50(2) 黒翼の夜

 歴史的な四国会議から、二ヶ月の月日が流れた。


 大陸を吹き抜ける風は、もはや冬の厳しさを忘れ、生命の息吹きを感じさせる、暖かなものへと変わっていた。


 今は五月。俺が転生してからもう一年経ったのか……。


 そして、その風に乗るように、ルディアの名と、俺たちが掲げた「大陸自由交易憲章」は、驚くべき速度で世界に浸透していった。




 本庁の執務室。俺の目の前の机には、もはや処理しきれないほどの羊皮紙の山が築かれている。




「──以上が、この二ヶ月間の成果報告です」




 ミレイが、充実感に満ちた表情で報告書を読み上げる。その声は、以前の王都の文官だった頃とは比べ物にならないほど、力強く明るい。




「まず、大陸自由交易憲章。現在、原加盟国の四カ国に加え、西方の港湾都市群と、南の山岳地帯に住まうドワーフの一族が、正式に加盟の意向を示しております。これにより、憲章の経済圏は、大陸の三分の一を覆う規模にまで拡大しました」


「順調すぎるくらいだな」




 俺の言葉に、同席していたアイゼンが、珍しく同意するように頷いた。彼は、四国会議の後も「王都からの連絡調整役」という名目で、なんだかんだルディアに滞在し続けている。




「帝国の自滅、と言うべきでしょうな。彼らがこれまで行ってきた高圧的な外交と経済支配に不満を抱いていた国々は、我々が用意した新たな選択肢に、雪崩を打つように飛びついた。帝国は今、自らが蒔いた種の結果に、苦しんでいる頃でしょう」


 


 その言葉通り、帝国の動きは、この二ヶ月、不気味なほど静かだった。


 表立った軍事行動も、妨害工作も鳴りを潜めている。まるで、巨大な獣が、傷を癒すために巣穴に閉じこもっているかのようだ。




「そして、こちらがアルブレヒト辺境伯からもたらされた情報を精査した結果です」




 ミレイが、別の書類の束を差し出す。四国会議の後に行われた会談で帝国の内情を暴露し、正式に亡命を認められた辺境伯は、今や「対帝国情報分析局・特別顧問」という肩書で、アイゼンの監視下に置かれている。




「彼の情報によれば、帝国内部の派閥対立は、我々の想像以上に深刻化しているとのこと。特に、皇子ジェイルの強硬策に反発する古参の貴族たちが、水面下で独自の動きを見せている、と。これを突けば、帝国を内側から揺さぶることも可能かと」


「奴らの足元にも、火種が燻ってるわけか」




 俺は頷き、次の報告に耳を傾けた。


 トモが率いる使節団も大きな成果を上げていた。「ルディア留学制度」への問い合わせは百件を超え、大陸中から様々な技術者や学者が、この新しい国に興味を示し始めている。




「よし、上出来だ」




 人口は増え、技術は向上し、経済圏は拡大していく。俺が描いた「盤石な国づくり」は、着実に、いや、俺の想像を遥かに超えるスピードで形になっていた。


 だが、問題がないわけではない。




「……だが、カイの旦那。人が増えりゃ、当然、文化の摩擦も増える。街がデカくなりゃ、隅々まで目が届かなくなる。最近、小さな揉め事や、どこの誰とも知れない連中がうろついてるって報告も増えてるぜ」




 警備の責任者であるザルクが、腕を組みながら厳しい表情で言う。


 そうだ。国が大きくなるということは、守るべきものが増え、抱えるリスクもまた、大きくなるということだ。




「わかってる。だからこそ、今、必要なんだ」




 俺は、立ち上がり、窓の外に広がる、活気に満ちたルディアの街並みを見渡した。




「俺たちが、何のために集い、何を目指しているのか。この国に住まう全ての民が、心を一つにするための、象徴的な『何か』が」




 俺の言葉に、会議室にいた全員が、顔を見合わせた。




「……つまり、どういうことだ?」




 フィオナが、不思議そうに問いかける。


 俺はニヤリと笑って、仲間たちに向き直った。




「理屈は法律だけじゃ、人の心は繋がらない。難しい話はもう十分だ。──たまには、バーっと馬鹿騒ぎしようぜ!」


「……は?」




 全員が、きょとんとした顔で固まる。




「だから! 祭りだ、祭り! このルディアが、これだけの発展を遂げたことを祝って、国中を巻き込んで盛大な『建国記念祭』を開催する! 歌って踊って、美味いもん食って、みんなで笑い合う! それこそが、俺たちの絆を、何よりも強くするはずだ!」


 


