蒼穹の貴婦人

@yositomi-seirin

第1話 1940年

 私、イギリス王立空軍RAF所属のローレンスは愛機スピットファイアMk.Ⅰaとともに友邦フランスの空を駆けていた。


 1939年、ネヴィル・チェンバレン首相の宥和政策は失敗に終わり、ヒトラー率いるナチスドイツはポーランドに侵攻、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。


 1940年、ドイツはフランスに侵攻。ドイツ側呼称西方戦役の始まりだ。アルデンヌの森を抜けムーズ川を渡河、フランスの緑野に躍り出たドイツ装甲師団は瞬く間に北フランスを席巻した。


 この、後世電撃戦と称される戦いによってフランスの命運は決まった。


 5月15日、フランス首相ポール・レイノーはチャーチルに電話で悲壮に告げた。「我々は負けました。打ちのめされたのです。戦闘に負けた」


 けれどもフランス全土が占領されたわけではなく、フランス軍は健在とは言えぬとも奮戦を続け、同様にイギリス軍も戦っている。


 私は戦闘空中哨戒と呼ばれる任務に就いていた。一定の空域に留まり、もし敵機が来襲すればこれを撃退する。


 私含めて三機が一個分隊を成し、二個分隊を集めて一個小隊の編制。


 二個小隊十二機で任務にあたっている。


 私の分隊の一番機、分隊長を務めるのは豪放磊落な性格のベドウィル少尉。二番機が私ローレンス。三番機が貴族の出だというキャンベル。


 高度5000メートルの空は戦争などどこ吹く風とばかりにどこまでも澄んでいる。けれど地上に目を向けると、地平線の向こうに幾筋もの黒煙がもうもうと立ち昇っている。


 『敵機!』


 無線が吠えた。


 二個小隊は即座に反応し分隊毎に回避機動に移った。


 今日、空戦はかつての騎士のような一対一の戦いから編隊同士の戦いに変じている。


 私と三番機のキャンベルはベドウィル少尉の機に必死に着いていった。


 敵機はメッサーシュミットBf-109、E-4型。上下左右が急激に動く視界の中、捉えた機影は八。二個小隊編制らしい。


 ドイツ空軍、ルフトヴァッフェは二機で一個分隊、四機で一個小隊を成している。


 数の上では我々が有利である。


 けれど戦闘の趨勢は我々の不利に運んでいた。確かに我々は戦闘機の数では勝っている。しかし総合的な戦闘力の発揮という面では劣っていたのだ。


 結論を先取りして述べれば、彼らは一個分隊で我々の一個小隊と同等の戦闘力の発揮が可能だった。


 我々の三機編隊は実のところ、練度が十分なレベルに達していないために三機編制を強いられた結果である。


 二番機三番機は一番機に追従すれば最低限の仕事をこなせる、という理論の結果だ。分隊は三機で一体となって戦う。このため分隊内の各機が柔軟に機動する編隊戦闘は望めない。


 これに対して二機編制ロッテの敵一個分隊は非常に自由度が高い。二機は互いに互いを援護するように動く。極端な話、互いを援護可能なら空戦中どこにいても構わない。これにより非常に柔軟な編隊戦闘を実施できる。


 我々が一個小隊で実施する戦術をルフトヴァッフェは一個分隊で実施可能だった。我々は戦闘機の数では有利でも、指揮する頭脳が不足していた。


 実態としては我々二個分隊対敵四個分隊。


 空中を三次元に縦横無尽に機動する敵機、自分隊。飛行機雲が蒼天を馳駆縦横に駆け巡り、曳光弾が蒼穹を切り裂く。


 我々の分隊はベドウィル少尉に導かれて敵機の後ろに占位した。


 先頭の少尉が射撃。敵機のパイロットは機敏で、これはサッと回避された。


 続いて私。旋回を続ける敵機の鼻先に狙い射撃。両主翼に装備された7.7ミリ機銃八丁が軽いさながらミシンの音を響かせ火を噴いた。


 寸前、敵機は鋭敏に機を翻し私の射線から逃れた。それでも数発の命中弾を得たが、豆鉄砲では撃墜どころか大した打撃にもならない。


 私の後ろに控えていたキャンベル機が攻撃する。連続する急旋回に速力を失っていた敵機はこれを回避することができなかった。


 私の見る先、敵機は右翼が炎上し、溺れている人に引っ張られるように沈んでいった。


 『キャンベル!六時上方!』


 ベドウィル少尉のドラ声が無線から響く。

 

