第32話



名を呼ばれた美波は、下を向いていてピクリとも動かない。

こちらから彼女の表情は見えなかった。

「ちょっと待てよ、今のはあくまでお前の仮説だろう。偶々出血量が多かっただけかもしれないじゃないか。それに叔父さんの事件についてはどう説明をつけるんだ。叔父さんが殺害されたのは深夜二時から三時頃だろう。犯行は誰にでも可能な筈だ。美波ちゃんが犯人だって証拠はあるのかよ」

慎二は興奮したように顔を真っ赤にしていた。

美波が犯人という倫太郎の言葉を信じたくないのだろう。

慎二とは真逆に荒井の顔は真っ青になっている。

その隣にいた黒澤は、倫太郎の事を不気味な程にずっと見つめていた。

「確かに真琴先生の事件については、犯行は美波以外にも可能だ。しかしこの二つの事件を結びつけるあるものが、彼女が犯人だという何よりの証拠になるんだ」

「あるものって何だよ」

倫太郎は左手を胸の辺りまで上げた後、反対の右手の人差し指で左手の甲を軽く叩いた。

「殺害された二人に付けられた左手の甲の傷だよ。あの傷はナイフや包丁でつけられた傷では無い。最初はバターナイフか何かを使用したと思っていたんだが、車のタイヤをパンクさせる程の事がバターナイフに出来るとは思えない。そうして一から改めて考え直した時に、犯人は後から行われる警察の取り調べで疑われる様な物ではなく、もっと身近な物を使用したのではないかと思ったんだ。そしてそう考えてみるとあるものに辿り着いた。それはね、鋏だよ」

倫太郎の言葉に、慎二がなお声を荒げる。

「鋏だと、それこそ通常持ち歩く物ではないだろ。もし俺が警察で所持品の中から鋏が出て来たら、真っ先に持ち主に疑いをかけるぞ」

「確かに鋏単体を所持していたらそう思うだろう。しかし思い出してみてほしい、彼女なら鋏を持っていても周りから可笑しいと思われない可能性がある事を。実際俺達は鋏を使用しないと作成が困難な、彼女の作品を何度も見せて貰っただろう」

春には桜。夏には花火。

秋には紅葉。冬には雪の結晶。

季節に合わせて作られる彼女の作品を見せてもらうのが、僕の楽しみであった。

僕の誕生日には名前が海斗だからと、海の生き物が縫われたトートバッグを贈ってくれた。

「刺繍だよ。美波は刺繍セットの中の裁ち鋏を使用し、二人の左手の甲に傷をつけたんだ。裁ち鋏を調べてみれば直ぐに分かるだろう。真琴先生と杏奈の二人の血液反応が出る筈だよ。それが今回の事件の何よりの証拠さ」

真っ赤になっていた慎二の顔は、徐々に赤みが引いていった。

倫太郎の推理を聞き冷静さを取り戻していった様だ。

しかし、それでも慎二は美波が犯人だという事だけは信じられない様であった。

「でも、それは誰かが美波ちゃんに罪を着せようとしているだけかもしれないだろう。誰もいない時間に部屋に忍び込んで、裁ち鋏を盗んだのかもしれない」

慎二の必死な訴えがホール内に響く。

だが、声を上げている本人でさえも自分が言っている事が、苦しい言い訳だと分かっているに違いない。

そんな中、長い間黙り込んで倫太郎を見つめていた黒澤が口を開く。

「今の推理は何一つ合っていない。何故なら二人を殺害したのは僕だからだ。僕が小川さんに張り付いていたあの邪魔な教師を殺したんだ。あの悪女を殺したのも僕だ。昨日の昼間馬鹿にされた事についカッとなってやったんだ。小川さんが犯人なわけがない。全て出鱈目だ」

そう言った黒澤は立ち上がり、唾を撒き散らしながら大声で懸命に訴える。

「僕が全部やったんだ。裁かれるのは僕なんだ」

その時、下を向いていた美波が顔を上げる。

「黒澤さん、貴方って本当に気持ちが悪い。私の事を好いているからこその行動なのかもしれませんけど、その善人ぶった態度本当に虫唾が走ります。それに慎二さんももういいですよ、私は貴方に庇って貰える様な人間ではないんです。あの男が計画していた、推理サークルメンバーの殺害計画は、貴方の事を殺害しようとしていたんですよ。その計画に私は協力をしていました。でも協力は上部だけで、貴方を殺す気は最初からありませんでした。私が本当に殺したかったのは、烏間真琴と渡部杏奈。そして貴方の父親の烏間秀治の三人です」



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