 俺の突拍子もない提案に、最初は呆気にとられていた仲間たちだったが、やがて、その顔にじわじわと笑みが広がっていく。




「……へっ。面白ぇ! いいじゃねえか、祭り!  腕相撲大会でも開いて、俺が全員ぶちのめしてやる!」


「だったら、私は新作の薬膳料理を大盤振る舞いしちゃうわ!」


「ククク……よかろう。賓客として、アルディナ陛下やバルハ殿、リオン殿も招待すれば、最高の外交の場にもなる。実に合理的だ」




 ザルクが拳を鳴らし、リゼットが目を輝かせ、アイゼンまでもが理屈をつけて乗り気になっている。


 こうして、ルディアの未来を左右するシリアスな会議は、いつの間にか、大陸一の祭りを企画する、最高に楽しい作戦会議へと姿を変えていた。




「よし、決まりだ! 一ヶ月後、第一回『ルディア建国記念祭』を開催するぞ! 全員、死ぬ気で準備しろ! そして、死ぬ気で楽しむぞ!」


 


 俺の号令に、仲間たちが、これまでで一番の笑顔で、力強く応えた。


 帝国の影が、まだ大陸を覆っているとしても。


 今は、この手の中にある確かな光を、皆で分かち合う時なのだ。




   ◇◇◇




 祭りを三日後に控えたルディアは、浮き立つような期待と、心地よい喧騒に満ちていた。


 大通りには色とりどりの旗がはためき、広場の中央では、ネリアが指揮する舞台建設がクライマックスを迎えている。子供たちの笑い声と、職人たちの威勢の良い掛け声が混じり合い、街全体が一つの巨大な祝祭の生き物のように脈動していた。




「カイさん、見てください! 留学生の子たちが、自分たちの国の飾りつけも手伝ってくれるって!」




 学び舎の入り口で、トモが目を輝かせながら報告してきた。彼の周りでは、様々な人種の子供たちが、慣れない手つきで紙の花を折り、楽しそうに笑い合っている。ついこの前まで、読み書きすらおぼつかなかった少年が、今や異文化交流の中心に立っている。




「すごいじゃないか、トモ! お前はもう、立派な先生だな」


「えへへ……そんなことないです。でも、みんなが笑ってくれて、僕も嬉しいな」


 


 はにかむその笑顔は、このルディアが目指すべき、希望そのもののように見えた。


 そうだ。この光景を守るためなら、俺はなんだってできる。


 誰もが、そう信じていた。


 この幸福な時間が、永遠に続くものだと、疑いもしていなかった。


 その夜。


 前夜祭として、本庁の食堂ではささやかな宴が開かれていた。遠方から到着したバルハやリオンたちを囲み、俺たちは明日の本番への期待を語り合っていた。


 その、平和を切り裂くように、それは訪れた。




「──キシャアアアアアッ!!」




 空気を引き裂く、甲高い咆哮。


 直後、街の北と東の二方向から、凄まじい爆発音と地響きが轟いた。




「何だ!?」


「敵襲か!?」




 宴の席が、一瞬で戦場へと変わる。


 俺が窓から外を覗くと、信じられない光景が広がっていた。


 月明かりを背に、漆黒の翼を持つ数十の影──ワイバーンにまたがった竜騎士団が、夜空を埋め尽くしている。彼らは、工房地区と、そして……学び舎のある居住区画に、次々と炎のブレスを吐きかけていた。


 


「目標は二点! 工房地区と、居住区画! なんて悪辣な……!」




 フィオナが、歯を食いしばって叫ぶ。


 警報の鐘が、狂ったように鳴り響く。街は、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれた。




「総員、迎撃用意!  ザルクは工房地区へ!  フィオナは騎士団を率いて住民の避難と対空防御!  俺とユラン、シェルカは学び舎へ向かう!」




 俺は即座に指示を飛ばし、ユランの背に飛び乗った。


 頼む、間に合ってくれ……!


 学び舎の周辺は、すでに火の海と化していた。炎に追われ、泣き叫びながら逃げ惑う子供たち。その中に、必死に彼らを誘導するトモの姿があった。




「みんな、こっちだ! 大丈夫、僕がついてるから!」




 彼は、恐怖に震えながらも、その細い身体で、自分より幼い子供たちを庇い続けていた。


 その、健気な姿を嘲笑うかのように、一騎の竜騎士が、炎上する学び舎の屋根を狙って急降下する。狙いは、まだ中に残っている子供たちか!




「させん!」




 シェルカが放った矢が、竜騎士の肩を正確に射抜く。だが、致命傷には至らない。体勢を崩したワイバーンが吐き出した炎が、学び舎の梁を直撃した。


 ギシリ、と嫌な音が響き、巨大な梁が、まだ中にいた一人の少女の頭上へと、崩れ落ちていく。




「危ないっ!!」




 誰もがそう叫んだ、その瞬間。


 ためらいなく、その下に飛び込んだ影があった。

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