一心のディスティニー
とっきー
1部
1話 眠る約束
20XX年。
世界中に“
天は“選ばれし者”にのみ天命(ディスティニー)を授ける。
その力は時に祝福であり、時に呪い。
数百人に一人が“超常の力”を得たが、
人々はまだ知らなかった。
――それが“人の理(ことわり)”を崩壊させる、最初の兆しだったことを。
///
これは、世界がまだ“正しかった頃”の話。
そして今――俺たちは、その破片の中で生きている。
2042年、東京都心新宿区。
蒼葉高校の昼休みは、いつもと変わらず平和だった。
人気の少ない丘の上に、数百年の時を生き続ける一本の大木が立っていた。
幾世代もの蒼葉の生徒を、静かに見守り続けてきた木だ。
その木の下で、一人の痩せた男子生徒が寝転がっていた。
両手を頭の後ろに組み、横向きのまま、気持ちよさそうに昼寝をしている。
「本当に、よく眠る奴だな」
「だよな。あんな美人な幼馴染を放って、一人で昼寝かよ」
「……理解不能だ。そーや、おまえ仲良いだろ?聞いてこいよ」
「仲いいってほどでもねぇよ。他よりは少し話せるくらいだ」
校舎の窓から、大木の下で眠る
#
その日も、空はよく晴れていた。
昼寝にはこれ以上ないほどの天気。
柔らかな陽光が木の葉を抜け、木陰は蒼葉で一番といっていいほど心地よい。
昼食のコンビニ弁当も食べ終えた紅雅は、あとは予鈴が鳴るまでこの場所にいるつもりだった。
春風が頬を撫で、まぶたが静かに閉じていく――。
その瞬間。
「おーきーなーさーい!!」
怒鳴り声とともに、鋭い衝撃が腹を貫いた。
完全に力の抜けていた腹部に直撃したそれで、紅雅の身体は反射的にくの字に折れ、
次の瞬間、丘の上から転がり落ちていった。
背中を何かに打ちつけ、腹を押さえながら地面に倒れ込む。
痛みで意識が飛びそうになり、紅雅は唇を噛んで踏みとどまった。
「もう、なにしてるんだか……」
深くため息をつきながら、呆れたように腰に手を当てる少女――
物心つく前からの付き合い。いわゆる“幼馴染”だ。
紅雅にとってはただの友達――のはずだったが、
周囲の評価はまったく違う。
整った顔立ちに、優しい性格。
成績は常に上位、運動もそこそこ。
「完璧すぎる」とまで言われ、男女問わず人気が高い。
一部の女子にはファンクラブまで存在するらしい。
そして――告白して散っていった男子は、すでに二桁を超えている。
紅雅は苦笑を浮かべ、眉間にしわを寄せた。
「おまえかよ」と心の中で毒づきながらも、冷静を装う。
「……なんか用か?」
今度こそ用事がなかったら許さない――そんな思いを隠しつつ、
拳を抑え込みながら、作り笑顔で応じた。
紫乃は少し目を逸らし、頬を赤く染めながら口を開く。
「えっと……よかったら、お昼、一緒にどう?」
その手には、丁寧に包まれた弁当箱。
紅雅は思わず右手を握りしめたが、なんとか踏みとどまった。
落ち着け。まだ最後まで聞いていない。
「……」
沈黙の中、紫乃はチラチラと紅雅をうかがいながら、
黒髪を指でくるくると巻いていた。
「……ど、どうかな……?」
目は輝き、声は少し震えている。
照れと期待が入り混じったその表情に、紅雅の中で別の感情が芽生えた。
――仕返ししてやる。
大切な昼寝の時間を、“一緒にお弁当食べよう”なんて理由で奪いやがった。
このまま引き下がるわけにはいかない。
丘の下や校舎の窓には、いつの間にかギャラリーが集まっていた。
だが構わない。昼休みは俺にとって命当然。
どんな人目があろうと、報復は必要だ。
紫乃が「返事まだかな」とでも思っていそうな顔をしているのを確認すると、
紅雅は立ち上がり、声を張った。
