第5話 銀翼の鷹――トラスト・アンド・バジェット

【通知:メモリ整合性チェック完了 ―”サトウ・ケンタ”の固有メモリ領域を解放します】

【通知:意識プロセス復帰リブート


 穏やかな光と、話し声。

 そして、体の痛み。

 誰かに揺さぶられている感覚。

 断片的な時間の流れが連続性を取り戻し、やがて一貫した意識が再開する。

 

「う、俺は……いったい……?」

 

 健太は、ゆっくりと瞼を開けた。

 ぼやけた視界が徐々に鮮明になる。そこには、心配そうに覗き込む、見慣れない――いや、一度だけ会ったことのある顔があった。

 

「わたしが、わたしがわかりますか?!見えてますか?!」

 

 あの少女だ。

 森で、怪物に襲われていた――名前も知らない女の子。

 最後に見たときは健太の引き起こした残酷極まるグロテスクな光景に呆然としていた。

 その少女が、横たわる健太をのぞき込んで涙を浮かべている。

 

「よかった、無事だったんだな」

「はい!あなたのおかげです!」

 

 少女が心底安堵した表情で、彼の手を握る。

 清潔なシーツの上で、健太は自分が生きていることを理解した。

 やわらかいベッド、ふわふわで温かい――ちゃんとした寝床で横になるなんて、久しくなかったことだった。


「二日も目を覚まさなかったので心配したんですよ?」

「二日……そんなに」

「でも、気が付いてよかった……あれ、ホッとしたら涙が……」


 少女は真実、健太の身を心配していたのだろう。その透き通った栗色の瞳から、とめどなく涙が溢れだし、慌てて袖で拭うが尚も涙は止まらない。


「えっと、ここはどこだろうか」

「あ、はい。私の村にある宿屋です。デノおじさん――あ、ここの主人に事情を説明したら部屋を貸してくれて……」

「なるほど」


 健太はゆっくり体を起こし、部屋の中を見渡した。

 質素な部屋だ。木造でベッドとちょっとしたテーブルと椅子があるだけ。広さは都心のワンルームくらいだろうか。窓から差し込む光の中で埃がきらめいている。

 穏やかだった。

 ここで暮らしてもいいかもしれない、と健太は思う。

 

「そうだ、自己紹介がまだだった。俺の名前は佐藤健太。君は?」

「はい!わたしはリジット。オド村のリジットです。先日は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。ケンタ様は命の恩人です」


 純粋に感謝されて、健太は気恥ずかしかった。

 誰かにありがとうだなんて。

 

「でも、結局、俺は一匹倒しただけで気絶しちゃったから……」


 そこで、健太は思い出した。

 そうだ、今自分とこの子が無事でいられるのは、あの時現れた人たちのおかげだ。

 

「リジット。あの時、俺たちを助けてくれた人たちはどこだろうか。彼らにお礼を言わないと……」


 もし彼らが現れなければ、今頃は怪物の腹の中だっただろう。

 

「アルバス様たちですね!まだ村に残ってくれています。ケンタ様が目覚めたことを伝えてきますね」


 リジットは元気よく部屋を出て行くと、しばらくして"彼ら"を連れて戻ってきた。

 

「目を覚ましたか。無事で何よりだ」


 リーダーらしき青年が鷹揚に言った。

 銀色の鎧、黒いマント。そして剣を腰に下げたいかにも剣士といった風情の男だった。


「俺はアルバス。この【銀翼の鷹】のリーダーをやらせてもらっている」


 続いて、藍色のローブをまとった妙齢の女性と、厳つい大男、そして瘦身で背の高い――そして耳の長い青年が現れる。


「あたしはミゼル。魔法使いよ。あなた、面白い魔法を使うみたいね」

「俺様はヴァノス。戦士だ。で、こいつは弓使いのロット」

「私がロットです。よろしく」


 健太も慌ててベッドから降りて挨拶をしようとしたが、まだ体がうまく動かずベッドに腰かけるので精いっぱいだった。


「佐藤健太です。助けていただき、ありがとうございました」


 アルバスが歩み寄り、健太の肩をポンと叩く。

 

