22.セリオス



「そういえば、その指輪はどうなってるんだ?」


 俺はアルが両手いっぱいにしている指輪のひとつ――マナストーンを取り出した指輪を指差して尋ねた。


「これ? 空間魔法を付与した指輪だよ。便利だと思って作ったんだ」


 アルは特に詳しい説明をする気はないようで、それだけを言って話を終わらせた。


「兄さんもいる?」


 各々で特性が変わる第三魔法の空間魔法を付与できること自体が驚きだが、それを当然のように作り上げるアルは、やはり異常。見たところ、この指輪は空間に物を収納できる魔導具のようだ。

 ただし、これを持つことにはリスクも伴う。どんな職業の者でも欲しがる逸品であり、人を殺してでも奪おうとする輩がいてもおかしくない。


「いや、やめておくよ」


 ――アルには常識を教えないとまずいな。


 彼の作る魔導具はどれも規格外だ。このままでは、悪用されるリスクを避けられないだろう。今はまだフィオナが傍にいるから大丈夫だろうが……。


「そうなの? この指輪、アークの別邸の倉庫に繋げてるだけだから、すぐに別邸に行けるよ?」


――すぐにアルに会えるのか……。


「それはちょっと欲しいな……」


 アルはいたずらっぽく笑った。


「それじゃ、できたら声をかけるね」


 ――


 到着した場所は、魔の森だった。


「ちょっと準備運動しよう」


 アルはそう言うと、迷いなく森の奥へと進んでいく。

 彼の全身から糸状の魔力が放出され、それが伸縮することで体を自在に操っているようだ。

 進むにつれ、アルの魔力の範囲はさらに広がっていった。周囲に立ち込める薄い霧状の魔力は、おそらく感知範囲を拡張しているのだろう。


 さらに、アルは魔力を体に纏い、身体強化を行っている。ただし、強化というより、防御を重視した使い方のようだ。

 水上やぬかるみでは魔力で板を作り足場を形成し、高所では魔力の糸を周囲の木々に繋げて宙を飛ぶように移動していた。


 驚くべきことに、これら全てが第一魔法だけで実現されている。


 理論上、魔力さえあれば誰でも可能な技術だが、実用的なレベルに達するのは極めて難しい。普通の魔導師にとっては曲芸程度にしかならない技術。それを実用化しているアルの魔力操作技術が異常であることは明白だった。


「いたいた」


 アルが何かを見つけたようだ。


「兄さん、こっちに来て」


 彼が指し示す方へ進むと、辺りが不気味に暗くなっていく。昼間の明るさが嘘のように、森全体に黒い帳が降り始めた。


 その時、不気味な嘶きが森の奥深くから響いた。静寂を切り裂くような音と共に、闇の中から姿を現したのは――燃え盛る黒炎を纏った馬だった。


「――ナイトメアホースだと……」


 その異形を目の当たりにした瞬間、全身が硬直する。

 ナイトメアホース――悪夢を運ぶ幻獣。その漆黒の体毛は炎に包まれ、揺らめくたびに不規則に形を変えていた。


「……くそっ!」


 その紅蓮の瞳が俺を捉えた瞬間、視界が歪み始めた。現実ではない、異界の風景が脳裏に広がり、森全体が焼け落ちる幻覚が襲いかかる。


「幻覚……!」


 すぐに目を閉じ、指を軽く噛んで意識を覚醒させようとした。しかし――遅かった。


 ナイトメアホースが一瞬で距離を詰め、その蹄が地を砕く。轟音と共に吹き飛ばされ、受け身を取る間もなく地面に叩きつけられた。鎧越しにも伝わる衝撃が全身を貫き、骨が軋む音が聞こえる。


「まずい……!」


 立ち上がる間もなく、闇のブレスが放たれた。視界を奪う黒煙が辺りを包み込み、空気すら呑み込むように渦を巻く。その中で、再び燃え盛る炎の輪郭が迫ってきた。


(このままでは――死ぬ!)


「兄さん! 兄さん!」


 遠くからアルの声が聞こえる。


 ――


 気がつくと、俺は地面に横たわっていた。アルが心配そうに覗き込んでいる。


「ナイトメアホースは?」


 俺はまだぼんやりとした意識の中で尋ねた。


 アルが少し先を指差した。その先には、フィオナが濃霧状の魔力を手に纏わせ、黒炎を帯びた魔石を持っていた。


「これは……。」


「ナイトメアホースの魔石だよ」


 俺は自分だけが無様に地面に転がり、アルの前で無力をさらした屈辱に胸を突かれた。

 衣服には焦げ目や傷は全くなく、最初から全てが幻覚であったことを物語っていた。


「力になれなくて申し訳ない」


 気まずい気持ちを抑えつつ、アルに謝罪する。


「大丈夫だよ。こんなのは慣れだから。それに兄さんは精神強化魔法が使えるから、問題ないと思うよ」


 ――慣れ?


 アルは全く心配していない様子で軽く答えた。


「それじゃ、もう一回行こう」


 そう言いながら、アルは鍵の魔導具に魔力を通し、空間の裂け目をじっと見つめる。


その姿を見て、俺はある言葉を思い出した。


 ――アークに連れてこられた直後、領内の城下町での会話。


「アル。この人たちはアークの住人ということになるのか?」


「そうとも言えるね。けど、理論上はアークの外で確認すると、ここの人の情報も更新されるはずだよ」


 ――更新される……!


 アルが裂け目を覗き込むと、黒炎が再び渦を巻き――ナイトメアホースがその底から姿を現した。

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