リライト小説版『灯の在り処 ―わたしがここにいた証―』
rinna
プロローグ ― 静かな教室で
チャイムが鳴って、放課後の静けさが教室を包む。昼間の喧騒が嘘のように消え、窓際のカーテンだけがゆらゆらと風に揺れている。誰もいない教室の片隅に、私は一人で座っていた。
黒板のチョークの粉が、まだどこかに漂っているような気がする。机の上に手を置くと、ほんのり温かい。ついさっきまでクラスメイトたちがここにいて、笑ったり、喋ったりしていたことが嘘みたいだった。
「もう、帰った方がいいよ」
背後から、そう声をかけられた。
振り返らなくても、誰の声かはすぐにわかる。柔らかくて、少しだけ心配そうな声。澪だった。
「うん、わかってる」
そう答えながらも、私は席を立たなかった。
窓の外では、夕焼けが校庭を赤く染めている。運動部の掛け声も、グラウンドを走る足音も、もう聞こえない。まるで、世界から音が消えたような時間。私はそんな夕方の教室が好きだった。
澪が隣の席に座った。椅子を引く音が、やけに大きく響く。
「……また、あの夢?」
私は黙って頷いた。今朝方、同じ夢を見た。暗い舞台の上、ひとつだけ灯ったスポットライトの下に立っている。客席は見えず、ただ真っ黒な闇が広がっている。その中心で、私はなにかを叫ぼうとしている。けれど声が出ない。ただ唇が震えて、音にならない言葉が空を切る。
「夢の中で、誰かが泣いてる気がするの。でも、それが誰かもわからない」
「それ、きっと——」
澪は言いかけて、言葉を飲み込んだ。
教室の時計がカチリと音を立てた。そろそろ下校時刻だ。私はようやく立ち上がり、鞄を手に取る。けれど足はすぐに動かず、窓際で立ち止まった。
「……舞台ってさ、誰かが観てくれなきゃ、意味がないのかな?」
「ううん、そうじゃないよ」
澪は即座に答える。「誰かに届けたいって気持ちがあるなら、それだけで意味はある。観客がいてもいなくても、私たちは、そこに立つ」
「澪は、強いね」
「違うよ。強くない。怖いよ。だけど、灯りがつくその瞬間のために、今日もここにいるの。……それだけ」
夕陽の光が差し込んで、澪の横顔を金色に染めていた。その目の奥に、何か決意のようなものが見えた気がして、私は少しだけ顔を上げた。
「じゃあさ、私も、もうちょっとだけ……頑張ってみてもいいかな」
「うん。きっと、大丈夫」
澪は小さく笑った。安心させようとするように、ゆっくりと、優しく。
私はもう一度、空になった教室を見渡した。夕陽に照らされた机と椅子。誰もいない黒板。けれど、そこにはたしかに、今日までの日々が残っている。笑ったことも、泣いたことも、何も言えなかったあの瞬間も。
この場所から、物語が始まる気がした。
誰にも見えなくても、誰にも届かなくても——それでも私は、ここにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます