34話 願いの継承者たち

私――氷室ひむろみおが、お義兄ちゃんと出会ったのは、まだ五歳の頃だった。


初めて兄ができる――そのことだけで、心が躍った。

だけど――お父さんとお母さんは、遠くで働きに行ってしまったままだった。

もう、二人に会えない――その寂しさは、とても大きくて苦しかった。

(両親が亡くなったと知らされたのは、ずっと後のことだったけれど。)


それでも、私は頑張ろうと思えた。

新しい家族がいて、お義兄ちゃんたちがそばにいてくれたから。

出会ったその日から、お義兄ちゃんたちはいつも優しく、私に接してくれた。

一緒に遊び、笑い、時には友達との約束を断ってまで、私と遊んでくれたこともあった。

そんな時間が、幼い私にとって、何よりの救いだった。


だけど――私が12歳になった頃、すべてが変わった。

お義父さんとお義母さんは――DV、いや、天命者によって、私の家で命を奪われた。


しかも――その光景は、すべて私の目の前で起こった。

お義父さんも、お義母さんも――もう、そこにはいなかった。


私だけが生き残った。

でも――それは、幼い私を生かしておくためではなかった。

私の体が、狙われたのだ。

逃げようとしても、もうどうすることもできなかった。

すべてが、どうでもよくなった。


そのとき――唯一の光。

お義兄ちゃんが、私を助けてくれた。


炎鎖えんさ!」


突然聞いたことのない言葉を叫び、目の前のDV――私の両親を殺した者――を打ち倒した。


私はただ、立ち尽くしたまま。

その私を、優しく抱きしめてくれたお義兄ちゃん。

白い服の人たちが来るまで、ずっと、ずっと抱き続けてくれた。


その抱擁の中で、私の胸にぽっかり開いていた穴が、少しだけ埋まったような気がした。


白い光に包まれた世界で、私はお義兄ちゃんの腕の中にいた。

震えが止まらないけれど――胸の奥に、ほんの少しだけ、温かさを感じた。

怖くて、悲しくて、でも――生きていてもいいのだと思える瞬間だった。


「澪莉……大丈夫だ、もう怖くない」


お義兄ちゃんの声は、静かで揺るがなかった。

その声に、私は涙を流すしかなかった。


でも、胸の奥の決意も芽生え始めていた。

――私は、ただの被害者では終わらない。

あの日の恐怖も、失った家族も、私を止められはしない。

私を守ってくれたお義兄ちゃんのためにも――。

どんな私になろうとも、強くならなければ――。


その思いと共に、私は立ち上がった。

冷たい涙を拭い、拳を握りしめる。

目の前の空間はまだ混沌としていた。光と影が入り混じり、天界の底で戦いが続いている。


「――私も、戦う」


小さく呟いたその声は、自分でも驚くほど震えていなかった。

胸の中の炎が、静かに、でも確かに燃え上がっている。


白い光の中、私は誓った。

もう、逃げはしない。

お義兄ちゃんが守ってくれたこの世界を、必ず守る――そのために、私は立ち向かう。


だから――お兄ちゃん。

ずっと、私を見てて。

いつかきっと、お兄ちゃんみたいな人になるから。


……そんな儚い願いは、もう叶わない。

最後まで、お兄ちゃんに私を見ていてほしかった。

素敵になったあとで、「ありがとう。これからも一緒にいて」――そう伝えたかったのに。


ああ……もう、それすらも、届かない。


私は、また大切な人を失った。

胸の奥が、何も感じなくなる。

涙も、言葉も、もう出てこない。


――今度こそ、どうでもいいや。


戦場のただ中で、私は膝をつき、形見を抱きしめ、静かに嘆いた。

そこには、お兄ちゃんの優しい温もりはもうなかった。

光も音も遠のき、世界がひとり分だけ、冷たく沈んでいく。


