10 ぶっつけ本番

ある日。ルディア村の広場にはすべての村人が集まり、総勢約三百人が俺の言葉を待っていた。


 焚き火の周りでは、子どもたちが肩を寄せ合い、大人たちは不安そうな表情を浮かべていた。


 俺は一歩、壇上代わりの切り株に立つと、深く息を吸った。




「俺は、明日から──王都グランマリアへ向かう」




 場は静寂に包まれ、ざわざわと空気が震えた。




「王都の実情をこの目で確かめ、新しい領主として正式に登録し、これからの支援や交易の道を探る。そのための旅だ」




 言葉を選びながら俺は話した。誰も、否定しなかった。むしろ、その視線には期待が込められていた。




「ただ、俺一人じゃ行くわけじゃない。今回の旅には、心強い仲間が同行してくれる」




 そう言うと、俺は後ろを振り返り、事前に決めていた王都同行メンバーを一人ずつ呼んだ。




「デリン」




 無言で一歩前に出たのは、筋肉質な腕に革製の前掛けを巻いた男。炭の匂いを纏ったその姿に、誰もが納得したように頷いた。やはり彼は、俺が来る前から信頼を置かれていたんだろう。




「鍛冶職人としてだけでなく、護衛としても頼りにしてる。彼の作る道具と腕っぷしは、きっと王都でも通用する」




 デリンは無言のまま顎を引いた。無口だが、双眸は鋭く、確かな意志が宿っている。




「リゼット」


「はーい」




 明るく返事をして出てきたのは、腰に薬草袋を下げた女性。褐色の髪を三つ編みにした姿が印象的だ。




「薬草や毒、病の知識では村一番。王都の医療事情を見てみたいそうだ」


「どうせなら面白そうな病気も見つけてきたいしね」




 冗談めかしてリゼットが言うと、数人が苦笑した。




「トモ」


「は、はいっ!」




 緊張した様子で飛び出してきたのは、まだ少年のあどけなさを残す青年。背は高いが、瞳は素直なまま。




「読み書きができる数少ない村の若者。学ぶことに飢えてる。王都で得た知識は、村の未来にきっと繋がるはずだ」




 トモは深くお辞儀をすると、パチパチと拍手が起きた。




「最後に、ガラン」




 重たい足音を立てながら、ひとりの男が前に出た。風焼けした顔に、鋭い目。腰には短弓と狩猟用のナイフ。




「この村でも特に優秀な猟師であり、最も多くの村の外を知る男。野外での行動や戦闘にも長けてる。そして……実はフィオナと旧知の仲らしい」




 その名が出た瞬間、村人たちの中にざわめきが走る。


 ガランは無言で、ただ静かに目の前を見据えていた。




「この四人に俺とフィオナを入れた六人で王都に向かう。村を、そして未来を変えるために」




 静かだった広場から、大きな拍手が起きた。


 それはやがて、波のように広がり、音を重ねていった。




  ◇◇◇




 荷車に荷物を乗せ、馬に鞄をかける音、鍋を縛る布の縛り目を確かめる声、焚き火の残り火で湯を沸かす匂い。


 それぞれの手が、旅立つ者たちの背を押していた。




「水筒の革、裂けてないか? ……よし。お前の分はこれで大丈夫だ」




 デリンは最後の点検を終えると、無言でトモに水筒を手渡した。


 トモは「ありがとうございます」と深く頭を下げ、その仕草のぎこちなさにリゼットがふふっと笑った。




「旅の間は私が薬の管理をするけど、怪我くらいは自分で処置してよね」


「当たり前ですよ。子供扱いしないでください」




 トモは頬を赤くしながら反論した。


 その様子に、ガランが肩をすくめる。彼は荷を軽くして動きやすくするよう、最後まで調整を続けていた。


 俺は最後に、広場の端に立つ村長のもとへ向かった。




「……村長。村を、お願いします」




 静かにそう言った俺の声に、村長は頷いた。




「ああ。必ず、無事で帰ってきておくれ」


「もちろんです」




 俺は大きく返事をした。


 村をまとめるのは、俺よりも村長のほうがよっぽど慣れている。うまくやってくれるはずだ。


 ミナやルオをこの村に置いていくのは少し不安だが、彼女たちならきっと大丈夫だ。心配ない。


 


