19話 無力な自分を超えて

#


美野みの隆盛りゅうせいは用事を済ます。


DCFには預言者の女性がいた。


女性はこう答えた。


"薄暮、蒼花の白線上、天命者たくさん死ぬ"


美野はその瞬間、胸の奥がざわめいた。

迷っている時間はない。

彼は急いで古馬と、そしてあの二人に連絡をつけた。


#


まるで男が策定した未来に導かれたかのように、男が背後を振り向こうとした瞬間――もう遅かった。


「は?」


「……ハマったな」


錦魚きんぎょ

もはや魚ではなかった。


黒く濁った水の中から、ぬるりと現れる巨体――人の六倍はあろうかというその姿は、数十人を呑み込めそうな口をゆっくりと開き、心臓が吸い込まれそうになる。

あれは怪物ではない。俺の恐怖そのものだった。


考える暇もなく、世界が飲み込まれていく。

――イメージだ。天命はそこに宿る。


「ディス――」


如月の背後に潜んでいた夜の帳に紛れ込む漆黒の錦魚は難なく彼を一口で飲み込んだ後、滞在しながら師の指示はまだかと満足そうに留まった。


「う…、そだろ…?」


天堂の漏れ出した声が響く。

絶望と恐怖が混ざった声だった。


「ははは!これであいつを見返せられる‼俺の勝ちだ!」


天堂は如月を心底嫌がっていた。

だがその顔は、憎しみよりも、悲しみに近かった。


子を守る親熊のような勢いで、勇敢にも、無謀にも、力差がはっきりとしている十六夜へと姿勢を低くし、隙を突いて距離を詰めて立ち向かう。


「ディスティニー、直感インテューイション‼」


右手に握った拳を十六夜のみぞおちに討ち入れようとしたが、あっけなく錦魚で防られた。

天堂の体に“死”が侵入していった。


侵食を許した天堂は虚しくも言い残す。


「……浅川だけは…殺さない…く、れ…」


「もういいよ。おまえには飽きた」


聞く気がなかった十六夜は耳を傾けず、容赦なく彼を荒々しく振り払ってかっ飛ばした。


「天堂‼」


その瞬間、風が止んだ。

世界の音が、全部消えた気がした。

次に聞こえたのは、電柱に打ち付けられる鈍い音だった。


「あ…、あ…。俺のせいで……みんなが…」


両膝をつき、顔を覆う。

震える指先の隙間から、地面の血が滲んで見えた。

ただ錦魚に生を奪われるのを待つことしかできなかった。


「いい生き様だな」


十六夜は静かに笑う。

その声は氷のように冷たかった。


「目的は達成した。特別に君だけは1分だけ生かしてやろう。家族や友人に別れに言葉を告げるとよい。実に君の死に様美しくなりそうだ」


俺は何も言えなかった。

時間を与えられても、言葉が出ない。

目の前の化け物が、ただ美しく泳いでいるように見えた。


「いいのか?もうタイムリミットは一刻を迫っているぞ?まあいい。それもそれで、"君の美しい死に様"、期待しているよ」


十六夜の声は、遠くで響く鐘のように淡かった。


一匹の錦魚は十六夜の身体を中心としてくるくると泳ぎ始める。


俺の意識は、錦魚の動きに吸い寄せられていく。


――俺は今日、死ぬ。


結局、浅川は微動だにせず、十六夜は人差し指を立てた右手を彼の頭へ差した。


「ふ、いけ。錦魚」


顔を上げる気力すら俺には残されていなかった。


「あ……」


錦魚が顔に優雅に近づいたその時、忘れていた約束が心を貫いた。


これだけは絶対に守ってから死ね、俺。


錦魚が顔の目前まで迫ったそのとき、本能で右へ転がった。

ターゲットを見失った錦魚は空を切り、床へ激突。

口をパクパクさせながらすぐさま反転して、再び俺を猛スピードで泳ぎ狙う。


動け!俺の足!最後まで抗え!


