口実と遭遇

「ボクをナディーラ川まで連れて行ってもらえないですか?」


 自称騎士シルヴィンは雑貨屋店主に頭を下げた。それはもう美しい所作の起礼で元騎士だった父親よりも様になっていた。

 言いたいことは分かる。勇者の逸話に近しい怪物の兆候を感じ取った彼女は騎士の自負で剣を手に取り、民草の敵を討とうとしたらしい。真っ直ぐな目の少女には嘘を感じない、商売人ニルサムには少なくともそう見えた。


「その、案内料金とかいくらか分からないですけど、多分支払えますです」

「……ふむ」


 一応悩むふりをする、しかしニルサムは渡りに船だと思っていた。

 彼は勇者の到来を避けるべく怪物の情報を欲していたし先んじて倒しておきたいと考えていたが、目的達成に至る情報を持っていなかったのだ。

 そのどちらも自称騎士少女のお陰で光明が見えてきた、のだが。

 ──背中にチクチクする視線を感じる。「まさか危ないことに首を突っ込むわけじゃじゃないですよね兄さん」という意思を感じる視線をだ。確かに怪物退治など一介の雑貨屋店主が関わる案件ではない、常ならば妹に咎められるまでもなく避けた話だろう。

 しかし、


「森の安全は俺たちカルデナルの町民にも無関係ではないだろ、妹よ」

「でも」

「それに何も戦うわけじゃない。何か問題があれば町の警備隊に話を持っていくさ」

「大丈夫です、ボクがやっつけるですから!」


 最初から警備隊に任せれば、との意見もあろうが現場は町からは大きく外れた河川。水源でもない地域の調査に不確かな噂が根拠な通報で警備隊が動くかは非常に怪しいのもある。

 あと自称騎士の腕前はよく分からないのであまり当てにしないでおこうと思っている。妹の将来を守るのはあくまで兄の役目であるのだから。


「……本当に、危ないことはしないでくださいよ、兄さん」

「勿論だとも、お前が心配するようなことは何もしないさテア」


 深い深いため息をついた後、ティアマータは噛んで含めるように言い聞かせに来たのに頷いて見せる。

 嘘などついてはいない、何しろ妹のための行動は全て必要な行動であり、危ないことでもなんでもないのだから。

 かくしてニルサムは大義名分を得て森の捜索が可能になったのだ。


「ありがとうございます! 案内よろしくお願いします!」

「ああ、任せてくれ。ではまず最初に」

「はい!」

「装備の更新だな」

「……はい?」


 ニルサムの雑貨屋は森から得られる資源を主な商品にした店。ならば当然、森に入っての採取や伐採、採掘の道具なども取り揃えている。


「失礼だけどキミが着ていた鎧、あんなので森に入るのは無しだから」

「ええーっ!?」

「森で目元足元が不如意になる格好は論外なんだよ」


 意外でも残念でもなく当然の事前準備である。

 この日はシルヴィンの森探索装備を整えるのに費やし、森チャレンジは明日から行うこととした。逸る彼女に倒れて気絶したその日に探索続行はあまりにも無謀だと言って聞かせた。


「今日はありがとうございましたです! ではまた明日!!」


 程々に装備を選び終わった後はゆっくり体を休めるように、彼の言葉を案外あっさり受け入れた彼女は礼儀正しく走り去った。大げさなほどに大きく手をブンブン振りながら街並みに消えた騎士少女。平穏な日常を送っていたニルサムには物珍しく騒がしい日だったと苦笑する。

 しかし彼にとって稀有な一日は彼女の存在だけではなく、


「兄さん、本当に案内する気なんですか?」

「成り行きだしなあ。それに森に異常があるなら俺も気になる」


 最優先目的は勇者の阻止だがそれらも嘘ではない。森の状態は彼ら町民の生活に直結する大事であり、危なっかしく目を離せない少女の動向は妹と引き合わされた頃を思い出し懐かしくなったのも大きい。


「……本当に、本当に危ないことはしないでくださいよ?」

「分かってるさ、俺がテアを泣かせることをするはずがない」

「もう」


 過去の実績が妹を納得させるほど、兄妹の絆は深いものだった。妹は心配の矛を収めて兄は決意を新たにする。

 この妹を守るため怪我ひとつせず帰還が最低条件、それを成せず何が兄であるか、と。


******


 翌日。

 またもや早朝から森に繰り出すことになるニルサムは昨日と異なり友連れを引き連れている。


「お待たせしましたです!」


 約束の時間よりもやや早く表れた鼻息荒い自称騎士。昨日の鉄の塊と異なり軽装で防具と呼べるものは最低限の皮鎧、そして魔力障壁を展開する盾。

 魔道具技術の発達で鉄の鎧は昔に廃れ、代わりに身を守る防具といえば魔力盾が主力。使用者の魔力で障壁を構築する便利な魔道具だ。今時鉄鎧を着ているのは式典で見栄え重視の行進をする騎兵くらいだろう。


「勇者を称える絵本だとまだそういう挿絵ではあるが」

「行きましょう、早く行きましょうです!」


 ふんすふんすと荒い息の湯気が見えそうなほどに張り切っている自称騎士シルヴィン。春に浮かれる小鹿のような振る舞いは生命が溢れ出ているかのようだが、空回り気味のやる気を鎮火すべく水を差しておく。