「カイ、出発の時間だ」


 


 フィオナが俺を呼びに来たので、俺は別れの挨拶を終えてデリンたちのもとへ向かった。


 我々はまだ見ぬ未来へと続く、第一歩を踏み出すのだ。




「カイさーん! 気を付けて!」


「リゼット姉ちゃん、王都に行ったらお菓子買ってきてー!」




 小さな声に背中を押されるように、一行は馬車に乗り込んだ。




「では、出発しよう」




  ◇◇◇




 車輪がぬかるみをとらえて鈍く沈むたび、馬車の車体がぎしりと軋んだ。


 森の道を抜け、丘陵に差し掛かろうとする頃、俺は前の座席で手綱を握るフィオナに声をかけた。




「ねえ、フィオナさん。王都まではどのルートを行く予定なの?」




 フィオナは軽く手綱を引き、馬を落ち着かせながら振り返る。


 その背には旅裝のまま、巻物状に丸めた地図があった。彼女はそれを膝の上に広げ、馬車の振動に合わせて押さえながら言った。


 グランマリアは四つの周辺都市を支配・統治しており、王都の東西南北に大きな街がある。




「本来なら南のヴェルトニア経由がいちばん安全。港町だから商隊も多くて、宿も整ってる。でも──今は無理」


「どうして?」


「商人ギルドと徴税官が衝突してて、王都側の支配に反発してる。今朝の報告じゃ、街道封鎖も始まったらしい」




 ガランが身を乗り出した。「西のエランデルは?」




「労働者の暴動で、鉱山地帯が封鎖。治安維持隊すら近づけてないみたい。鉄と魔鉱石の供給が止まってるのが証拠」


「……北のセレミアは?」


「貴族と魔法ギルドが揉めてて、大図書館が燃えた。出入りどころか、街の中でも通行規制がかかってる」


「東のリュシアンは?」


「大雨で川が氾濫。街道は泥に沈んで、数週間は復旧見込みなし」


「なんてこった……」




 ガランがため息をついた。


 俺は口を閉じたまま、馬車の窓から外を見やった。


 濡れた葉の匂いとともに、遠くの山並みが霞んでいる。道は続いているように見えて、どこにも抜けられない。




「……じゃあ、どうするの?」




 フィオナは迷いなく答えた。




「『風喰いの谷』を超えて、王都に直通する山道を抜ける。魔物が多くて危険だけど、いま使えるのはそこだけ」


「風喰いの谷……」




 ガランが低い声で言った。




「……あそこは風が唸る。魔物の嗅覚が鋭い地域で、音に反応して襲ってくるやつもいる。足音すら殺さないと見つかるぞ」


 


 トモが顔を青くする。




「そ、そんな場所を通るんですか……?」


「他に道がないなら、仕方ないわよ。魔物がいるのはどこも同じ。要は、準備と覚悟の問題でしょ」




 リゼットは気概を示した。




「……馬車で通れるか?」




 デリンが一言。視線は前方に向けたままだった。




「それは、行ってみないと分からない」




 フィオナは少しだけ間を置いて答えた。


 それほどに危険な道を通らなければ、王都へはたどり着けない。




「ここにきてぶっつけ本番か……」




 ガランが呆れたような顔をした。 




「それでも、行こう。王都へ」




 異を唱える者はいなかった。


 森を抜けた先に広がるのは、王都グランマリアへと至る風の谷。


 六人を乗せた馬車は、少しずつその境界へと近づいていった。

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