「紫乃――お前は優しくて可愛くて超絶美人で、スタイルも良くて胸もデカくて、理想的な清楚系女子で! 成績優秀、運動もできて、みんなから頼られる存在で、俺はそんな――」
その瞬間、紅雅の言葉は止まった。
紫乃が両手で口を覆い、涙を浮かべていたからだ。
白い脚を崩し、肩を震わせて泣いている。
「……やばい、やり過ぎた……」
紅雅は即座に駆け寄り、勢いのまま土下座スライディング。
「確かにそう言われてるけど!俺は紫乃の他の良いところも知ってるし!そんなに泣かなくても……!」
必死に頭を下げる紅雅。
だがこの状況で泣かされた紫乃が、平然でいられるはずもない。
完全にやらかした。
「こうちゃん、顔上げて……」
覚悟して顔を上げたその瞬間、
柔らかくて温かい何かが紅雅を包んだ。
――抱きしめられていた。
「こんなところで……恥ずかしいよ、こうちゃん……」
紫乃の声は震えていた。
紅雅は反射的に両腕を広げ、そっと抱き返す。
ギャラリーの歓声が上がり、やがて静かに消えていく。
数分後。
紫乃はまだ離れようとせず、紅雅の胸の中で微笑んでいた。
紅雅は困ったように頭をかきながら、優しく問いかける。
「あの……紫乃。一度離れて、話さないか?」
紫乃は少し驚いたように顔を上げ、そして笑った。
「うん。全然怒ってないよ、こうちゃん。私こそ、ごめんね。……これからもよろしくね!」
その笑顔は、紅雅の知るどんな光よりも明るかった。
彼は胸の奥で静かに誓う。
――この笑顔を、もう二度と泣かせない。
それが“あの日”の前の、最後の約束だった。
その“あの日”が、世界の均衡を狂わせる最初の“零点”になるとは――
この時の俺たちは、まだ知らなかった。
///
2043年。
東京都心新宿区。
俺の体に、誰が見てもわかるほどの筋肉がつき始めた頃。
教室の窓から見えるのは、あの“大木”があった丘――いや、今はもうただの平地だ。
授業の声など耳に入らず、俺はただ無機質な心で、その場所を哀しげに見つめていた。
あの事件から、もう十ヶ月か。
――蒼葉高校天命事件。
あの日、十九人のクラスメイトが帰ってこなかった。
病院へ運ばれた三十八人のうち、十四人はそのまま息を引き取った。
生き残った九人には、今も傷が残っている。
数字にすれば一行で終わるけれど、俺にとっては“永遠に終わらない日”だった。
事件は全国ニュースで何度も報じられ、今では知らぬ者はいない。
その理由のひとつは――教員を含む“大人”の死傷者が、誰一人としていなかったことだ。
逃げたわけじゃない。
事件が起きた瞬間、大人たちは“その場から消えた”。
誰もが目を疑い、そして――いまだに消息は不明のまま。
思い出したくもない記憶が、頭の奥で軋んだ。
痛みを押さえ込むように、こめかみと胸を同時に手で押さえる。
――やめろ。思い出すな。
心の奥で叫び、意識を振り払う。
そして、そこから先の記憶を閉ざした。
気づけばチャイムが鳴り、授業は終わっていた。
周囲が立ち上がる音に遅れないよう、俺も立ち上がる。
「礼!」
いつもと変わらない教室の声。
だが、この校舎はもう“蒼葉”ではない。
全壊した蒼葉高校は、わずか一ヶ月で再建され、
名を新たに――蒼花高等学校附属中学校として生まれ変わった。
最初のうちは、ここで教えたい教師など誰一人いなかった。
だが、俺たちの心の傷を思いやってくれた教員たちが少しずつ集まり、
今ではようやく、形だけでも“学校”として機能している。
変わったことといえば、中学生も同じ敷地で学ぶようになったこと。
そして――何百年も生きた大木が、跡形もなく消えたこと。
あの木がなくなったのは、俺にとって何よりも悲しい出来事だった。
