29 村から街へ
「はい。この村に危険が及ぶ可能性もありますので。一応ご連絡を、と思いまして」
声は柔らかいが、内容は穏やかじゃない。俺は自然と背筋を正した。
「どういうことだ?」
「国の名前を出しますね。……バルディア帝国。聞いたことはありますか?」
俺は首を横に振った。聞いた覚えはない。だがレイナは、珍しく少し真剣な声が続ける。
「表向きは交易を重んじる大国。けれど内実は、征服と支配を繰り返して勢力を拡大してきた国です。王都グランマリアとは長らく牽制し合っている国でもあります」
「じゃあ、いずれ正面衝突もあると?」
「あるいは、その手前で『潰せる芽は潰しておこう』と考えるかもしれませんね。あなたが築いているこの村と、そこに集い始めた人々は……想像以上に目立っていますから」
確かに、村の敷地も人数も、家の数も何もかもが増えている。目に止まるのは当然か……。
レイナの言葉が終わると同時に、世界の色が変わるような感覚がした。自分たちの動きが、どこかの権力の目に映っているという現実。
バルディア帝国、俺はその名前を胸の奥に刻んだ。
◇◇◇
夜の帳が下りる頃、バルディア帝国・帝都カレドニア。
その王宮の一角、重厚な扉の奥で、十数人の男たちが静かに卓を囲んでいた。
天井には銀と黒の大紋章。燭台の炎に照らされたのは、バルディア帝国を動かす軍政評議会の幹部たち――大将軍、諜報長官、宰相、そして若き皇子ジェイル=イゼル。
「……結論から言えば、早めに対処すべきでしょう。グランマリアが本腰を入れる前に」
口を開いたのは、諜報長官。地図の上に、ひとつの小さな点を指し示す。それは、帝国の国境から少し離れた場所に印されていた。
「この村……ルディアとか言ったか。わずか数ヶ月で百名を超える移住者を迎え入れ、建築、農耕、防衛すべてにおいて目覚ましい進展を見せている」
「ただの村ではない、ということか」
「ええ。そして問題は、その中心にいる男……異界より来たりし創造主」
その言葉に、周囲の幹部たちがざわつく。
「まさか、転移者か?」
「確定情報ではありませんが、創造に類する特異な力を有しており、王都とも、さらには獣人の部族トウラとも接触を果たしています」
今度は重々しい沈黙が場を支配した。
若き皇子ジェイルが、椅子にもたれたまま呟く。
「王都、獣人、そして大きな力を持つ男……そんなものが『偶然』集まると思うか?」
「むしろ、意図的に誰かが繋げている可能性すらあります」
そう答えたのは、冷ややかな声の宰相だった。
「このまま放置すれば、いずれ王都の腐った中枢を超える勢力となりかねません。民を集め、信頼を集め、国ではなく『理想』によって動く共同体……最も厄介な相手です」
重臣たちが頷く中、ジェイル皇子がふと笑みを浮かべた。
「興味深い。では、その『理想の村』とやらに、風をひとつ送り込もう。……観察と試練を兼ねて」
「何をお考えですか?」
将軍が問うと、皇子はただ薄く微笑んだ。
「使える手はいくらでもある。難民、傭兵、交易商人、どんな仮面でも構わない。奴らの懐に入り込み、価値を壊していく。それが、我らのやり方だろ?」
誰も否定しなかった。
バルディア帝国――それは、力と策謀を以て世界を塗り替えてきた影の国家。
そして今、その矛先は小さな村へと、静かに向けられようとしていた。
◇◇◇
トウラとの盟約から約半年が経過し、このルディア村は確かに発展していた。
嵐の前の静けさとでも言うべきか、結局どの国からもちょっかいを出されていない。
「……なあ、これ本当に村だったっけ?」
思わず口に出してから、俺はため息混じりに笑った。
坂道の向こうに広がっているのは、土壁と木の柱でできた「仮設」とは呼べないほど立派な門──いや、もう門構えって言っても怒られないはずだ。門番がちゃんといて、見回りの獣人兵が「おはようございます、カイ様」なんて敬礼してくるのも日常になっていた。
村は──、いや、街は、あれよあれという間に広がっていた。
建築担当のネリアが「これでまだ中間段階ですから」と平然と口にした時は笑ったが、実際、街の輪郭は着実に出来上がっている。