――でも、その静寂の底で、確かに聞こえた。『生きて』と。お兄ちゃんの声が。


それでも、胸の奥で何かがかすかに疼いていた。

――“まだ終われない”と、微かに囁くように。


///


今、私にできること。

黒沢薫――かおちゃんから託された、この想いを絶対に無駄にはしない。

あの子の願いを、ここで終わらせたりしない。


私は、私にできることをやる。

泣いても、震えても、今は立ち止まれない。


蒼花では、こう見えて顔が広い。

だから――みんなを、できる限り安全な場所へ導く。

それが、私の“生きる理由”だ。


「みんな!!落ち着いて!!」


声が掻き消されそうになる。

空は裂け、爆風が吹き荒れ、学校だった場所はもう原形をとどめていない。

光と血と焦げた匂いが混じる中、叫ぶ声と泣き声が渦を巻く。

それでも私は、喉が裂けるまで叫んだ。


その瞬間――大木の根が地面を破り、蛇のようにうねって迫ってきた。


「あ……」


ダメだと思った。

心臓が凍りつく。足が動かない。

でも――まだ終われない。

かおちゃんの「みんなを守って」という声が、頭の奥で響いた。


根が目前で軌道を逸れ、砕け散る。

飛び散った破片の中から、淡い光が広がった。

まるで、見えない誰かが守ってくれたように――透明な膜が、私たちを包んだ。


一瞬、風が止む。

土煙の向こうから、夕陽のような光が差し込んだ。

その暖かさが、少しだけ“生きてる”と教えてくれる。


私は唇を噛み、もう一度、腹の底から声を張り上げた。


「……みんな!!よく聞いて!!生きたいなら――白い服の人たちの指示に従って!!」


震える声だったけど、誰も私を笑わなかった。

泣きながら、血にまみれながら、みんなが頷いた。


そのとき――わかった。

私が“かおちゃんの代わりに”ここに立っている意味を。


バラバラだった蒼花の生徒たちの想いが、ひとつに重なった。

ここで、確かに“生きる意思”だけが、燃えていた。


///


碧空あおぞら律樹りつきは、戦場を冷静に見極めていた。

状況を覆すため、動ける者を厳選する――その目はぶれない。


志村隊長と大平隊長が到着し、戦況はいったん変化の兆しを見せた。

俺は決めていた。どちらか一方に継魂けいこんを注ぎ、戦いを有利に運ばせる──と。

だが、二人の力は“天”の前には遥かに及ばない。

継魂を与えたところで“天”を倒せる保証はなく、仮に倒せたとしても、との決着と同じ代償が待つだろう。


現状、俺たちにできることは、まずは撤退だ。

なるべく犠牲を出さず、助けられる者を助けること。

継魂で二人を支えつつ、避難を最優先する――それが現実的な選択肢だった。


だが、心は変わった。

同期の矢野も藤本も、目の前で“天”に砕かれた。

彼らが存在して初めて成り立っていた戦術は、音を立てて崩れ去った。

武器を失った志村と大平――この二人では、“天”を封じることなど到底不可能だ。


彼の脳裏に、仲間たちの笑顔が浮かんだ。『あのときのお前、格好良かったぜ』――矢野の冗談交じりの声まで、鮮明に。


だから俺は賭けることにした。

一か八かの勝負だ。彼が壊れても構わない。

だが、もしこれで大平隊長、志村隊長、佐南隊長の命が繋がるなら、やるしかない。


手の中の懐刀をぎゅっと握り直すと、心臓の鼓動が冷たく速くなるのを感じた。


///


女性隊員を庇った男性隊員の体が、光の粒となって消えた。


――もう、誰も失わせない。


「だから……俺は!!」


叫ぶと同時に、俺は駆け出した。


「如月に――この天命ディスティニーを託す!!」


視界の端で、“天”がゆらりと笑った気がした。

バレるな……気づかれるな……!