いうことの利かないわなわなと震える足を同じように震える手で、無理やり引っ張り上げようとしたが、微塵たりともそこから動かなかった。


――嫌だ……約束だけは、守らなきゃ……


あの日の悲劇は………真希まき姉さんを…繰り返して……ダメ…だから…


脳裏に蘇るのは、あの日の彼女の笑顔だった。



覚えている。 

でも――今目の前の光景は、ただの喧嘩や遊びじゃない。命が、血が、僕の目の前で無惨に飛び散る。


俺は昔から、誰かの喧嘩を止めるのが得意だった。


遊んでいるときにちょっとした喧嘩が勃発する。

すぐに間に取り入って仲直りをさせては、また楽しく笑顔で遊ぶのを繰り返して幼少を過ごしていた。


しかし、俺を揺るがす出来事があった。


正月に親戚の家で集まって、同い年数人と少し年が離れている面倒見の良く子供好きな真希まき姉さんと仲良く公園で遊んでいたときだった。


まだ顔馴染みができていないこともあってかすぐに喧嘩になった。

喧嘩した二人の間に入ろうとして、俺は転んだ。


右肘を擦りむき、砂に血を落とした。


年上同士の喧嘩もあってか力で負けて弾き飛ばされてしまった。


みのりくん、大丈夫?絆創膏持ってあるから張ってあげるね」


砂でズボンが汚してしまうのを気にせずに、俺を怖がらせないよう腰を下ろして膝をついてくれた。

真希姉さんは優しく怪我をしてしまった俺に声をかけて気遣いをしてくれた。


年上の女性であってか頬を赤らめて恥ずかしい。

喧嘩をいち早く止めたいのも相まってか冷たい態度を取ってしまう。


「ありがとう。でも一人で張れるから!こんなことより早く二人の喧嘩を止めて!」


まさか過ぎる反応に真希姉さんは口をぽかんと開け、少しの間座り込んでしまった。


「真希姉さん?」


「あ、だ大丈夫大丈夫!穂くんは偉いね。わかったよ。私が二人を止めてくるね」


真希姉さんは柔らかく笑って、頭を撫でてくれた。


「穂くんは偉いね。じゃあ私、止めてくるね」


膝についた砂を擦り払いながら立ち上がり、喧嘩している二人を止めに行った。


「二人とも一回落ち‐」


悲劇が起きたのはこの事だった。


座りつくしていた俺を含まない全員の首が跳ね飛んでいった。


もちろん真希姉さんの首も、空を舞っていた。

温かい血が頬に飛び散った。

俺の手から、絆創膏が落ちた。


切り離された体からはたくさんの血飛沫が飛び散り、公園の一面は血の海と化した。


笑っているのに、涙が止まらなかった。


何が起こったのかよくわからなかった。

わかりたくもなかった。

この現実という世界から逃げ出したかった。



あの日、公園で起きた悲劇の記憶が胸を締め付ける。守れなかった人々の無力さが、今の自分に重なり、全身が硬直する。


「ああ…また……俺のせいで………みんなが……」


声にならなかった。

唇が震えて、喉の奥で何かが詰まった。

もう、誰の名前も呼べなかった。


『……』


空腹の錦魚に生を食べ尽くされる直前で、錦魚と俺の間にもともと壁が阻まれていたかのように静止した。


「はは、それが君の“美”か。だが――状況が変わったようだな」


十六夜は俺に興味を待つ余地すらなく、そこに誰がいるかのようにキョロキョロと辺り一帯を見渡した。


「正体はじゃない。ならまさか」


十六夜は一際目立ちすぎている自分のペットを見上げた。


、サーキュレーション・アブソープ』


刹那にして彼を捕獲した錦魚は消え去っていった。


「さあ、本番と行こうか」


「望むところだ。君の美しい死に様を私に見せてくれ」


二人は万全の準備ができていないまま、戦闘に突入する。


十六夜の錦魚に触れれば一発アウトのクソゲーだ。

錦魚の餌食にならずとも懐に入る方法はやはり東雲のアドバイスが鍵を握っている。

東雲の言葉通りやってはいるが、天命の発動条件は未だ掴めそうで掴めていない。


情報通りあいつの天命は何もかも消し去り利用される。

天力てんりょくの消費は激しいが、違うアプローチを試せばいい。


『一歩乗り遅れば負ける‼』

『遅れは負けに等しい』


「ディスティニー、錦魚きんじょ

「ディスティニー、サーキュレーション・ディスチャージ‼錦魚‼」


二人はほぼ同時に天命を発動させるが、如月は刹那の遅れを取ってしまった。


リスと同じサイズの錦魚が20、30の群れを等間隔で3つ隊列としてつくり、つむじ風と戯れ浮遊し、対応させる時間などやらないと瞬く間に距離を詰めてきた。


遅れて吸収した数百匹もの錦魚を空に舞わせ、やつがつくり出した錦魚にぶつけさせる。


相手の方が錦魚の扱いに慣れているのは当然だ。


数で勝ち相手を鎮める。


喜ぶべきか如月の狙いはあっけなく成功していった。


見事なことに、相手の数を上回る錦魚たちは複数で一匹を取り囲んでは撃墜させ、数十匹になったものの、十六夜へと向かって疾走していく。


しかし、俺の中では違和感が生まれた。


当然といっては当然なことになるのかもしれないが、数に勝手はいるものの、扱いに慣れている玄人に果たして勝ってしまったことはいいのか、と。


上手くいった分嬉しいものだが、本当に相手の勝っているのだろうか?


相手の狙いはこれであっているのだろうか?


あれ?なんで十六夜は数百匹もの錦魚を出せるにも関わらず百匹程度の錦魚しか出さなかったのか?


「どうしてだ……なんで十六夜は、本気を出さない……?」


その瞬間、背後で何者かの気配を感じ取った。


一瞬十六夜から目を離して体を反転させ、正体を目視した後、殴りこんできた拳をかわすべく左方へ跳び込み翻し、瞬時に体制を立て直すも、またよや気配を同じとした人が目の前に立ち塞がり、右方に後退すざがるを得なかった。


どこか逃げ道はないのかと辺り一面を見出す。

だが一面は片手に錦魚を持つ野垂れ死んでいたはずの人々で埋め尽くされていた。


「どう…いうことだ…?」


心臓が凍りつく。

逃げ場がない。


空気が重く、湿り、錦魚の体臭と水の匂いが混ざる。

視界の端には、動く影が次々と迫ってくる。


人々はまるで寄生させたかのように俺へとゆっくりと死者の行進のように向かってくる。


一瞬にして生を吸い尽くす錦魚は吸い尽くした屍をも操ることができるのか!?


