第3話 僕たちの出会いはこんな感じだった

「じゃあ、行ってくるね」

今年の春から市立高校の音楽教師になったカインを玄関で見送る。カインの背中に腕を回すと2倍の力強さでハグしてくる。唇を1秒くっつけて送り出した。


毎日同じように送り出している。食器を片付けて夜ご飯用のお米を炊飯器にセットした。洗濯物を干してからパソコンに向かった。いわゆる主夫業をしながら、ブログを書いたり動画編集の仕事を受注したりして、少ないながらに生活費を稼いでいる。


お腹が鳴ったと思ったらお昼を過ぎていた。作業を切り上げてバラエティ番組を見ながら昨夜の残り物を食べた。茄子と豚バラ肉を炒めて味噌で味付けをしたものだ。突如テレビからポーンと電子的な音が聞こえた。モニターの上に白文字でニュース速報の文字が点滅していた。


【INC計画 抽選十一月一日決行と各国合意】

自分の知らないところで、自分に関わることが勝手に進んでいる。胸の中が握りつぶされている様で苦しい。眠い。お昼を食べたせいか、頭が現実逃避をしているのか、僕はベッドにもぐりこんだ。カインのぬくもりはもうなくなっていた。

僕は大好きな人と、穏やかに暮らしたいだけなのに――。


「アベル……」

目を開けると、カインが心配そうな顔で見下ろしていた。僕のおでこに手を当てている。カインの手は暖かい。


「体調悪い?無理しないで」


「あ、ごめん。大丈夫……。思いきり寝ちゃってたね。夜ご飯作ってないや」


「アベルが大丈夫ならよかったよ。心配しちゃった」そう言うとカインは両腕で僕をぎゅっと締め付けた。いつも力強いカインのハグはいつもより、力強く感じた。


「怖いね……。離れたくない」


「僕も……」


僕たちは朝まで抱きしめあった。不安な気持ちが消えるまで布団の中に逃げ込んだ。

先に目を覚まして彼を起こさないようにベッドを出た。カインの寝顔はまるで、赤ん坊のようだった。キッチンでお湯を沸かして珈琲と紅茶を淹れると珍しいことが起きた。

「おはよ」と目をこすりながらカインが起きてきた。

「おはよう。早起きだね今日は」と僕は言った。

「今日は記念日だもん」と彼は僕の背後に回って抱きしめてきた。寝起きのカインの体温は暖かい。

カップに注いだ紅茶を渡してベランダに出た。朝の涼風がピリッっと目を覚まさせる。鼻から空気を思いきり息を吸って、秋の澄んだ空気を胸いっぱいに取り込んだ。隣のカインは手すりに体重を任せて向かいの家を見つめている。


向かいの一軒家では今日もゴルフの練習をしているおじさんがいる。素振りをしてはクラブが振り上げたところで数秒停止している。おじさんの中ではボールが飛んで行っているんだろうか。


僕も手すりにもたれて、カインと頭をコツンとくっつけると、しばらく沈黙が続いた。カインの頭の中では何が見えているんだろう。

「今日はあのことは忘れて、記念日だけを楽しもうか」とカインは言い出した。急に言われて、あのことって何だっけと一瞬分からなかった。


「あのことって、何だっけ?」と僕は忘れたふりをした。


わざとらしく返すとカインは僕を見つめてクシャッと笑った。僕も笑った。そしてそっと唇を重ねた。

     ***  

一年前の今日、僕たちはニュー横浜駅で待ち合わせをした。夕方だったはずだ。アプリでやり取りしてはいたけれど会うのはその日が初めてだった。


緊張した。だけどそんな緊張感も馬鹿みたいにすぐに無くなった。


小さな喫茶店でお互いの事を話した。仕事や家族構成、好きなものの話をして打ち解けた。カインはメッセージのやり取りをしているときと変わらず、明るい話し方だった。


夜ご飯にはカツの定食を食べたと思う。ブラブラと散歩して、自然な流れでカインはホテルへと僕の腕を組んで歩いた。僕は本当にそんなつもりは無かった。あくまで健全な気持ちだった。


「行っちゃおー」と楽しげに誘われて、まあいいか、と思った。キスをするたびに、首元に下を這わすたびに声を漏らした。僕の理性はブラジルかどこかに行ったみたいだった。彼はキスをせがむときに舌をペロッとだした。

「アインシュタインみたい」と僕は言った。それがなぜかツボに入ってふたりで大笑いをした。エロいアインシュタイン。今思い出しても笑ってしまう。

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