「先に言っておくが今日明日は現場に向かわないぞ」

「ええっ、なんでです!?」

「キミが森を甘く見てるから、環境に慣れてもらうため」


 山歩き、森歩きなどは平地を歩くよりもずっと体力を消耗するものだ。カルナーの森は奥に向かうほど起伏の激しい場所が続き、また人の手が入らぬ場所は平地など存在しない道なき道を行く羽目になる。全身を鉄で固めて森に入るような未熟者には慣らしが必要だろうとの判断である。


「またキミを担いで戻るのは御免だからな」

「それを言われるとまことに申し訳ございませんでした!」


 昨日それを指摘した時は顔を真っ赤にして謝罪した少女の弱点を告げれば反論なく納得するしてくれたのであった。


「じゃあ出発するか。靴の具合も正直に言ってくれ、森歩きで靴擦れは絶対避けるべきだからな」

「はいです!」

「いってらっしゃい兄さん、くれぐれも気を付けて危ないことはしないでくださいね」

「おう、任せとけ」


 昨日から何度「危ないことはしないで」と言われたか、流石は賢い妹、俺の秘めたる目的を見抜いているのか──ニルサムなどは妹の慧眼ぶりに誉め言葉しか浮かばない。

 ゆえに慎重に、極めて努めて慎重に事を運ばなければなるまい。あくまで自分は案内人だとの顔をして、勇者に先んじた魔物討伐人の顔を隠すのだ。

 歩いて暫し、程なく町を離れて森に差し掛かる。町で騒いでいたシルヴィンはここまで黙々と歩いていたのだが、森に入った途端大きく息を吐いた。それはまるで緊張がようやく解けた時のような態度で、


「ん、どうした?」

「……なんだか妹さん怖いですね」


 意外な言葉にエルサムは目を丸くする。彼にとっては常に可愛い妹にこのような評価。美しさも度を過ぎれば怖いとの説もあるが、妹バカには分からない感覚である。

 それに妹の心中を察する兄だからこそ、


「『忠言耳に逆らう』と言うからな、聞く者の耳に痛いのは正しいんだ」

「そういうものですか」

「二人っきりの家族だからな」

「でもニルサムさんと妹さんは──」


 二人の歓談は不意の草走る音で中断された。

 ズサササと草木をかき分ける音、強引に割いて近づく音、聴く者を警戒させ直感的に危険を感じさせる音だ。元騎士の息子と自称騎士の少女は同時に剣を抜き放ち。

 繁みから飛び出した影に切っ先を振り向けた。


「おたすけぇぇぇぇぇ!!」

「マイケル?」


 二種の剣先は相手が人間だと察知して寸前に停止する。全身を草まみれ枯れ葉まみれにして現れたのはマイケル、ニルサムに勇者の噂を吹き込んだ友人の貸本屋である。


「マイケル、お前が森に入ってるなんて珍しいな。さてはお前も勇者の──」

「いやいや、それどころじゃないんだ! 僕は追われてたんだよ!」

「追われ……? 何にだ?」


 マイケルが問いに応えるよりも早く、地面に振動が走る。けたたましく、木々を蹴散らす勢いで鳴り響くのは強く地面を踏み蹴る動物的な破壊音。


「あれにー!!!!」


 反射的に飛びのいた少女とニルサム、そして彼に襟首捕まれて引っ張られたマイケル。その間に割って入ったのは大きな獣。

 鉛色の毛並み、流線形の体躯を支える短い四つ足、反り返った二揃えの上向いた牙。

 そして正面から見ても人間より大きな巨躯を誇る砲弾生物。


「うわ、なんですあれ!?」

「メタルボア……にしてはでかいな」


 鋼鉄の猪と名付けられた魔物だ。鉄ほどの硬度をした体毛をまとい、幼体は愛らしく成体で二メートル程度の魔物。しかし木々を割いて現れたのは四メートルはある巨体を誇る鉄と肉の塊だった。

 その巨塊が吠える。並みのメタルボアならポウポウ鳴くものだが、目の前の化け物は


「ボォォォォォ!!」

「重低音が響く、オペラ歌手かな?」

「のん気してる場合じゃないだろぉ!」


 マイケルの甲高い悲鳴に反応したか、鋼の獣がこちらを向いた。元々あれはマイケルを追っていたのだろう、獲物を再発見したのかもしれない。


「いいから離れろ、危ないぞ」


 しがみついてくる友人を足蹴にする。友情ブレイクしたせいではない、ここに留まると素人の彼には危険だとの判断で遠ざかれとの誘導だ。

 友人が何故こんなものを引き連れて逃げていたのか、なんとなく想像は付く。勇者の噂を聞いたマイケルは物見遊山で森を散策し、幸か不幸か当たりを引いたのだろう。

 勇者が出向いてくる、即ち何らかの魔物が出たのではないかとの予想の当たりを。

 しかし、改めて剣を構えてニルサムはごちる。


「イノシシ程度で勇者は来ないかな」

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