Dead Man's Hand 魔煌童子編

綾野智仁

第2部 魔煌童子編

プロローグ

デッドウッドの悲劇01

 1876年8月2日水曜日。アメリカ中西部、雨に煙るデッドウッド。デッドウッドはオークやシラカバが生い茂る『ブラックヒルズ』という山岳地帯にあり、付近の川できんが見つかると『ブラックヒルズ・ゴールドラッシュ』が起きた。



「どうせ銃を撃つなら大義や正義のためじゃねぇ、金のために撃つぞ!!」



 ならず者たちも一攫千金を夢見てデッドウッドへ押しよせてくる。デッドウッドは硝煙とタールの匂いでむせ返る無法者の街と化していた。この日も、数日前から続く長雨のせいで街中の酒場に鉱夫や流れ者があふれ返っている。街の東にある酒場『サルーン・ナンバー・セブン』も例外ではなく、男たちの怒声と女たちの嬌声が店の外まで聞こえてくる。



『夏の長雨は縁起が悪い。雨雲が悪魔を連れてくる』


 

 そんな噂があったことなんてみんな忘れている。やがて日が落ちると、降りしきる雨のなか『サルーン・ナンバー・セブン』の前で馬が止まった。馬の背に乗っているのは彫りの深い精悍な顔立ちに口髭をたくわえた四十前後の男だった。男は馬から降りると店の前にある馬止めに馬を繋ぐ。拍車に付いた泥を少し気にしたあと、茶色のレザーハットをかぶり直して木製スイングドアを押した。男が入ると金髪の若いバーテンダーが駆けよってきた。



「お久しぶりです!! お元気にされていましたか!?」

「ああ、なんとかな。それにしても、だいぶ賑わっているじゃねぇか」



 男は店内を見渡しながら目を細めた。店内にはギャンブラーや売春婦が居座り、怒鳴り声と歌声が入りまじる混沌とした賑わいをみせている。バーテンダーは店内を見渡しながら苦笑した。



「雨のせいで幌馬車隊も足止めをくらっているんです。みんな、ジェーン・バトラー・ヒコックが来たと知ったら驚きますよ!!」

「……」



 青年の朗らかな声を聞いた男は太い眉をひそめ、眉間に深い皺をつくった。



「おい、本名で呼ぶな。バーテンダー、お前の仕事はなんだ?」

「す、すいません、ビル……ワイルド・ビル」



 無法者が幅をきかせるデッドウッドで堂々と本名を名乗るガンファイターはいない。本名を名乗るヤツがいるとすれば、よほど腕に覚えがある自信家か、勘違いの自惚れ屋だった。どちらにしろ撃たれて早死にしてしまう。銃弾は正面から飛んでくるとは限らない。



「今度から気をつけろ……」 



 ビルは雨で濡れそぼったダスター・コートを脱いでバーテンダーに手渡した。腰に付けたホルスターでは愛用する銀色の回転式拳銃リボルバー、『コルト・M1851・ネイビー』が鈍い輝きを放っている。



──この街を訪れる連中もだいぶ変わったな。軍服は見かけなくなったか……。



 ビルは南北戦争に北軍として参加した。そのときの負傷で上唇がめくれ上がったままになり、顔つきからワイルド・ビルと呼ばれている。ビルがカウンターへ近づくと、いかにもゴロツキといった風体の酔っ払いたちが席を空ける。広々としたカウンターへ両手を乗せるとバーテンダーが注文を聞いてきた。



