05.セリオス
辺境伯次期当主――セリオス・ヴァレンシアは、幼い頃から厳格な教育を受けてきた。
辺境伯家の教育方針は「甘やかしは怠惰を生む」という信念のもとにあり、どの教師も容赦なく、妥協を許さない。
この厳しさは、隣接する危険な「魔の森」に対処するため、領主としての責務を果たすために必要不可欠なものだった。魔の森での討伐の最中に気を抜けば、それが命取りになる――この地ではそれが常識。
したがって、この教育方針自体は合理的と言える。しかし、それは同時に、次期当主としての重圧を幼いセリオスに押し付けるものでもあった。
そんなセリオスにとって、唯一の安らぎを与えてくれたのは、今は亡き母――エルミナだけだった。
二年前にエルミナが亡くなって以来、セリオスは心に余裕を失い、笑顔を見せることもなくなってしまった。
そんな彼が、いま唯一心を休められる場所は、エルミナが生前運営していた孤児院だった。彼女の死後はセリオスがその運営を引き継ぎ、管理を続けている。
――
今日はその孤児院への視察の日。
セリオスは、この時だけは誰にも邪魔されたくないため、護衛や従者をつけず、いつも一人で孤児院を訪れる。
「このひと時だけは、誰にも邪魔されたくないからな……。」
彼は小さく呟いたが、その声は辺境伯領の活気ある通りの喧騒にかき消され、誰にも聞かれることはなかった。
辺境伯領の治安は非常に良好だ。常駐する騎士たちが警備を行い、犯罪者は城壁の外へ追放される。
城壁の外は魔の森に隣接しており、追放は事実上の死刑を意味する。そのため、領民たちは犯罪を犯すことを極端に恐れ、秩序が保たれていた。こうして、辺境伯領は厳しい規律のもとで平和を維持している。
――
「今日もあいつらは元気にやっているかな。」
孤児院に到着したセリオスは、慣れた様子で大きな門をくぐり抜ける。
広場では、孤児たちが魔導具を分解したり組み立てたりしながら遊んでいた。年長の孤児が小さな歯車を慎重に取り外し、複数の子供たちが興味津々に覗き込んでいる。
「おい、順番通りに並べろよ!」
「わかってるって!」
少し離れた場所では、壊れかけた魔導具のランプを修理しようと、孤児たちが真剣な表情で工具を握っていた。
セリオスはそんな光景を眺め、思わず口元を緩める。孤児たちの無邪気な姿を見るたび、彼の心の重荷が少しだけ軽くなる。
――
年長の孤児がセリオスに気づき、駆け寄ってきた。
「セリオス様。最近、少しお疲れではありませんか?」
その言葉に、セリオスは微笑み、逆にその孤児の頭を軽く撫でた。
気づけば、周囲には他の孤児たちも集まってきている。
「大丈夫だ。それに、次期領主としてお前たちのことも守りたいからな。」
セリオスはそう言いながら、一人ひとりの頭を撫でていく。
すると、孤児の一人が小さな声で呟いた。
「エルミナ様……セリオス様と、アルドリック様をどうかお守りください……。」
その言葉に、セリオスの手が止まる。
(……アルドリック?)
母――エルミナの名前が出るのは分かる。しかし、「アルドリック」という名前に聞き覚えがなかった。
「アルドリックとは誰だ?」
セリオスが不思議そうに尋ねると、孤児たちは一瞬驚き、互いに顔を見合わせた。
「……アルドリック様をご存知なかったのですか?」
「エルミナ様は私たちに、『私には子供が二人いる』とおっしゃっていました。『下の子はずっと一人だから、いつかあなたたちが支えてあげてね』って……。」
その言葉を聞き、セリオスは驚きに目を見開いた。
(――母上が、そんなことを……?)
自分に弟がいるという事実。そして、母がその存在を孤児たちには語っていたのに、兄である自分には一言も伝えていなかったという事実が、胸に重くのしかかる。
「今、弟はどこにいる?」
セリオスの問いに、孤児たちは困ったように顔を見合わせた。
「詳しいことは分かりません。でも、エルミナ様は時々、地図を見ながらここを指していました。」
地図には、魔の森の中に小さな印がついている。
(魔の森……? そんなところに弟がいるのか?)
地図を見つめながら、セリオスは戸惑いを隠せなかった。
(会うべきなのか? 俺は兄として何か
すべきなのか……。)
だが、短い逡巡の後、彼は静かに決意を固めた。
「考えても仕方がない。一度、行ってみよう。」
その言葉に、孤児の一人が小さな指輪が通ったネックレスを差し出した。
「もしアルドリック様に会うなら、この指輪を持っていってください。エルミナ様が『セリオスが行くときに渡して』って……。」
その言葉に、セリオスは息をのむ。
(母上は俺に黙っていた。だが、それでも俺が動くと信じていたのか……?)
彼は無言でそれを受け取り、首から下げた。
胸の中で、微かに湧き上がる不安と希望を抱えながら――。
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