6 信じてみよう

「そいつは森の境界種ボーダービーストだ! 本来なら村に入ってくることなんてありえない……! 暴走しているに決まってる!」


「やめてください!」


 


 俺はとっさに両手を広げて、魔物の前に立った。




「……こいつは、もう敵じゃないです。暴れてたのも、たぶん……人間の畑や煙に驚いただけです」


「しかし、あの種は人を襲う性質が……」


「今のこいつを見てくださいよ。こんなに丸くなって、尻尾まで振ってる。人を襲うように見えますか?」


「それは……」




 グレイは黙り込んだ。




「ここにいる村人の皆が見ていました。全員が、証人です」




 村人の一人が言うと、あちこちから「そうだ!」と言う声が聞こえてきた。


 


「グレイさん、カイを信じてくれませんか」




 グレイの後ろに現れたミナが、歩きながらそう言った。


 静まり返った村の端っこで、誰もが次の言葉を待っていた。


 グレイは弓を下ろし、無言のまま俺と魔物を見つめていた。


 そして、ゆっくりと近づいてくると、俺の目の前で立ち止まり、ため息をひとつ吐いた。




「……信じよう。いや、『信じてみよう』と言うべきか」


「グレイさん……」


「私にも分からんのだ。何が正しくて、何が危険なのか……だが、君がこの村でしてきたことを思えば、ここで無理に矢を放つ方が、間違っている気がする」




 魔物はお腹を出したまま、グレイの方をちらりと見上げた。


 すると、彼は苦笑しながら頭を掻いた。




「まったく……こんな無防備な境界種なんて初めてみたぞ。お腹まで出しているとはな」


「あはは、かわいいからいいじゃないですか」




 俺は魔物の頭を軽く撫でながら答えた。


 多分あの瞬間──「仲間になろう」と言ったとき、何かが噛み合ったんだと思う。


 だけど、それが何なのかは、俺自身にもわかっていない。


 


「この件については、改めて会議で話そう。とりあえず『脅威ではない』と記録しておく。……そいつの名前は、決めておいてくれ」


「え?」


「ペットかどうかはともかく、村の中にいる以上、『何か』と呼ばれ続けるのは困るからな」




 そう言って、彼は背を向けた。


 何人かの村人がまだ戸惑っていたが、グレイの決断に従って静かに武器を下ろしていく。


 その場に取り残されるように、俺はしゃがみ込んで魔物……いや、新しい仲間の頭を撫でた。




「カイ」


 


 俺のそばまでミナが歩いてきた。




「ん?」


「あの……えっと……ありがとう」




 頬を赤らめながらミナが言った。




「えっ?」


「だって……私の家、守ってくれたんでしょ」


「……まあな」


「なんか私、カイに助けられてばっかりだね。へへ」


 


 少し照れたようにミナが笑った。俺の目の前で、女性が、頬を赤らめている。


 これも、前世では絶対になかったことだ。


 


「そろそろ日も暮れるから帰ろう」


「……うん」




  ◇◇◇




 その夜。空き家に戻った俺は、月明かりの下でうずくまるように座っていた。


 膝の上では、魔物が丸まってすやすやと寝息を立てている。




「……なんで俺は、お前とわかり合えたんだろうな」




 ぽつりと、独り言を呟いた。


 創造の手──このスキルは、自然を操るものだけじゃない気がしている。


 畑を耕した時もそうだった。


 まるで土地そのものと会話しているような感覚が、確かにあった。


 じゃあ今のは、魔物の心に触れたってことなのか……?」




「俺の能力って、いったい……」




 何ができて、何ができないのか。


 どこまでが「自然」で、どこからが「奇跡」なのか。


 まだ何もわかっていない。


 でも──




「助けられるなら、助けるよ。せっかくこの世界に来たんだしさ」




 寝ている魔物の体毛が、ふわふわと月明かりに照らされていた。




「お前の名前は、ルオにしよう。な、ルオ」


 


 翌朝から、ルオは俺の「相棒」として、村人たちの注目を一身に集めていた。


 見た目はすっかり小動物だ。丸くてふわふわの体毛、尻尾をぴこぴこと動かし、ミナの足元で甘える様子に子どもたちは喜び、大人たちは苦笑いを浮かべていた。




「いやいや……昨日は村を壊しかけてたんだぞ……」


「でも、今はあの子に懐いてるみたいだし……」


「これも、あの青年の力……」




 そんな噂が、風のように村に広がっていった。


 ──そして、それは村の外にも届いていった。




  ◇◇◇




 その日、村は朝から妙な空気に包まれていた。


 空を切る風が鋭く、鳥たちはどこかへ飛び去り、村の子どもたちすら外で遊ぼうとしなかった。


 そして正午──村の門の外から、重たい蹄の音が響いてきた。


 近づいてくるそれは、鋼のように硬質な足音だった。音の主を確認しに出た若者が、言葉にならない悲鳴を上げて戻ってきた。




「こ、こっちに……武装した兵が来るぞ!」




 畑仕事の手を止めた村人たちが、一斉に顔を上げる。


 やがて、村の門前に現れたのは──十数名の騎士たちだった。


 全員が銀の鎧に身を包み、馬のたてがみにも王都の紋章があしらわれている。先頭に立つ一人の騎士だけが兜を脱ぎ、長い金髪を風にたなびかせていた。


 なんとも気の強そうな女性の騎士だった。




「この村の代表はどこにいる?」




 透き通るような、けれど威圧的な声が広場に響いた。




「な、なんだあれは……?」


「まさか、王都の兵……?」




 村人たちがざわめく中、後ろからやってきた村長が急ぎ足で前に出た。


 腰に下げた鍵束がじゃらりと音を立てる。




「……わしが、この村の長だが。貴殿らは、一体……」




 金髪の騎士は馬を降り、ぴたりと村長の前で立ち止まった。そして名乗る。




「私は王都グランマリア騎士団第二隊、隊長のフィオナ=リースだ。命を受け、ある人物の調査に来た」




 その言葉に、村長の目がかすかに揺れる。




「グランマリア……騎士団……だと?」


 


 思わず、村の空気が凍りついた。


 あいにく今日、騎士団に顔が利くグレイは村を離れている。


 王都の名を背負う騎士団がわざわざこの辺境の地に足を運ぶなど、ただ事ではない。


 俺は、後ろの方で戸惑いながら様子を見ていた。ルオも不安そうに足元にまとわりついてくる。




 俺のせいか……?




「貴殿らの中に、『魔物を従えし者』がいると聞いた。この村に、『EXスキル』を持つ異能者がいると」


 


 フィオナと目が合った。まっすぐ、鋭く、疑念と好奇心が入り混じった眼差し。


 俺はルオを抱え、ゆっくりと前に出た。




「俺と、こいつに用ですか?」

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