草志 / 2011年1月20日

草志 / 2011年1月20日


特命防災担当責任者として、2ヶ月後に起こるであろう未曾有の大災害に備えるというあまりに重すぎる責任を担ったはいいものの、その道のりは当たり前だが決して平坦ではなかった。最初の会議から1週間が経ったが、国家戦略室では最初に提示した巨大地震と津波に関する報告書をもとに、具体的な防災対策の策定に向けた議論が白熱していた。『こんな非科学的な似非科学的な話を、真面目に検討するのですか?』会議の冒頭、古参の官僚が懐疑的な目を向けながら、そう切り出した。確かに彼らにとって、M9.0という地震規模や、40mを超える津波の高さは、従来の想定を遥かに逸脱しており、到底受け入れられるものではないことは当時の知見では当たり前であるし、急に言われて信じろというのも酷な話であることも考えればその通りだったから、「データは揃っているんです。日本海溝のアスペリティの連鎖的な破壊、そして過去の同じ地域での巨大地震の記録。それらを総合的に見れば、決してありえない馬鹿げた数字ではないはずです。これは実際に起こりえますよ。」データを持って冷静に反論してはみるものの、官僚たちの表情は依然として硬いままだった。長年培ってきた知識や経験、そして前例主義という壁が、未来からの警鐘を容易には受け入れさせなかった。特に、福島第一原子力発電所の事故に関する情報は、東電と癒着関係にあった彼らに大きな衝撃とその後の長い沈黙を与えた。「全交流電源の喪失」「原子炉の制御不能」「水素爆発」といった信じがたい事実は、原子力の安全神話に対する彼らの認識と意見を根底から揺るがし、彼らを感情的にするに十分すぎるものだったことに疑いはない。疑うまでもなく『もしですね、そういうことが本当に、現実に起こるというなら、一体どう対策すればいいというんですか?全国の原発をすぐに停止させるなど、現実的ではありませんよね?第一、鳩山さん(前総理)の言った”二酸化炭素排出量の25%カット”を実現するには原子力発電は不可欠ですよね?それを覆すなんていまさら無理だし、それはおかしいでしょう?』挙手をせずに、外部から専門家の一員として会議に呼ばれたのであろうオブザーバー参加者の電力会社の幹部らしき人物が、声を荒らげた。本当ならオブザーバー参加者に発言権はなかったはずだが、誰もそれを止めることができなかったのはそれほどの熱量が発言にこもっていたからで、それは経済への影響、社会の混乱といった目の前の現実を守るための当たり前の懸念だったからだった。確かに反発が起こることは元から予想していたので、一方的に押し付けるのではなく、彼らの立場や論理を理解し、丁寧に説明していくしかないことは理解していたはずなのに、やはりいざとなると苦しくて厳しいものがそこにはあった。「すぐに全ての原発を停止させるべきだとは言いません。しかし、津波対策の強化、非常用電源の多重化、そして何よりも、事故発生時の避難計画の徹底的な見直しが必要です。時間がないのです。」情熱的で切迫した言葉は、会議室の重苦しい空気に、わずかながら変化をもたらした。斎藤参事官は、苦虫を噛み潰したかのような重く渋い表情をしながらも、言葉に耳を傾けている。国土交通省の官僚として、彼は公共事業の見直しや防災対策の重要性を誰よりも理解している。『確かにこれは国家の危機です。私たち官僚も、既成概念にとらわれず、あらゆる可能性を考慮して対策を講じるべきでしょう。』斎藤参事官の言葉は、硬直していた会議の流れをわずかに変えた。彼のような、柔軟な思考を持つ官僚の存在は、大きな希望だった。しかし、道のりは険しい。年度末ということもあっての予算の制約、省庁間の連携不足、そして何よりも、国民の危機意識の低さ。巨大地震の2ヶ月前という時間的制約の中で、これらの課題を一つ一つ乗り越えていかなければならない。その夜、国家戦略室に残り、一人で対策案を練り直していた。机の上には、膨大な量の地震データ、津波シミュレーションの結果、そして原発関連の資料が積み上げられている。