そんな俺に、去年と同じクラスになった彼女が、明るい声で話しかけてくる。
「こうちゃん!また暗い顔してる!そんなんじゃ毎日生きていけないよ?」
思い出したくもないあの日。
できることなら、この場所に二度と来たくなかった。
それでも――
彼女がいるから、俺はここにいる。
明るく、屈託のない笑顔で話しかけてくれる彼女に、毎日会いたいから、俺は蒼花に通っている。
「……そうだな。ありがとう。少し元気が出たよ」
できる限りの笑みを浮かべて、彼女を不安にさせないように言う。
彼女――
「あっ!そうだ!たまにはこのあと、一緒にどこか行こうよ!」
両手を叩き、楽しそうにはしゃぐ紫乃。
その姿に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「……わかったよ」
俺はできる限りの笑みで答えた。
放課後。
部活へ向かう者、家へ帰る者。
クラスメイトたちが次々と教室を後にし、やがて誰もいなくなった。
静まり返った教室で、俺は念のため周囲を見渡す。
そして、清掃ロッカーの横に置いてある“弓道用の
弓道部でもない俺が、それを持っている理由。
――見たくもない過去の名残だ。
だが、あの弽には確かに“俺の命”が刻まれている。
捨てた瞬間、俺の何かが消える――そんな気がしてならなかった。
開けるたび、吐き気を覚える。
実際に吐いたこともある。
だが、それでも手放せない。
なぜか心の奥で、“これは持っていなきゃいけない”と叫ぶ声がするのだ。
弽を肩にかけて席に戻る。
紫乃は“急用がある”と言い残し、どこか暗い表情のまま教室を出ていった。
彼女が戻ってくるまで、俺は机に肘をつきながら待っていた。
数分――静寂の時間。
そのとき、外から“悲鳴”が響いた。
耳を突き刺すような甲高い絶叫。
普段なら気にも留めないはずの声。
だが、なぜかその瞬間、心がざわめいた。
「……紫乃?」
胸騒ぎのまま、俺は椅子を蹴るように立ち上がり、窓の外を覗いた。
昇降口前の大広場。
人の輪――ギャラリーができていた。
その中心で、見知らぬ男が女子を押し倒している。
その“女子”を見た瞬間、息が止まった。
紫乃だった。
全身に吐き気が走る。
心臓が凍りつき、同時に燃え上がるような痛みを覚えた。
思考よりも早く、体が動いていた。
机の弽を掴み、教室を飛び出す。
階段を全力で駆け下り、息を切らせて大広場へ。
――そこにあったのは、現実とは思えない光景だった。
周囲の生徒たちは狼狽するでもなく、
むしろ半分は“期待”しているような目でその場を見ていた。
紫乃は見知らぬ男に押さえつけられ、身動き一つ取れずにいた。
男は体格も普通、特別強そうにも見えない。
だがその目は狂気に染まり、唾を垂らしながら紫乃の胸を掴んでいた。
「紫乃から離れろ!!」
怒号が喉を突き破った。
右手を振りかざして威嚇するが、男はまるで聞いていない。
「こうちゃん!!」
涙を浮かべながらも、紫乃の瞳には強い意志があった。
“何をされても負けない”――そんな光が確かに宿っていた。
だが俺は、一歩踏み出せなかった。
頭と心が、再び軋みだしたのだ。
――あの時と同じように。
体の奥で、何かが“目を覚まそうとしている”感覚。
それは恐怖でも怒りでもなく――純粋な“衝動”だった。
踏み出そうとするたびに、痛みが脳を焼く。
恐怖ではない。“拒絶”の痛み。
俺の中の何かが、過去を拒み、現在を拒んでいた。
それでも、足が勝手に前へ出る。
血が、何かを思い出そうと脈打つ。
そして、再び“あの日”が――蘇ろうとしていた。
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