許せなかったんだ。……だけど許せるようになったのはフィリアやセリス、ルルやリリのおかげなんだ」
「みんなレインが大好きだったものね」
「僕は泣いていた。いつも泣いていた。けど、この中に君を見つけて――」
レインが見せたのは小さな小さなキャンバス。ルチアとタチアナが作ってくれて、あたしが左手に装具を身に着け描いた小さな小さなあたしだった。とても上手とは思えない、黄色をいっぱい使ったあたしだった。自画像なんて、絵が売れてからは描いたことが無かった。
「――キラキラ輝いていたんだ。この中の君が」
「うん、あたしの
あたしはレインと抱き合った。
ゼファルの事は忘れたわけじゃない。だけど今はレインがいちばん好き! 理由なんてない。レインを愛しているし、フィリアも、セリスも、ルルもリリもみんな愛してる! 酷い目にもあったけれど、あたしはいま生きている。それで十分! 生きてるなら、嫌いよりも大好きがいっぱいあった方がいいもの!
おしまい
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