 六時、つまり真後ろのことだ。


 私はキャンベル機の後方に黒点を認めた。その黒点は急速に大きくなり、メッサーシュミットの形を現した。


 今度はキャンベル機が回避する番だった。教科書通りの鋭角な急旋回。並のパイロットなら追従すら難しい機動。


 けれど敵機のパイロットはただ一瞬を捉え、的確に射弾を送り込んだ。白の一ヴァイス・アインズの機体番号と槍騎兵の黒のペイントが見えた。


 敵機には20ミリ機関砲、MGFF/Mが搭載されている。この機関砲から放たれる薄殻榴弾ミーネンゲショス、HEI弾。


 これはドイツ工業技術の結晶で、精緻なプレス技術により弾殻を薄くし他国の数倍の炸薬を内包している。これにより絶大な威力を誇る。


 キャンベル機はエンジン、両翼から火災を起こし地面へ一直線に墜ちていく。


 『た、助け、助けて!脱出できないんだ!』

 

 一朶いちだの黒煙を曳きながら高空遥かから大地へ。


 『か、母さん、母さー……!』


 分隊内無線を通して耳朶じだを突き刺すキャンベルの悲鳴、絶叫。


 しかし私にはキャンベルの死を悼む時間は無かった。いよいよ戦闘の趨勢が不利になっていたのだ。


 既に一個小隊全機が撃墜され、我分隊のペアの分隊も二機が撃墜されていた。つまり我々は二個小隊十二機存在したのが、もう三機しか残っていないのだ。


 我々は逃げるのみだった。最早戦闘という段階は過ぎている。


 戦闘の舞台はいつの間にか高度は2000メートルの低空に変わっていた。


 一機の敵機が私の六時に占位した。射撃、曳光弾が風防のすぐそばをかすめ飛んだ。


 私は敵機の鹵獲ろかくレポートの内容を思い出した。メッサーシュミットに背後を取られた時は、失速を恐れぬ横方向の急旋回で振り切れるというもの。


 私は機体を90度横転させると操縦桿を固く体に引き付けその通りにした。急旋回に体が機体に押し付けられ、血流が脳に届き難くなるため視界が暗くなる。


 私がコックピットで背を仰け反るようにして見上げると敵機は私の旋回に追従できず離脱した。


 旋回を終えた時、私の正面でベドウィル少尉の機が被弾した。MGFF/Mの薄殻榴弾の威力には瞠目すべきものがあり、少尉の機はまるで戦車に激突された軽自動車のように撃砕されてしまった。


 真に驚くべきはこの後に起きた。機体から脱出し落下傘を開いたベドウィル少尉を敵機のパイロットが撃ったのだ。少尉は抵抗できず散々に射弾を浴び、最後には下半身を切断されてしまった。


 この非道をした敵機はキャンベルを撃墜した白の一ヴァイス・アインズだった。


 この敵機は間髪置かず私を視認すると、翼を翻してこちらに向かってきた。


 友軍飛行場に向け緩降下で逃走しつつある私に斜め後方から追ってくる。


 槍騎兵のエンブレムが迫ってくる。私はさながら中世の雑兵で、歯のガチガチ鳴る心底からの恐怖に駆られていた。


 けれど私は諦めない。緩降下のおかげで、回避機動を行うのに十分な速度はある。


 私はまず左に緩旋回、敵機が射撃する直前に急旋回。敵機はオーバシュート、私の機を追い越した。すかさず右旋回で敵機を追う。


 敵機は上昇して離脱の構えを見せる。絶好の反撃の好機に私は追従する。


 敵機は上昇角をさらに大きくしたがそれぐらいなら私は、スピットファイアは追従できる。スピットファイアの楕円翼は失速に強く、ギリギリまで機首を上げ続けることが可能なのだ。


 私はエンジンに発破をかけ無理をさせ、離昇1,030馬力を誇るマーリンエンジンは癇癪女スピットファイアの名に相応しい鋭い音を響かせる。


 照準に敵機が収まる寸前、敵機はさらに鋭角に上昇した。目算で30度ほどの角度で上昇していたのが40度ほどに。

 

 照準に収まりかけていた敵機の尾翼は抜け出した。そして先に私の機が失速した。


 大地へ引かれていく機体。ただ視線だけで追う敵機は速度の不足しているためゆったり、大ぶりに反転してきた。


 私は地面へ急降下し、なんとか回避に必要な速力を稼ぎ出そうと試みる。けれど虚しい努力だった。


 一連の機動マニューバの結果、私は敵機から逃れられなくなってしまった。別の表現をすれば敵機に蛇のごとく絡め取られてしまった。

 

 コックピットに取り付けられたミラー越しに私の六時に占位した敵機が射撃するのをしかと見た。機首、両翼の発砲炎。


 被弾。ガンガンと響く音、衝撃。まるで私はアルミ缶の中にいて、外からハンマーで思い切り叩かれているようだった。


 機体は制御を失い、主翼、胴体に被弾。つんのめるようにして機体は地面に突っ込んで行く。


 地面に激突する寸前、私は神に祈り、無我夢中で操縦桿を万力で引いた。


 ほんの少し、クイと機首が上向きなんとか不時着できた。即死を免れたが、速度が非常に出ている状態で、機は大変乱暴に暴れた。衝撃に体が全面に、計器類や照準器に打ち付けられた。


 私はそのまま意識を喪失した。

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