「なに。俺たちは自分の仕事をしたまでだ。ケンターー変わった名前だな。おまえのおかげで、俺たちは間に合うことができたんだ。こちらこそ礼を言う」

「間に合う?」

「俺たちはこの辺一帯のブラッドウルフの討伐を依頼されてきてたんだよ」

「あたしたちが来てるのに犠牲者なんて出たら格好がつかないでしょ?」

「あの場所にまだブラッドウルフが残っていたのは誤算でした」


 彼らはこの世界で「冒険者」と呼ばれる一種の傭兵らしかった。特定の国に属さず、行く先々で依頼を受けて、その腕一本で生活しているという。

 

(なんて自由な生き方なんだろう……)

 

 健太は冒険者という生き方に憧れを抱きつつあった。

 無論、危険はあるだろう。あんな恐ろしい化け物と闘わなくてはならないのだ。しかし、それでもなお、組織の中ですり潰された健太にとって輝いて見えた。


「ところで、ケンタ」


 いつの間にか、アルバスは訝しげな視線を健太に向けていた。

 

「気を悪くしないでほしいのだが、お前のような、その…見るからに戦闘慣れしていない者が、あの『ブラッドウルフ』の一匹を単独で倒したというのは、正直驚きなんだ」


 アルバスは健太を品定めするように見つめている。


「しかも、尋常ではない倒し方だ」

「それは……」


 健太はどこまで正直に話すか迷った。

 はたして、自分のスキルを教えても大丈夫なものなのだろうか。アルバスたちは悪い人間ではなさそうだが、どこまで信用していいのだろうか。

 

「ありゃ普通の倒し方じゃねえ」

「ブラッドウルフが破裂しているように見えました。しかも、内側から……そんな魔法、あるのですか?」

「あたしも知らない魔法よ。でも、この子、魔法使いには見えないわ」


 アルバスの仲間たちが口々に言う。

 

「それは、その」


 どうやら、健太の力はこの世界ではあまり一般的ではないようだ。しかし、隠し通すのはかえって不信感を持たれかねない。


(俺はこの世界じゃ、まだ独りぼっちなんだ。信用が必要だ)


 前世ではついに実践できなかったことだが、人が生きていくには他人と信頼関係を構築していくことが不可欠だ。

 信用されなければならない。

 まずは、この【銀翼の鷹】のメンバーだ。

 彼らは強く、善人に見える。

 彼らの信用を得ることは、今後この世界で生きていく上でプラスに働く可能性が高い。


「俺のスキルを使いました」


 健太は素材無限生成オブジェクト・アンリミテッド・テイカーを明かすことにしたーーただ、自分が異世界から来たことや過労死した過去は伏せることにする。そのあたりの説明はたぶん非常に厄介な話になる。


「スキル…? 一体どんなだ?」


 アルバスが興味深そうに尋ねる。

 健太は傍らに置かれていた木片に手を伸ばした。初めてスキルを発動した時の感覚、小石を複製した時の手応えを思い出し、集中する。

 

「うまくできるか分かりませんが…例えば、こういうものを…」


【実行:複製>”不明な接触オブジェクト”,数量[1]】


 カッ、と手のひらが光ったような気がした。

 そして、元の木片と全く同じサイズの木片が、もう一つ、テーブルの上に現れた。


「これは……」

「おいおい……」


 冒険者たちの目が、驚愕に見開かれていく。彼らはすぐに、これがただの簡単な魔法や特技ではないことを理解した。素材が一瞬で、まるで無から有を生み出すかのように現れたのだ。

 アルバスが恐る恐る二つの木片を手に取る。

 

「幻じゃない……どっちも本物だ……」


 場がどよめいた。

 リゼットだけが「ケンタ様、すごい」と両手で口覆って感動している。

 

