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「あなたが襲われたことは謝らなければなりません」表情を固くして、サミが言った。「予言にはこうあったのです。うさぎの娘の奇跡は、彼女が危機に陥ったときに発動するだろう、と。ですがあなたに危機は訪れず、平穏な毎日でおまけに海の王国で働きはじめた。使用人を雇ったわけではない、と一部の者たちから不満が出てたのですね。彼らが先走った結果なのです。怖い思いをさせて申し訳ない」
「いえ、特に怪我をさせられるといったこともなかったですし……」
たしかに怖くはあったけど。けれどもスニの中に怒る気持ちはなかった。
「陛下はこの一件には何も関わってらっしゃらないのです。奇跡がどうすれば起こるのか、陛下にお伝えしてなかったのです。我々も具体的なことはわかりませんからね。ただ、あの一件の後、わかっている限りでお伝えしました。陛下は悩んでおられましたよ。あなたが危機にさらされる、ということを」
考えてみれば、とスニは思う。この奇跡の力は本当に大きな危機のときに発動されたわけだ。命を失うという……。ということは、海の人々は私がある程度危険な目に会うということを承知で、私を海の王国に呼んだのかしら。そこは少し――怒るべきなのかな?
スニはサミをうかがった。サミのつるりとした顔はどうも、とらえ所がないという印象を受ける。スニが迷っていると、サミが口を開いた。
「陛下はあなたを陸に帰すべきかと悩んでらっしゃったようですね。私は帰すべきではないと思いましたよ。私は陛下よりは情が薄いのです。それに奇跡の力が発動するということは、うさぎの娘がそれなりに元気であるという必要があると思っていたからで、こんなふうに死――いや、申し訳ない」
そこでサミはスニが初めて見る、ばつの悪い表情になった。
「まさか死んだ状態で発動するものだとは思わなかったのです。やはり、あなたにひどいことをしましたね」
「いえ、いいのです」
スニは言った。もう一度自分の心を探ってみたが、やはり怒りの感情はなかった。それに、ソリョンが自分を案じていたということが嬉しかった。
そしてスニはもう一つあることを思い出した。海の王国へ向かっていたときのことだ。サミが、くらげがこのような姿になったのは、おしゃべりのせいだと言ったのだ。あれはなんだったのだろう。
「あの……以前おっしゃってた『おしゃべりの罪』とはなんだったのですか?」
「ああ、あれはですね」サミは苦笑した。「竜王に招かれたうさぎの伝説には、いくつかの類話があるのです。その中にはくらげが出てくるのもあるのですよ。くらげはうっかりおしゃべりして、うさぎに肝が狙われていることを知られてしまいます。そのためうさぎは竜宮から逃げ出すのです。竜王は怒り、くらげから骨を抜いてしまいました。
私は本来、おしゃべりなほうではないのですが……今日はよくしゃべりましたね。あなたに説明をするために来たからでもあるのですが。もうそろそろ口を閉じましょう。おしゃべりは罪ですからね。さ、包みの中身をあらためてください」
再度うながされ、スニは包みを開いた。真っ先に目に飛び込んできたのは――靴だ。繊細で色鮮やかな、花の刺繍がほどこされた、小さくて可憐な靴!
「これは私のものではありません!」
スニは言った。こんな高級そうで美しい靴、今まで全く所有したことがない! サミは笑顔で言った。
「それは陛下からの贈り物なのです。あなたは太古の世界で靴をなくしたでしょう? それで陛下が代わりの品を、と」
「私の靴はもっと安いものです! こんな高級なもの……受け取れません!」
「受け取ってください。それは陛下のお詫びの気持ちも込められているのですから。さ、はいてみてください。寸法はあなたのご両親にうかがったので、たぶん、ぴったりでしょうが」
サミにうながされ、スニは靴を床におろすと、その中に足を入れた。――と、足の先に何かが触る。
靴の中に何かが入っているようだ。スニは靴を脱ぎ、その「何か」を取り出した。
――――
春の晴れた空の下でスニはそわそわしていた。海が見える崖の上。辺りに広がる草むら。穏やかな風が吹き、空は青く雲は白く――。もっともスニは空の様子など気にしていなかった。注意を向けているのは、海だ。
海から何かがやってくる。海中を大きな影が移動し、そして、長い首が外に出た。それはソリョンだった。変身したソリョンだ。
スニはほっとし、笑顔になった。ソリョンもまた、スニを見つける。そして首をスニのほうに伸ばした。
「久しぶりだな」
ソリョンは言った。「はい」と、スニは喜んで答えた。
もらった靴の中に手紙が入っていたのだ。ソリョンからのものだった。いつ、どこそこで会いたいと、手紙には書いてあった。こうして、二人また再会することとなったのだ。
「あの! 靴をありがとうございます!」
スニは急いで言った。まず、靴のお礼をしたかったのだ。
「はいてきました」
そう言って、スニは少し裳を持ち上げてみせた。無作法かな、と思ったけれど、ともかく、靴をもらったのが嬉しくて愛用しているというところを見せたかったのだ。
ただ、愛用しているというところには嘘がある。もったいなくて、ほとんどしまったままだ。靴を見て、ソリョンの目がやわらかくなった。
「寸法は合っているのか?」
「ぴったりです」
「それならよかった。……そなたには悪いことをした」
ソリョンの口調が固くなった。「私は謝りたかったのだ。そなたに。あらためて、自らの口から――」
「いえ、気になさることはないのです!」スニは言った。「私はこうして無事ですし、陛下の問題が解決されたのでしたら、私は務めを果たしたことになって、とても嬉しいですし……」
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