中央通りの石畳はまだ凸凹だが、両側には簡易の屋台がずらりと並び、焼き魚や香草パン、異様に辛い獣人製スープまで湯気を上げていた。何より、朝っぱらから人が多い。人間、獣人、子ども、旅人──見た目も年齢も性格もバラバラな連中が、当たり前のように混ざって、言い争いと笑い声を等分でまき散らしている。
「カイさん! この前頼まれてた井戸の補強、やっと終わったぞ! ……三度目だけどな!」
「ああ、ご苦労さま。もう補強はしなくていいかもな」
「おはようございます。えっと……今日こそ図書小屋の鍵、返していただけます?」
「ごめん、本庁にあると思うんだけど……また明日でいい?」
「カイ様ー! ほら、こっち来て! 新しい薬草風呂、ちょっと強すぎたから試してみてー!」
「いや、今ちょっと風呂の気分じゃないかな!」
朝の挨拶が、雑な報告・要求・実験依頼の三連コンボというのはどうなんだろう。だがまあ、これがルディアらしさってやつかもしれない。
建物もずいぶん変わった。街の中心はルディア本庁へと移り、行政の核となっている。もともと草屋根と丸太小屋ばかりだったが、今ではレンガ造りの店舗付き住居が通り沿いに並び始めている。獣人たちの知識と、元都市民だったネリアの設計、そして何より村人たちの汗の結晶だ。
少し歩けば、簡易の訓練場があり、朝の稽古をつけるザルクの怒号が響く。
「腰が甘え!! そんなもん、風で飛ぶぞ馬鹿野郎!」
その後ろでトモが記録をつけているのも、もう見慣れた光景だ。
「最近、基礎体力の平均値が上がってるんですよ」と、したり顔で言うようになったのが可笑しい。
通りを抜けて裏手へ回ると、工房地区がある。ラズが手を油だらけにして、何やら新しい仕掛け箱を爆発させていた。
「よしよし、予定通り壊れた! ……で、これをこうすると壊れなくなる予定だったんだけどな?」
後ろでデリンが無言で肩を叩くのを見て、ラズがひょいと逃げ出す。あれは今日も一日追いかけっこだろう。
そして、最近では、街に外からの旅人もやってくるようになった。
王都の一部の商人が「小さな拠点」として目をつけたらしく、定期的に行商が来るようになり、簡易の宿も建てられた。
新しい流れが、確実に流れ込んでいる。
でも、一番の変化は……。
「お兄ちゃん、パン、分けっこしていい?」
「うん、じゃあ半分こな!」
人間の子と、虎耳をもった獣人の子が、なんの違和感もなく並んで座ってパンをかじっていた。その光景だけで、胸の奥がじんわりと熱くなった。
これが、俺のつくりたかった街だ。
異種族が、違う生まれが、違う価値観がぶつかり合いながらも、同じ場所で行きていく。その始まりが、確かにここにある。
「もうすぐ、名前を変えたほうがいいかもな。村じゃ、もう足りない」
誰にともなくつぶやくと、ユランがいつのまにか隣に立っていた。
「名などは後からついてくるものです。我が主が選んだ道の、その証がこの地に刻まれているのですから」
相変わらず言葉が重たいと思いながらも、その言葉に納得している自分もいた。
「カイ、ちょっと相談があってな」
先程の爆発で髪がチリチリになったラズが、小走りで俺のもとにやってきた。
「デリンからは逃げ切ったのか?」
「ああ、なんとか説得した」
「で、相談って?」
「旦那の人柄が故だと思うんだが、少し民衆との距離感が近すぎる気がしてるんだ。まあ、全員がかしこまった敬語を使えとは思わんが……あれじゃ舐められるんじゃねぇか?」
確かに、俺は誰とでも友達のような距離で接している。ただ、皆が俺を慕っていないとは感じない。
「……距離は確かに近いかもしれないな」
「ああ。あれじゃ領主としてのオーラってもんがあまり……」
「でも、俺は恐怖で人を支配する領主にはなりたくないんだ。誰よりも実力のある領主が、誰よりも民の味方であることが、最も信頼を得る方法だと思うんだよ」
「なるほどな……確かに、あんたに反感を持っている人は見たことねぇ」
「心配ないよ。それに距離が近いほうが、民衆の声を取り入れやすい」
「……わかった。ただ、気をつけてくれよ」
「ああ、ありがとう」
俺はラズを見送った後、本庁に戻った。
屋上から街を見下ろし、平和を実感する。
そろそろ、ルディア村の名称を変えるか。あと、俺のラストネームも作るとしよう。
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