未来の知識という武器を最大限に活かし、この国とそしてそこに生きる人々を守りたいというその強い思いが、背中を強く押していた。(今度の会議ではどうなるかな)そんな感傷に浸っていた時、胸ポケットに入れた携帯電話が鳴り響いた。深夜の誰もいない部屋で鳴り響いた着信音に思わずびくっとなったが、携帯電話を取り出してディスプレイを見るとそこには”吉野”と書いてあった。菅総理の秘書官が夜の9時に何の用だろうと思って応答ボタンを押して携帯を耳に当てると、『総理秘書の吉野です、今お時間よろしいでしょうか?』と声が聞こえてきた。資料をまとめている最中だったが、まさか総理秘書からの電話を切るなんてことはできるわけがないから「問題ないです、要件はなんでしょうか?」と明るく取り繕って答えると『菅総理が電話でお話ししたいことがあるようで、問題ないようであれば電話を代わらせていただきますね。』と少し焦った様子で返事をされた。そのまま息を潜めて耳を澄ませていると、電話の向こう側でぱらぱらと会話があってから、間をおいて『久しぶり、今日は決まったことについて話そうと思ってね。』と菅総理の落ち着いた声が聞こえてきた。「はい」と答えると、『まず良い話がある、それは2月11日の午前10時に全国一斉避難訓練が行われるという方向に決定をした。これはほぼ決定事項だ。そしてそれをやるにあたっては自治体と連携をするだけでなく、民間への周知をしなければほんのわずかな人しか来ないだろうし、沢山の人が来たとしても”緊張感のある実りの大きい訓練”にしなければ訓練をわざわざやる意味はあまりないだろう。だからそれについては擦り合わせを関係各所と進めてほしい。』それは至極真っ当な意見で、ついでにそれは課題だったから見透かされたような気がして何とも言えない焦りが襲ってきた。なぜなら自治体に圧力をかければ訓練自体はいとも簡単に実現できるのだが、民間との連携、特に周知は重要な課題だった。馬を引きずって水辺に連れて行くことはできても無理やり水を飲ませることはできないという諺がある通り、祝日の2月11日に訓練をやることはできても、わざわざ祝日に人が集まるかどうかという悩みは大きかったからだ。防災技術を持つ企業、避難支援を行うNPO、そして何よりも地域住民一人ひとりの協力とそれへの周知が不可欠となるのは目に見えていたから、菅総理の指示の前から各方面への働きかけを開始していた。それと同時並行で幾度となく繰り返される会議は緊張感に欠いていてあまり進展がなく、専門家との意見交換やそして自治体への説明に昼夜を問わず奔走したものの大きな進展があったわけではなかった。未来を知る故の焦燥感と、現実とのギャップに苦しみながらも、決して諦めることはなかった。そして、時間は刻一刻と過ぎていく中、政府は全国一斉避難訓練の実施を公式に決定。テレビやラジオでは、防災に関するCMが流れるようになった。しかし、それはまだ、来るべき巨大な災厄のほんの序章に過ぎなかった。官僚、研究者、そして民間の人々と時に衝突しながらも粘り強く対話を重ねていったのは、絶対に達成しなければいけない共通の目標があったからで、その目標はただ一つ。3月11日に起こる未曾有の大災害から、一人でも多くの命を守るために出来ることを全てやるという思いであり、それは願いでもあった。それぞれの立場で、それぞれの思いを抱えながらも、官民一体となって未来を変えるための戦いが今まさに始まったばかりだったが、その道のりは遠く厳しいものであった。残り2ヶ月で一体何が出来るのだろうかという不安や焦燥感に苛まれながらも昼夜を問わず奔走していく覚悟を決めたのは、なぜなのだろうか。菅総理のためか、戦略室の仲間のためか、東北にいる沢山の命を救うためか、それとも亡き父親の遺志を継いでいるからなのか、それは誰にもわからないままだったが、踏まれてもまた立ち直って伸びていく草のような、地味ながらも強く根を張っている志は自然と周りにも広がっていくのだった。

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