深呼吸で心を落ち着かせる。手のひらは冷たく汗ばんで震え、足元もわずかにふらつく。


深刻的な局面を迎え、冷や汗を搔きながら思案を巡らす。


まるで自分が狩られらているような気分だ。


周囲を見渡すが、逃げ場はどこにもない…


「そいつらはまだ生きている。だが、さっきのように吸収すれば、洗脳している錦魚は消えるが、同時にそいつらの命も消える」


「ほう…、それはいい情報を教えてもらった」


十六夜は終わりか?と冷たく鋭い眼光を向けてくる。


その視線は、ただ冷たいだけではなく、獲物を見定める捕食者のそれだった。


仮にそうできたとしても十六夜に辿り着く保証はできない。


切り札であったたくさんの錦魚は使い果たしたし、他に使えるストックもあるもののここで使えば巻き添えを食らう。


俺を囲む人々の中に宿る錦魚の位置もイメージできない。


打開策となるアイデアが浮かび上がらない。


どうする?


てんてんと雲は流れてゆく。


肩を落として意気消沈する心に、一つの希望が舞い降りた。


『ここだ……』


どこからか俺を呼ぶ声が微かに耳に入ってきた。


どこだ?


探しても見えるのは錦魚に洗脳された人々で視界が防がれている。


見えるのはただの暗い空のみ。


空耳に思えてきた声ははっきりと耳に届いた。


『でん……ち…ゅ……』


でん…ちゅ?


「……でんちゅ?電柱…?」


一刻を争った時間はもうそろそろなくなりかけ、洗脳された人々の手が俺の身体に触れようとしていた。



浅川あさかわみのりは二人の戦いを見ることしかできなかった。


だが、彼の心の奥底には希望となる灯火の種が埋まっていた。


そのとき――


『逃げ出しちゃ、ダメだよ』


耳の奥で、確かに聞こえた。

あの時、助けられなかった命。

――姉さんは、きっと今もどこかで見ていてくれる。

声は聞こえなくても、その存在が背中を押してくれる気がした。


ふいに、浅川の心の奥で真希姉さんの声が響く。


(だけど……俺にはもう、何も残ってない。何もできない……)

そう呟いた心は、乾いた風に消えていった。


『それでも、あなたは戦い続けないといけないの』


『怒っているのか?あの日、俺が真希姉さんに頼んだせいで……真希姉さんを殺してしまった……』


『うんう、違うよ。その逆』


見ていないはずなのに真希姉さんが首を横に振った気がした。


(あの日、血の匂いの中で姉さんが笑っていた気がした。)


『私はあなたのおかげで気づいたの。どんな子にと、手を差し伸べること』


『……』


『私はね。昔から怒られても直らない人は直らないと決めつける癖があったの。喧嘩していた二人はそういう人だった。でも、あなたは見捨てずに手を差し伸べようとした』


やめろやめろと心が必死に拒んだ。


『私はそんなあなたに心を打たれたんだ。勝手な決めつけはよくない。一度話してみなきゃわからないことはきっとある』


『もう……やめて』


『あの日、あの選択を選んだのは私。死に運命を選んだのも私。あなたは決して悪いことなんてしてない。あなたは私の心を救ってくれた人だから。これは私の最後の願い。"自分のために人生を生きて"』


声が震えた。

長い間胸を締めつけていた苦悩がほどけ、罪の意識に縛られていた俺。

あの世から彼女が優しく解放してくれたと悟った瞬間、心の鎖が、外れていくのがわかった。

涙が溢れ出しそうになる。


泣くのは、事が終わった後でいい。


……後で泣け!ここだけは乗り超えてみせる‼︎


俺は立ち上がった。

膝が笑っても、足が震えても。


「如月‼南西の歩行者信号の隣だ!天堂は心臓を指さしてる‼」


#


混沌を切り裂く一筋の咆哮が空に轟いた。


イメージしろ‼︎チャンスを逃さな‼︎千載一遇の希望を繋げ‼︎


「如月…‼俺の、ガァ……天命を……!」


手に握られた錦魚を間一髪しゃがんで交わし、地に手のひらを貼り付けると同時に、天堂の瞳孔は一時の間、再び光を宿した。


全身の血が沸き、鼓動が耳に響く。今、この瞬間に全てを賭ける覚悟が必要だ。


「『ディスティニー』」

『サーキュレーション・アブソープ!』「直感インテューイション!」


逃げは許されない。全てを賭ける瞬間が、ついに来た。


大地を伝って、光が流れ込む。

それは“見えないもの”だった。

けれど、確かにそこにあった。


大地を介して流れ込む力を瞬時に吸い上げた。


俺たちは、もう一度、未来を掴みにいく。

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