心臓が爆ぜるような鼓動を押さえ込みながら、俺はただ一直線に走る。


時も場所も選べない。

もう迷う余裕なんて、どこにもなかった。


繋げ――繋げば、あとは彼らがなんとかしてくれる。

そう信じて、俺は腕を伸ばす。


如月の背が見えた。あと少し。

その瞬間――


胸の奥で、何かが“弾けた”。

視界が白く霞み、心臓が、音もなく消えた。

……いや、“消された”。


体が前のめりに崩れ落ちる。

あと少しだった。

あと、ほんの数センチで――


「碧空さん!!」


如月の叫びが、遠くで響く。

地面の冷たさが、背を伝って心まで沈んでいく。


俺は……繋げなかった。

歯を噛み締める。動かない腕が、悔しさに震えた。


その耳元で、誰かの声がした。

低く、残酷なほど冷ややかな声。


『――とっくの前に、バレてるよ』


音が遠ざかる。

世界が、ゆっくりと静寂に飲まれていった。


それでも、地面に落ちたその手のひらから、微かに光が溢れた。――“繋げ”という想いだけを残して。



///


僕――窪倉くぼくら御室みむろは、まだ、どこかにいた。


ここが地獄なのか、天国なのか。

それとも、どちらでもない場所なのか。


目を開けても、白とも黒ともつかない霞が広がっている。

音も、風も、時間さえも流れていない。

ただ、存在という輪郭だけが、かろうじてこの“どこか”に浮かんでいた。


……如月。

ちゃんとやれているのだろうか。

第五のみんなは――無事だろうか。


胸の奥に、焦げついたような不安だけが残っていた。

それが、まだ“僕が生きている”と教えてくれている気がした。


霞のような空間の中で、ふと風が吹いた気がした。

動くはずのない空気が、僕の頬を撫でた。

その瞬間、記憶がゆっくりとほどけていく。


――あの頃の、淡い春の匂いとともに。


目の前には、小さなアパートの窓。

薄いカーテン越しに差し込む陽の光が、部屋をやさしく包んでいた。

そこに、彼女がいた。


「おはよう、御室くん」


寝癖を気にしながら笑う彼女――

亡くなった幼馴染であり、恋人の結衣ゆい


僕は彼女の隣で、いつもと変わらない朝を迎えていた。

カーテンを開ければ、眩しい光と彼女の声が重なって、そのたびに、世界が少しだけ明るくなるような気がした。


僕たちは派手でもなく、特別でもなかった。

ただ静かに、互いを必要としていた。

買い物に行って、夜は一緒にカップ麺を食べて、疲れた日は、無言のまま手をつないで眠った。


けれど――あの日を境に、“普通”は永遠に失われた。


七階建ての古びたビル。

その五階で、天命者の暴走――“DV”が発生した。

悲鳴と爆音が入り乱れ、逃げ惑う人々の中で、僕と結衣は奇跡的に外へ抜け出せた。


「……ごめん、御室くん。やっぱり、私……同じ階にいた人たちを置いていけないや」


結衣はそう言って、躊躇なく引き返そうとした。

止めなければと思った。

けれど――僕にはできなかった。


彼女の優しさを、誰よりも知っていたから。


「御室くんは、ここで待ってて。必ず戻ってくるから」


僕は、その言葉を信じた。

信じてしまった。


恐怖で足がすくんだ。

声を出そうとしても、喉が凍りついたように動かなかった。

でも――もしあの時、僕も一緒に行っていれば。

彼女は生きていたかもしれない。

せめて、一緒に死ねたかもしれない。


あの頃の僕には、何の力もなかった。

天命ディスティニーの才があると知っていたなら。

彼女の笑顔を、もう一度守れたのかもしれない。


だけど、僕は彼女の眩しさに、ただ見惚れて、頼ってばかりいた。


結衣が戻るのを、僕は信じて待ち続けた。

だが、時間だけが過ぎていった。


そして――

ビルの五階で、爆発が起きた。


炎と黒煙が空へ昇るのを、僕はただ見上げていた。

立ち尽くすしかなかった。


それでも、奇跡を信じた。

彼女なら、きっと帰ってくると。


だが、現実は残酷だった。


その名簿の中に、結衣の名前があった。


爆発の原因は、DV――暴走した天命者によるものだった。


