再会×鏡

 私を信じてと言ったものの、できる事は治験患者の確保が精一杯だった。

 自己認識が不安定な状態まで症状が進むと、本人の承諾を取り付けるのは困難だ。それ意外にも、医師とのカウンセリングを終え、メルトアップに動き出してる場合も、現場の混乱を招いてしまうとの理由で同様に困難とされている。

 仮説通りなら、すべての人がエヌリスに感染している状態だと判断できるので、誰を選んでも治験自体は成立するが、自覚症状がない場合、成功の有無がほとんど読み解けない可能性がある。

 ある程度自覚症状があり、一定程度の自己認識の維持が必要である。

 条件を満たす患者のほとんどがケアセンターで生活しているため、症状が治験に向いている人を対象に希望者を募ったが、セナの努力の甲斐もあって――いや、皮肉なことに、その甲斐があったからこそ、誰もメルトアップの道を逸れようとはしなかった。

 一部の人たちには面談を取り付け、直接の説得も試みたが「治ったらいつか死んじゃうって事だよね」「家族があっちで待ってるから」そんな言葉でアマネたちの希望の芽は摘まれていった。

 治験の結果、エヌリスに可逆的な効果が認められても、メルトアップした人たちを誰の許可もなく治療することは許されない。

 ――一体、誰のための希望なのか。見失いそうになる。

 後ろの方から、小さな足音が弾むように近づいてきたのと、ほとんど同時に甲高い声が背中を突き抜けた。

「車椅子のお姉さんだ」

 あまりにも唐突で、アマネは思わず肩を震わせて振り返る。そこには、見覚えのある小さな女の子が「こんにちは」と手を振っていた。

「……ナツキちゃんよね。まさか、こんなところで会うなんて」

 その返事を聞いて、女の子の顔は明るく輝くようだった。

「覚えててくれたんだ。

 カイロスドームではお母さんに会わせてくれてありがとう」

 彼女はそう言うと、まだなにか言いたそうにもじもじとしはじめた。

「どうしたの。なにかあった」

 アマネは優しい口調でそう尋ねると、ナツキは少し恥ずかしそうに口を開いた。

「……あの日、2人の名前を聞くのを忘れちゃって。ーー今日は、あのお兄さんは一緒じゃないの」

 不意にユイの話になり、僅かに言葉に詰まりそうになった。

「お兄さんはーー今、少しだけお休みしてるんだ。

 そう言えば、あの時はナツキちゃんの名前だけ聞いて失礼なことしちゃってたわね。ごめんなさい。

 私の名前はアマネよ。お兄さんはユイって名前よ」

 2人の名前を聞いて、ナツキの輝きがさらに増したように感じた。

「ユイくんに、アマネちゃんだ。良い名前だね」

 ナツキの笑顔と向かい合っていると、自然と自分自身の心が解かれていっているとアマネは感じていた。

 2人の名前を褒められた。たったそれだけのことなのに、私たちの未来への想いごと肯定されたようなそんな大袈裟な気分になった。

「すみません。うちの子が何かしてしまいましたか」

 遠くかから慌てたような声が響く。

 声の方に目を向けると、どこか弱々しい足取りで、病院着の男性が小走りに近づいてきた。

「ナツキ、何か迷惑かけたのか」

 男性はこちらにたどり着くと、ナツキの肩に優しく手を置き、彼女に尋ねるようにそう言った。

「アマネちゃんとお話ししてただけだよ」

 そう言って、こちらに目を向け「ねっ」と、同意を求めるような仕草をした。

「そうだね」と一度相槌を打ってから、男性に視線を向けて続けた。

「以前、カイロスドームで話をさせてもらっていて、久しぶりだねって話をしていました。ご心配をおかけしてしまったみたいでかえってすみませんでした」

 男性は安心したようで、ナツキの頭をポンポンと撫ではじめた。

「1人でドームに行った時にお母さんのところまで一緒に行ってもらったの」

 それを聞いて思い出したように、男性は話し始めた。

「ああ、そう言えばそんな話してたっけな」

 男性は改めてシャンと身体を伸ばし、アマネに丁寧にお辞儀をした。

「その節は大変お世話になりました。キダと申します。ナツキの父親です」

 ナツキも真似るように深くお辞儀をしてからにこっと笑顔を向けてきた。

「たまたま、そこに居合わせただけで大したことはしていませんよ」

 アマネがそう言うと、キダはそれを否定するように首を数回横に振り、柔らかい笑顔をこちらに向けた。

「うちは、私の症状が不安定になってきてしまって2人でケアセンターの家族部屋にお世話になっています」

 2人の話を遮る様にナツキが口を開いた。

「お父さんがお母さんのところに行かなきゃいけないから、私も行かなきゃいけなくなるんだって」

 キダはそれを聞いて申し訳なさそうに表情を曇らせた。

「この子が一緒に行くと言い出してしまったんです」

 ナツキはそれを聞いて、父親の手をとりぎゅっと握りしめた。

「私や妻の病状のせいで、この子に満足に現実を見せてあげられないことが何よりも悔やまれます。

 現実の経験をしっかり持ち込ませてあげられればよかったのですが」

 アマネは現実は源と言った父の姿がまるで鏡あわせに重なるような不思議な感覚に囚われた。

「もし、メルトアップできなくなったとしても……」

 自分でも思いがけず、言葉が口をついて出ていた。

「ナツキちゃんに未来を残せるのなら。ほんの少しでも時間を作れるのなら。その希望に縋りたいと思いますか」

 突然の問いかけに、キダは僅かに困惑したように見えたが、すぐに少し考えるような仕草をした。

「……そうですね。そんな事が本当にできるなら、きっとそうすると思います」

 キダは一瞬、言葉を選ぶように口を閉ざした。

「奥さんに会えなくなるのは……寂しい。でも、きっとあいつも、それを望むと思うから」

 それを聞き、治験の話をすぐにでも伝えたい気持ちになった。だが喉の奥までせり上がった言葉を、アマネは唇を噛んで押し殺した。――まずは、この人の病状とデータを確かめなければ。

「私の父も、以前、同じように言ってくれました。突然おかしな事を聞いてしまってすみません」

 キダは首を横に振り、いいえと優しく応えた。

 アマネは一礼してからナツキに顔を向けた。

「少し用があるから、私は行くね。今日はナツキちゃんに会えて良かった」

 ナツキは嬉しそうに「またね」と手を振った。

 アマネも小さく微笑み返し、胸の奥に温もりを抱えたまま、ラボへまっすぐに車椅子を進めていった。

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