「魔法、なのか?ミゼル、おまえ、これできるか?」


 魔法使いミゼルは首を横に振る。


「できないわよ……なにこれ、生成魔法?でも、詠唱も魔法陣も無しにどうやって……?ロット、長耳エルフのあんたなら何か知ってるんじゃないの?こういう怪しい術はあんたの得意分野でしょ」

「我らの精霊魔法を怪しい術とは失敬な。当然、私も知らない術です。おそらく、どの魔法体系にも属さない能力ではないでしょうか」


 長耳のロットの神秘的な銀色の瞳が健太を映す。

 

「いわゆる、系外異能スーパースキルという奴でしょう。エルデリアのエルレオンやジルロンドのガイルゼメキスのような」

「おいおい、英雄級のスキルってことか?これが?!」


 ヴァノスの強面がギョロっと健太を睨む。睨まれて、健太はびくりと肩を緊張させる。なんとなく、この大男は苦手だった。健太と相性の悪い体育会系のノリがある。

 

「まあ、英雄級というには地味ですが……」

「だよなあ。もの増やすってだけなら、あんまり使えなさそうだよなあ」

「あんた馬鹿なの?そのスキルで、このド素人の坊やがブラッドウルフを倒したのよ」

「ああ、そうか。じゃあ、すげーのか」

「気づくのが遅いわよ。脳筋」

「確かに、これは……物質のコピーだとすると……」


 メンバーたちの貪欲な視線が健太に向けられる。

 アルバスもその隻眼に明確な探求心と好奇心――あるいは狡猾さを秘めた光を宿していた。

 彼の健太を見る目が、明らかに「助けた一般人」から「規格外の能力者」を見る目に変わっていく。

 

「…ふむ。成程、それは確かに『変わった能力』だな」


 その顔には、冒険者としての経験に裏打ちされた自信と、何かを企むような微かな笑みが浮かんでいた。

 

「ケンタ、君に提案がある。我々のパーティに、入団しないか? 君のその能力、我々【銀翼の鷹】にとって、きっと強力な助けになる」

「え?」

「私、アルバス・ケウスはサトウ・ケンタに我が銀翼の鷹の一翼となることを望む」


 唐突な勧誘の言葉に、健太は目を丸くした。

 冒険者パーティに?


「ケンタ様が銀翼の鷹に?!すごい!」


 隣で様子を見ていたリゼットが身を乗り出して言う。

 

「アルバス様のパーティ【銀翼の鷹】は、この国でも一番有名なパーティの一つで、どんな難しい依頼も成功させる、すごい人たちなんですよ!お城のお抱えなんですから!」


 リゼットに褒められ、アルバスたちは少し得意げになる。

 

「そんなパーティに誘われるなんて!ケンタ様!すごいです!」


 国でも有名なパーティ?

 そんな人たちが、自分を?

 健太の頭の中で、様々な考えが駆け巡る――

 ――誰にも縛られない自由な生活。それは理想だ。しかし、この世界は思いのほか危険らしい。今の自分では一人で生きていくのは、難しいかもしれない。そしてなにより、自分はこの世界について何も知らない。ならば、この人たちについていけば、安全に、そしてこの世界を学ぶことができるかもしれない。

 何より、彼らは健太を「必要」としていた。

 健太のスキルには「信用」があるということだ。

 この機会を逃してはならない――健太は決断した。


「わかりました」


 健太は、覚悟を決めて頷いた。

 平穏な生活のことは一度脇に置こう。この世界で生きていく術を知り、力を制御できるようになり、そして…必要としてくれる人たちと共に、一歩踏み出してみよう。

 そうすれば、この世界で信用が積み重なっていく。

 いずれは、一人で穏やかに生きる日々が訪れる。


「じゃあ、よろしく頼むぞ。ケンタ」

「足手まといにならないでよね」

「簡単にへばるんじゃねーぞ」

「リーダーの決定なら従うまでです」


 健太は力を振り絞って立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「よろしくお願いします!」


 こうして、佐藤健太の異世界での生活は、彼が思い描いた穏やかな生活ではなく、予期せぬ冒険者生活として幕を開ける――かと思われた。


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