「何にしますか?」

「ウイスキー。ダブルじゃ駄目だ。目いっぱいだ。わかるだろ?」

「はい。畏まりました」

「……みんなは?」

「奥に集まっています。みなさん、お待ちかねですよ」



 バーテンダーは店の奥へ視線を送る。そこでは5~6人の屈強な男たちがポーカーに興じていた。全員、ビルとは南北戦争時代からの戦友だった。



──みんな、変わってねぇな。



 ビルは、なみなみと注がれたウイスキーを一気に煽って仲間たちの元へ向かう。男たちはビルに気づくと一斉に立ち上がった。



「「「よお、ビル!! よく間に合ったな、待ってたぜ!!」」」



 男たちは両手を広げて歓迎する。ビルは一人一人と熱い抱擁を交わした。



「みんな、待たせて悪かった」

「おいおいビル、久しぶりじゃねぇか。リトルビッグホーンでクレイジー・ホースと戦ったんだろ!?」 

「そりゃ何の冗談だ? 俺はもう戦争なんかしねぇ」

「そうなのか?? キャスターと一緒にインディアンに殺されたって噂が流れてたぜ??」

「バカ言ってんじゃねぇ。俺はこの通り生きてるだろ?」



 ビルが呆れていると仲間の一人がカウンターへ向かって大声を張り上げた。



「おい、ワイルド・ビルさまのご到着だ!! 酒だ、酒を持ってこい!! それと、ゲームも仕切り直すぞ!!」

「相変わらず、声がでけぇな。まあ、座らせてもらうぜ」



 ビルはホルスターを椅子の背もたれへ乱雑にかけると、木を軋ませながら勢いよく腰かける。堂々とした仕草は風貌も相まって歴戦のガンファイターそのものだった。実際、ビルはジェーンというお淑やかな本名からはほど遠い賞金稼ぎをしていた。


 ビリー・ザ・キッド、クラントン兄弟、ヤンガー一家……南北戦争のあと、ビルは名のある悪党たちを墓場送りにしてきた。ただ、戦う相手は同じガンファイターだけではない。


 『ワイルド・ビルは幽霊を撃つ』……仲間たちに言えば冗談だと一笑に付されてしまうかもしれないが、ビルの裏の稼業はゴースト・ハンターだった。


 賞金稼ぎになって賞金首をいくら吊るしても稼ぎはたかが知れている。だが、ゴースト・ハンターは金になった。事実、ビルを雇うのは資産家が多い。財産を築くために、どれだけの恨みを買ったのかは知らないが、幽霊は豪邸や鉱山、果ては教会まで……いたる所に現れて資産家たちを悩ませた。


 幽霊が雇い主を殺す前に特注の『コルト・M1851・ネイビー』でもう一度あの世へ送る。「言ってみりゃ、害獣駆除業者みたいなもんだ」と、ビルは気軽に考えていた。



──俺は幽霊どころか運だって見える。さて、今日の運勢はどうなってやがるか……。



 ビルは配られたカードに視線を落とした。クローバーとスペード、8とエースのツーペアだった。手札の右端ではハートのキングが一人で嗤っている。ビルが目を細めると正面に座るジェイクが尋ねてきた。



「おい、ビル。どうなんだ?」

「まずまず……だ」

「本当か? いつも『まずまず』って言うじゃねぇか」

「俺はソリッドだ。ブラフなんて使わねぇよ」



 笑いながらビルはふと、ジェイク越しの人影に目をとめた。カウンターの前に佇む人影は、あまりにも酒場の喧騒に相応しくない。



──俺が店に入ったとき、あんな奴いたか??



 年は5~6才だろうか。黒いレインコートを羽織った子供が立っている。黒々とした髪が印象的だった。



──インディアン? いや、違う。東洋人だ……それにしても……何かがおかしい……。



 ビルは疑念にかられて目を糸のように細めた。誰もが子供に気づいていない。酒場のなかで子供は孤立した存在だった。黒い前髪が目にかかり、表情はわからない。しかし……。



──あのガキは俺を見てやがる……人間か? それとも、幽霊か?



 ビルがそう思っていると子供はゆっくりと右手を上げ、おもむろにビルを指さした。その口元はニヤニヤと笑っている。



──!?



 紅い口が歪んで開くのを見たビルは今までに感じたことのない恐怖を感じた。インディアンにアウトロー、幾多の命知らずと対峙したときとは別次元の、心臓を冷たい手でそっとなでられるような感覚。ホーンテッド・マンションで幽霊の家族を見たときだってここまでの恐怖は感じなかった。



──ち、ちくしょう。身体が動かねぇ……。



 ビルは身体が竦んで動けなくなった。声を出すことすらできない。



──こ、これは……。



 戦慄のなかでビルは思い出した。数年前、西部を巡業するウエスタン・ショーで一度だけ一緒になったスー族の族長……シッティング・ブルと呼ばれる年老いたインディアンの勇者はこんなことを言っていた。



「ビル、この大自然をうやまうのだ。いつ、いかなるときも、人知を超えた何者かは必ず存在する。暗闇から差し伸べられた手は人知れず幽世かくりよへといざなうのだ。もし、他者には見えず、自分にだけ見える存在と戦うのなら、奴らの表情に注意しろ。奴らが笑いかけてくるのなら……そのときがお前のだ」



 恐怖の理由に思い当たったビルの顔から生気が消えた。



「……そうか、お前が俺のか」



 ビルが呟いた瞬間、背後でカチリと撃鉄の引き起こされる音がした。ビルがこの世の最期に聞いた音は、乾いた金属が擦れ合う聞き慣れた音だった。

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