24.セリオス



――リビングの壁にかけられた時計に目をやる。

 針は夕刻を指しており、外もすっかり暗くなり始めていた。


 執務を本格的にこなすには、もう遅すぎる時間だ。それどころか、就寝準備を始めてもおかしくない。


「そういえば、時間だったよね」

 アルがふと思い出したように口を開いた。


「一度、ここで鍵に魔力通してみて」


 言われた通りに魔力を流してみると、鍵が淡く光り、目の前の空間に突然大きな裂け目が現れた。


 裂け目の向こうに見えたのは、別邸のリビングにある時計。


「たった一時間しか経っていない?」

 思わず混乱した声を上げると、アルが軽い口調で答える。


「アークだと、時間が十数倍早く進むんだよ」


「早く進む……そんなの、都合が良すぎるだろ」

 現実離れした話に驚愕する。


「だから、あと一日くらいは一緒に冒険できるよ」

 アルは楽しそうに笑いながら話すので、俺は少しどうでも良い気持ちになっていた。


――


「それはともかく、その火傷を治そうか」

 アルが俺の腕にできた火傷痕を指差しながら言った。


「ほっといても治るだろ」


「兄さんならそうだと思うけど、黒炎の火傷だから、少し時間がかかるかもね」


 アルは治療をどうするか、というような視線を投げてくる。


「けど、どうやって治すんだ?黒炎の火傷を治す方法なんて、普通は魔力の自己治癒くらいしかないだろ」

 黒炎の火傷だけでなく、魔力を宿した傷は自身の魔力で抑え込むのが一般的。黒炎も例外ではないはず……。


「ちょっと待ってね」


 そう言うと、アルは鍵に魔力を流し込んだ。


 すると、空間が淡く揺らぎ、そこからバルドともう一人の少年が姿を現した。


「セリオス様、お久しぶりです」

 バルドが丁寧に頭を下げると、隣に立つ少年を軽く肩で押し出すように促す。


「こいつはザンベルです。最近ここで修行をしています」


「ザンベルです。バルド師匠の下で修行しています」

 少年は少し緊張した面持ちで挨拶したが、その顔を見た瞬間、胸の奥に引っかかるものがあった。


――どこかで見たことがある気がする。だが、思い出せない。


 その時、再び空間が揺れた。今度はリリアンとエルフの少女が姿を現した。


「お久しぶりです、セリオス様。」

 リリアンが穏やかな笑みを浮かべながら深くお辞儀をする。そして、隣の少女に視線を向けた。


「ノエルも挨拶して」


「ノエルです」

 エルフの少女が小さく礼をした。その仕草にはどこか品があったが、彼女の顔にも見覚えがあるような気がする。


――この少女もどこかで……。


「それでは、火傷の治療を始めますね」

 リリアンが俺の火傷した腕に視線を落としながら手をかざした。そして、空間が再び揺れ、今度は俺の各所の火傷部分だけを覆うような透明な膜が現れた。


「ノエル、お願い」


 ノエルが一歩前に出て、静かに魔法を発動した。その瞬間、俺の全ての皮膚が見る間に元通りになっていく。


「……治癒魔法か?」

 驚きのあまり、思わず口にしてしまった。


「いえ、これを見てください」

 リリアンが魔法で形成された膜の内部を指差す。そこには黒く焦げた皮膚が収められていた。


「ノエルは複製魔法を使えます。空間魔法で切り取った火傷部分に、複製魔法で新しい皮膚を補完しているんです」


「治癒魔法ではないのか……」

 聞いたこともない手法に驚きを隠せない。


「はい。厳密には、まだ完治していません。複製魔法で補った皮膚は、ノエルが魔法を維持している間だけ機能します」


「そんな使い方ができるのか……」


リリアンが微笑みながら答える。

「セリオス様、この黒炎の火傷痕を、魔導具や魔法薬の研究に活かしてもよろしいでしょうか?」


「もちろんだ。完成品ができたら、ぜひ少し譲ってほしい」


「ありがとうございます。それでは、研究がまとまり次第お送りします」


 治療が終わると、バルドとザンベル、リリアンとノエルは紫色のローブを羽織り、奥の部屋へと向かっていった。その姿を見送る中、ふと記憶の片隅に引っかかるものがあった。


「兄さんのケガも治ったことだし、そろそろ休もうか」

 アルがそう促してきた。


 治療は無事に終わったが、俺の頭の中にはまだ引っかかるものが残っている。


――紫のローブ……。


 ふと、研究部門から提出された報告書の内容を思い出す。


――調査結果:最近市場に出回っている効果の高い魔法薬の搬入経路を調査した結果、孤児院で生産されている可能性がある。第三室のエルフと紫のローブを纏った者たちの接触が度々確認されている――。


「アル、ここにいる者たちはみんな紫のローブを着ているのか?」


「ん? 魔導具技師だからね。」

 アルは軽い口調で答えた。


「リリアンは魔法薬の研究をしているのか?」


「どうだろう。治療魔法の代替を探しているとは聞いたけど……それが魔法薬の研究に繋がっているかどうかは知らないな」


 アルは他人の行動に関心が薄いのか、こういったことは無頓着だ。


――それよりも、ザンベルとノエル……あの二人、どこかで見たことがある気がする。


「あの二人は、今の孤児院の第三室にいるのから、どこかで会ったことがあるんじゃない?」


 アルは、俺が心の中で考えていたことに自然と答えを返してきた。


「俺、声に出ていたか? ちょっと恥ずかしいな。」


「兄さん、鍵に魔力込めてたから、飛んでたよ。」


――鍵? そういえば、さっきもアルが鍵に魔力を込めたら、バルドやリリアンが現れた。もしかして……。


「この鍵には、通信機能みたいなものもあるのか?」


「声を飛ばしてるわけじゃないけど、魔力にイメージを乗せて飛ばしている感じかな」


「見ているものを送るってことか?」


「ううん、見ているものじゃなくて、想像しているものかな」


 アルの説明を聞くたびに、この鍵がどれほど規格外の代物なのかを思い知らされる。


 だが同時に、この鍵があれば、いつでもアルとやりとりできるのだと思うと、どこか嬉しさが湧いてくる。つい、口元が緩んでしまった。


「兄さん、にやけてるけど……疲れたんでしょ? 今日はもう休もうよ」


 アルは笑いながら、休むように促す。


「……そうだな。今日は休むとするか」


 俺は鍵を懐にしまいながら、アルと一緒にベッドへと向かった。


 治療も終わり、今日という一日はようやく終わった。


――魔の森の鎮静化、孤児院の技術向上、魔法薬の急速な発展……。


 これらが全てが今日の出来事に繋がっているのだろう……。そんなことを思いながら、俺は静かに目を閉じた。


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