第2話 ネスト内部のコミュニティ


 海中を貫く白い巨塔。

 世界に数か所確認されている、海面まで伸びる石灰岩の塔。

 一説には、海底火山の噴火により噴出した灰素が固まってできたのではないかと言われている巨大構造物のことを「ネスト」と呼ぶ。

 外周の壁面には少なくない穴が空いており、中には巨大な空洞があると伝えられてきたソレの、全くもって伝聞通りの空間に、クラウスは足を踏み入れている。


 大気で満ちた、大きな空洞に出たのだ。


「簡単に言えば、ここは採掘場」

「それって……灰素結晶の?」

「多分そう。海にさらすと爆発するやつ」


 エルマが平然と答えている辺り、このコミュニティの海人たちは、既に灰素の利用法を確立しているのだろうか。かつては技術力で繫栄を手にした人類でさえ、未だ大した活用法を見いだせていないというのに。


 クラウスは加速していく思考を何とか抑え込み、エルマに向き合おうと必死だった。


「たくさん集まったら、戦争に使うらしい」

「戦争……!?」


 ついに驚きに耐えきれなくなったクラウスの声が空洞の中に響き、エルマがむっとした表情を返す。


「あまり大きな声を出さないで。あいつらに見つかったら面倒」

「あいつらって……君の雇い主のことか?」


 だとするなら、少し妙な呼び方である気がする。普通、同じコミュニティで働く仲間のことを、あいつらなどと呼ぶだろうか?


「説明するの……難しい」

「そ、そうなのか」


 困ったように眉をひそめるエルマ。

 クラウスの探求心が深い事情を聞き出しそうになって、理性がそれを阻む。この場所についてできる限りの情報を仕入れたいのは山々だが、せっかく得られた協力者の機嫌を損ねるのは避けておきたい。


「それで、あなたは何しに来たの」

「僕か? 僕は……えっと」


 一瞬、自分に課された任務について、ぼかすかどうかの葛藤が訪れる。それは、このコミュニティの主が、自分たちの共同体に敵対的である可能性があったからだが……


「……燃料を探して、ここに来たんだ」

「燃料?」


 クラウスは、あくまで、この気のいい少女を信じることにした。

 潜水服の見た目は傍目からみれば随分といかつく、恐ろしいものであるにも関わらず、偏見なく手助けを申し出てくれたメロウの少女を。


「僕らはとある潜水艇で、この海を探索して回っている。航海を続けるためには、純度の高い灰素が燃料として必要でね」


 しかしながら、その瞬間。

 目の前のメロウの顔色は、大きな変化を見せたのだ。


「その潜水艇! 海に出られる!?」

「えっ……!?」


 長大な下半身を目一杯伸ばして、潜水服の直前へ詰め寄るエルマ。

 興奮のせいか、青みがかった顔の色がより濃い群青色に変わっている。

 つい先ほど、大きな声を挙げるなと言っていた当人の異様な反応に、クラウスは困惑を隠せない。


「もちろん、そのための船だからそりゃあ……」

「サンゴがあるところにも行ける!?」


 当然のことを尋ねられ、全てを話してしまいそうになったクラウスだったが、続く彼女の言葉で顔色を変えた。


「ひょっとして、バリアリーフのことを言ってるのか?」


 彼女が尋ねた言葉の意味を、確かめなければならなかったからだ。


「多分そう。お父さんの故郷は、そこだって聞いた」


 バリアリーフ。それは、珊瑚に守られた海上都市の総称。

 全世界に数えるほどしかない人類の生存領域のうちいくつかは、巨大な珊瑚の上に築かれている。


「…………」


 実のところクラウスはまさに、とあるバリアリーフの出身だった。

 いや、彼だけではない。今、彼の帰りを帰りを待っている潜水艇のクルー全員が、そのバリアリーフで生まれ育ってきたはずだった。


「……それを知って、どうするつもりだ?」


 だからこそ、これまで好意的に振る舞っていたクラウスも、気を引き締めなければならなかった。目の前のメロウが、一体何の目的でバリアリーフの場所を尋ねるのか。

 その理由を、慎重に推し量らなければならなかった。


「別に……どうもしない」

「本当か? だったらなんで知りたがる?」


 目の前の少女に、論理で殴り掛かる様な問答をぶつけるのはどうかと思ったが、そうしなければならない訳があった。

 何故なら、クラウスには使命があるのだ。

 例え眼前に存在する気のいい少女を、外敵と断定することになっても、成し遂げなければならない使命が。


「私はただ……お父さんに会いたいだけ」


 しかし実際のところ、エルマの返答は随分としおらしく。

 予想外にか細く切実な声色で、クラウスの意気はそがれてしまう。


(困ったな……そこまで踏み込むつもりはなかったんだけど)


 年端もいかない少女にそこまで語らせてしまった以上、何の返答も返さないというのは随分と心苦しかった。

 もちろん、あくまで使命の遂行を考えるなら良心の呵責を無視してしまうこともできるだろうが、クラウスの生まれ持った善性がそれを阻む。


「まあ……」


 だからクラウスは、合理と感傷の中道を行くことにした。


「もちろん、燃料さえあれば、いずれはバリアリーフに戻れると思う」 


 それは言外に、エルマの協力を求める言葉。

 対価の提示こそ行われなかったものの、ホームシックを患う少女の行動を促すには十分な言葉遣いだった。


「だったら、なおさら灰素が必要!」

「その通り」


 どうやら彼女は、引き続き協力してくれることになったようだ。

 その顔にはにかむような笑みを浮かべて、鼻息粗く決心している。

 そんなエルマの姿を見て、クラウスの心は少し傷んだ。


(君をバリアリーフに連れてはいけないなんて言ったら、多分一生恨まれるんだろうな)


 それはクラウスの使命や良心の問題ではない、単なる事実。

 例え灰素結晶を持ち帰ることができても変わらない、確定事項だった。


「少し待って。倉庫にある灰素をもってくる……!」


 ひどく高揚した様子のエルマに対し、クラウスはただその眼を細めて。

 ずるずると音を立てながら遠ざかる、彼女の背中を眺めていた。

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