後になって、生き残ったわずかな人たちから聞かされた。

「彼女は、最後まで人を助けてた」と。

火の中で、負傷者をかばい、逃げ遅れた子どもを抱えていたと。


――結衣は、まぎれもなく“ヒーロー”だった。


それを聞いた瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。

誇らしいと思う気持ちと、どうしようもない悔しさが、ぐちゃぐちゃに混ざった。


「なんで、僕じゃなくて……結衣なんだ、よ……」


声にならない声が、喉の奥で砕けた。


僕はただの傍観者だった。

彼女が命を懸けたその場所に、立つことすらできなかった。


――それ以来、僕の時間は止まったままだ


ふと、僕の脳裏に一つの記憶が蘇る。


「ねえ、御室くん」


放課後、帰り道の交差点で、結衣はふと立ち止まって言った。


「私ね、怖いの。誰かが傷つくのを見るのが」


「それでも、助けに行くの?」と僕は聞いた。


彼女は笑って、風に髪をなびかせながら答えた。


「だって、それが“私”だから。誰かを助けて笑ってもらえたら、それでいいの」


その言葉が、今でも耳の奥に焼きついて離れない。

まっすぐで、眩しすぎて、僕には正面から見られなかった。


――だから、あの日。

彼女が危険の中へ戻っていったときも、僕は何も言えなかった。

止めたら、彼女の“らしさ”まで奪ってしまう気がして。


「……ごめん、結衣」


あのときの自分の声が、今でも頭の奥で響いている。


#


霞の中で、風の音がした。

それは、懐かしい声に似ていた。


『……御室くん。泣かないで』


その声が、確かに聞こえた気がした。

顔を上げると、白い靄の向こうに、彼女が立っていた。

火の粉のように淡い光が舞い、その中で結衣は微笑んでいた。


その笑顔は、あの日の春の朝と同じだった。

だけど今は、もう届かない距離の優しさで。


『後悔してるんでしょ?でもね、あのとき私が選んだの。助けるって』


彼女の声は優しかった。

責めるでも、慰めるでもなく、ただ“そこにある”温もり。


「……でも、俺は、何もできなかった」


『ううん。今、できるじゃない。私の代わりに、生きて、誰かを助けて。――それが、私が“御室くんに託した”最後の願い。』


白い光が、ゆっくりと胸の奥に溶けていく。

まるで、止まっていた心臓が再び鼓動を取り戻すように。


「……ああ。わかったよ、結衣」


声が震えても、もう俯かない。

握った拳に、確かな熱が宿る。


「お前の分まで、俺が最後まで生きる。俺が――繋ぐ」


#


彼の瞳が、静かに開く。

霞が弾け飛び、視界が一気に広がった。

眩しい光の中、天界の戦場が再び目に映る。


――“意操いそう”』


御室の全身が淡い光に包まれた。

その力は、結衣の残した想いそのものだった。

消えたはずの魂が、確かに彼の中で燃えていた。


――そしてその光は、碧空あおぞらへと流れ込む。


『碧空……お前の意思、受け取った』


碧空は唇を噛み、最後の力で指先を掲げる。


「動け……まだ、終わってない」


御室の“意操”が碧空の体を通して戦場を支配する。

限界を超えた神経が軋み、碧空の目が蒼白に光る。


崩れ落ちる如月のもとへ、碧空の“分身”が伸びた。

幻のような手が、静かに如月の胸へ触れる。


『――継魂けいこん


その瞬間、如月は理解した。

それは力ではなく、“想い”そのものだった。


御室の覚悟と、碧空の祈り。

二人分の魂が、確かに自分の中で脈を打っている。


――これが、託された命の重さ。


彼の中で、確かに声が響いた。『生きろ』『繋げ』『未来を託す』――幾つもの想いが、一つの鼓動になっていた。


『――行け、如月くん。これが僕たちの最後の想いだ』


如月の背中から、蒼い光が噴き上がる。

失われたはずの希望が、再び戦場に灯る。


その光はまだ小さく、脆く、頼りない。けれど確かに、“次の誰か”へと続いていた。

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