第43話「先頭車両の小さな冒険」
電車に乗るとき、私はよく一両目の一番前へと足を運ぶ。座席がすべて埋まっていても構わない。子どもたちがいなければ、あの場所は私のお気に入りの特等席だ。
透明な窓ガラスの向こう、まっすぐに延びる線路。青い信号が小さく点滅し、やがて暗いトンネルの口が迫ってくる。ゴウン、と車輪が音を立ててその闇の中へ飛び込み、しばしの間、世界は墨を流したような黒に染まる。
そして次の瞬間、ぱっと光が差し込む。トンネルを抜けるあの瞬間が、どうしてこんなにも胸を高鳴らせるのだろう。まるで短い夢から目覚めるような、そんな感覚にいつも少しだけ酔いしれる。
電車は淡々と線路を走っているだけだ。だけど私には、まるで自分だけが特別な冒険に出かけているように感じられる。テーマパークのアトラクションみたいに派手な演出はない。風を切ることもなければ急降下もない。それでも、この窓の向こうに広がる景色は、毎回ちょっとだけ違う顔を見せてくれる。
ある日、同じ場所に小さな男の子とそのお母さんが立っていたことがあった。男の子は両手でガラスに張り付き、次々と変わる景色に「あそこ知ってる!!」「早いねぇ!!」と歓声を上げていた。お母さんは少し恥ずかしそうに笑いながら、「今日はいっぱい電車に慣れるからね」と耳元でささやいている。おじいちゃんおばあちゃん家にでも行くのかな。
私は少し離れたところからその光景を眺めながら、心の中で小さく頷いた。そうだよね、この景色はちょっとした魔法みたいなんだ。大人になっても、私がここに立ち続ける理由はきっとそこにある。
同じ路線、同じ時間、同じ街並み。変わらないはずの毎日の中にも、少しだけ胸が高鳴る瞬間がある。先頭車両の窓から見える風景は、そんなささやかな楽しみをこっそり用意してくれているのだ。
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