第1話

 うーんと背伸びをし、ゆっくりとベッドから体を起こす。カーテンを開けると、昨日雨が降っていたとは思えないほどの眩しい日差しが目に入る。

 時計を見るとまだ六時だった。少し早めに起きてしまったけれど、二度寝すると起きれないからそのまま起きておこう、と思う。


 一階へ降りてリビングの椅子へ座り、この前買っておいた食パンを一口かじると、やわらかい食感の甘さが口のなかに広がった。

 一人暮らしというのはやはり楽だ。自分のペースで食べられるし、他の人の分の料理を作る手間もないのだから。


 私は学校へ行く準備をし、ブレザーの制服を着る。中学校のときはセーラー服だったから、何だか慣れないけれど。

 今日から高校生になるんだ、と改めて実感する。

 ……時が経つって、こんな感じなんだ。


 「お母さん、お父さん。行ってくるね」


 玄関に飾ってある、かけがえのない三人家族の写真に話しかける。返事は来ないと分かっているけれど、こうするのは私の日課だ。

 亡くなった二人が私のことを見守ってくれていると、そう信じて。


 「わぁ……綺麗」


 外に一歩出ると、桜が舞い散っていた。一つ一つの花びらが風に揺られて舞っていて、思わず声に出してしまうほど美しい。

 この季節は桜がとても綺麗だ。春といえば桜、と答える人がほとんどだろう。実際、私も桜は好きだ。


 「痛っ」


 舞っている桜をぼーっと見つめながら歩いていると、曲がり角で通行人と鉢合わせしてしまった。

 背は私より少し高いくらいで、可愛らしい顔立ちをしている……たぶん、男性だろう。

 ……って、そんなことより。ぶつかってしまった人に謝らないと。


 「す、すみません。お怪我は……?」


 「……人間!? やっと会えた!」


 ……いや、出会って最初の発言がそれ?

 思わず心のなかでツッコミを入れてしまった。その男性は目を光り輝かせて、私の顔をじっと見つめてくる。

 何か、関わったらとても面倒くさいことになりそう。


 「ねぇきみ、人間だよね? ここらへんに住んでるの?」


 「いや、そんな個人情報教えるわけには……」


 「コジン、ジョウホウ? ごめん、俺まだ人間のこと全然分からないんだ」


 何なの、この人。この人だって、見た目からして人間だと思うんだけど。

 

 「……あなたは、宇宙人なんですか」


 「えっ? あはは、きみは面白いこと言うんだね。残念ながらはずれ!」


 ケラケラと面白そうに笑っている。何だか馬鹿にされたようで腹が立ってくるんだけど。

 失礼な人のはずなのに、この人のことが気になってしょうがない。人を惹きつけるオーラがこの人にはある。


 「じゃあ、何なんですか?」


 「――星だよ。夜に輝く、お星さま」

 

 頭上にどこまでも広がっている青空を指差してそう言った。

 ……やっぱりこの人頭がおかしいんじゃないの、と失礼ながら思ってしまう。

 見た目からして絶対に人間なのに、お星さまなんて言われても信じられないに決まっている。


 「……ふざけてます?」


 「えぇっ、ひどいなぁ! ふざけてなんかないよ、本当に俺はお星さまなんだよ」


 「じゃあ何かやってみせて」


 これでこの人の嘘は暴かれるだろう、と作戦を立てた。この失礼な男の子がお星さまなわけないもん。

 男の子は黙ってしまった。


 「じゃあカウントダウンするから、空見ててね。三、二、一!」


 私は急いで青空を見上げる。すると信じられないことが起こったのだ。

 はっきりと目で見て分かる、七色の虹が青空に浮かんだ。

 雨なんて降っていなかったのに、急に空に虹が現れた。

 ……この人が、やったの?


