沈黙×融合

 研究室に差し込む光は、まるで皮肉みたいにやわらかく、温かい。外の天気がこんなにも良いと、何だかそれだけで不自然に感じる。それなのに心がふっと緩んでしまうのが、かえって居心地が悪かった。


 白い光の下で、ユイは端末を前に眉をひそめていた。


「……ねえ、アマネちゃん」


 その声に、私は軽く顔を上げた。


「ネセリアの進行段階、初期と末期での差分を取りたいんだ。脳波だけじゃ足りなくて、もっと深層の構造的なデータがほしくてさ」


「末期なら……メルトアップ者ね」


 私は少し考えたあとで口を開く。


「カイロスドームなら、初期から末期までのデータが参照できるんじゃないかしら」


「カイロスドームって、あれだよね……メルトアップに踏み切った人を預かってる、病院みたいな場所?」


「そうね。メルトアップ者のほとんどが、ネセリア感染の末期と言って差し支えない状態だもの」


 ユイが頷きながら、ちょっと真顔になる。


「それって……俺のセキュリティレベルでも、データ見られるのかな?」


「オンライン上からは確認できないわ。ドームのデータは、ネットワークから完全に隔離されてるの」


「なんでだよ! 見せてくれてもよくない!?」


 ユイが身を乗り出すようにして言う。


「安全上の都合。メルトアップ融合体と外部ネットワークの干渉リスクがあるから。それと、たぶんユイのレベルでは全データにアクセスできないかもしれない」


 ユイは少しだけ肩を落としたあと、こちらを見て、深く頭を下げた。


「……アマネちゃん、確か最上位権限だったよね。もし少しでもいいから、手を貸してくれるなら、すごく助かる。」


 ユイの頼みを断る理由なんて、最初から無い。


「準備が必要ね。ドームのアクセス権限と同行許可、それから……あなたの研究ファイルも貸して」


「ありがとう、アマネちゃん!」


 弾かれたように笑ったその顔が、ほんの少しだけ幼く見えた。


 ユイの勢いに押され午後にはカイロスドームへ向かうことになった。

オートメーション化された電車は、ほとんど貸切のような状態。静けさが広がり、車両は無人に近い。

 ほんの数人しか乗っていないその空間に、私たちの気配だけが浮いているようだった。


 車両は淡々と進み、無機質な景色が窓の外を過ぎていく。

 地下のトンネルが延々と続き、時間の感覚を失わせる。

 ただひたすらに、進んでいくしかないような、そんな印象だった。


 電車は無音で進み、都市の奥深くへと向かっていく。

 その間、ただ外の景色が通り過ぎていくのを見つめるしかなかった。


 言葉が消えたのは、ドームが視界に現れたからだった。目前にそびえるカイロスドームを、ユイが見上げた。


「……本当に、馬鹿でかいな。なんかこれ、バベルの塔みたいで……俺、嫌いだな」


 私も同じことを、ずっと前に思った。

 けれど、その感情の出どころは、たぶん違う。


 あの名前の不遜さが、形にそのまま表れているようで――


「そうね……私も、あまり好きではないわ」


 言いながら、私は少しだけ、彼の言葉の端に目をとめていた。


 ドームのエントランスは、外観の威圧感とは裏腹に静まり返っていた。

 ユイが肩をすくめ、天井を見上げる。


「アマネちゃん……なんか俺、ここ来るのちょっと怖いかも。笑うとこじゃないけど、やっぱ怖いわ」


 私は返事をせず、静かに歩を進めた。

 ユイが小さく息を吐き、ついてくる。


「ねえ、こういうときって、何か軽口のひとつでも言える人間の方が生き残るって聞いたことあるんだけど」


「……初めて聞いたわ」


「ユイ語録だよ」


「なら、頑張るしかないわね」


 その言葉に、ユイが小さく笑った。

 

 それでも、私たちの足音の先にちらほらと人影が見えはじめる。


 数は多くないが、ロビーのベンチや壁際にぽつりぽつりと座っている人たちがいた。どこか所在なげで、でも、明確な目的を持ってこの場所にいるような気配がある。


「……なんか、思ったより人がいるんだけど」


 ユイがぼそりと漏らす。私は頷いた。


「いわゆる“面会”ね。メルトアップ者は、完全に生命活動を止めているわけではないから」


「面会って……話したりもできるの?」


 その問いに、私は一瞬だけ視線を伏せた。


「メルトアップは“個”が保たれるとされているけど……こちらから見ると、もう融合意識としての側面の方が強くなっているの。だから“言葉”でのコミュニケーションは、ほとんど取れないわ」


「そっか……そっか。」


 ユイの声は、どこか遠くに向けて呟いたようだった。


 「データはこっちの融合観測管理区画で見られるの。行きましょう」


 私の声に、ユイが頷いた。

 観測管理区画へと向かう廊下に足を踏み入れた途端、人の気配が急速に薄れていく。

 先ほどまでわずかに感じていた面会者たち気配も、壁の向こうに遠ざかっていった。


 無人のような空間を進んでいくと、ふいに、何か小さな衝撃が車椅子を揺らした。


 「……ごめんなさい」


 女の子だった。

 白い服を着た、幼い面影の子ども。顔を上げたまま、こちらをじっと見ている。

 言葉に詰まったように一瞬口を開きかけたが、それ以上は何も言わず、そのまま小走りに去っていった。


 ユイがぽつりと呟く。


 「面会に来てた子、かな……」


 私は小さく頷き、何も言わずに歩を進めた。

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