 「えへへ、どう? 俺のこと信じてもらえた?」


 「……ちょっとだけね」


 「それなら良かったよ!」


 この人は感情が顔に出やすいのだろう。すごく……嬉しそうな表情をしている。

 本当に、変な人だ。この人が喜んでいると私まで嬉しく感じてしまう。


 「きみ、何て言うの?」


 「……綾川 星奈(あやかわ せな)」


 「星奈ちゃんね! 俺はスグル。人間でいう、苗字? ってものはないよ」


 この人――スグルはそう言って、にっこりとした笑みを浮かべた。不意な笑顔に少しだけドキッ、としてしまう。

 こんな人でも星なんかになれるんだ、と思った。っていうか、まだ完全に信じたわけじゃないけど。


 「ところで星奈ちゃん、学校は大丈夫なの?」


 「……えっ? 待って、遅刻じゃん!!」


 スマートフォンを見ると、ここから走らないと間に合わない時間になっている。

 もう、余裕持って家を出たはずなのに。高校初日から遅刻なんて目立ってしまう。それは絶対に避けたい。


 「じゃ、じゃあ行くから」


 「あぁ待って、星奈ちゃん! 俺、星奈ちゃんを助けるために人間の世界に来たんだ」


 「私を、助けるため?」


 急いで学校へ向かおうとするも、そのスグルの言葉が気になってしまい、足を止めた。

 ……私を助ける。何度その言葉を聞いてきただろうか。そして何度裏切られてきただろうか。

 絶対に信じない。いくら星だとしても、それだけは信じてはいけないんだ。


 「……いい。私には構わなくて、いいから。じゃあね、スグル」


 スグルの悲しそうな表情を見て胸が痛くなったが、見て見ぬふりをしてもう一度歩き出した。

 そう、こうして私は何度も何度も傷ついてきた。人一倍、心を削られてきたのだ。


 だから、もう人間なんて信じることができない――ごめんね、スグル。

 何とか学校には間に合ったものの、スグルの最後の表情が気になって気になって仕方がなかった。


 「はい、皆さん初めまして。一年B組の担任となった田中 美沙子たなか みさこと申します。一年間担任を務めさせていただきますので、よろしくお願いします」


 それぞれ自己紹介をしていくが、やっぱり私は人前で何かを言うことがとても苦手だ。緊張で心臓の鼓動が早くなっている。

 それにスグルのことが気になっちゃって……何だか胸がソワソワして落ち着かない。


 「……さん。綾川さんの番ですよ」


 「あっ、すみません! えっと、綾川星奈といいます。よろしくお願いします……」


 スグルのことばかり考えてしまっていて、自分の番が来たのに気づかなかった。はぁ、初日から目立つなんて嫌だったのに。

 クラスメイトが私の方を注目していて、至るところから視線が痛い。

 ――絶対に、目立ちたくないのに。



 学校が終わって帰宅の準備をし、帰り道を小幅で歩いていく。入学式と桜というのはとても似合っている。やはり春は桜が綺麗だ。

 お母さんとお父さんと、この景色見たかったな。そんな叶わない願いを心のなかで小さく思う。


 「あっ、おかえり、星奈ちゃん!」


 「……ス、グル?」


 帰り道を歩いていると、道端にある小さな花を見つめながら、スグルは座っていた。

 おかえり、って……もしかして私のことをずっと待ってくれていたのだろうか。数時間もの間、ここでずっと。


 「冷たい態度取ったのに、どうして待っててくれたの?」


 「どうしてって……俺星奈ちゃんを助けるって言ったじゃん。俺の責務を全うしなきゃ」


 ドキン、と胸が高鳴ったのが分かった。幼い子供のように無邪気なスグルが、こんなに男らしいことを言ってくれるなんて……。

 私のことを本当に考えてくれているのが伝わってくる。


 ……この人なら、信じられるかも。


 「ねぇ、星奈ちゃんは俺のことが嫌い? 俺、星奈ちゃんを助けちゃだめかな?」


 「そんなわけない。スグルに、救ってほしいと思ってる」


 そう言うと、スグルは満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに飛び跳ねた。さっきとは別人みたい。

 何だか私まで恥ずかしくなってしまうんだけど……。


 「これからよろしくね、星奈ちゃん!」


 「……よろしく、スグル」


 でもたぶん、これだけは確実に言える。過去の人たちのように、スグルは私のことを裏切らないと。

 目を見て分かるんだ。悪魔とは違う、スグルは確かに、みんなの願いを叶えてくれるお星さまのようだって。


 「ありがとう、星奈ちゃん! ところで……住むところないから、泊めてくれないかな?」


 ……は?


 こうして私とスグルの、そして人間と星の、不思議な関係に幕が上がった。

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