3.教育係

 鳥が、すぐ側でぴるるるると鳴いた。

 暖かい季節だ。木々も一番生長し、青々とした葉を茂らせる。枝や葉の隙間から漏れる太陽の光が、地面に光と影の模様を映し出す。


 その下を、二人は迷うことなく進んでいる。


 背の高いホレスは、その分歩幅も大きい。彼に並んで歩こうとすると、イルマはいつも小走りになる。イルマだからといって決して歩調を緩めるようなことはない。

 走り出すほどでもなく、早足は続く。

 少し息が上がってきた頃になって、ようやくホレスがイルマを振り返る。


「先にそのアーラドリを薬草園の魔法使いに預けて行きましょう」

「はい」

 親鳥はイルマの肩で機嫌よさそうにさえずっている。彼らのように翼があればと思う。だが実際は、こうやって二本の足で行くしかないのだ。


 ときどき、こちらを窺っている気配を感じる。だが、気付いていないかのように真っ直ぐ前を見て進んだ。二人は何も言わずに薬草園を目指す。


 ホレスはイルマを他の青年たちと同じように扱った。それはイルマを女性として差別しないという彼の態度が、表面的なものではないことを物語っていた。


 彼に預けましょうと、少し先にいる薬草の採取をしていた魔法使いに巣を渡す。緑色と黒の斑模様の卵が二つ。割れることなく並んでいた。親鳥は二、三度イルマの頭の上を旋回すると、巣へと戻って行く。


 ようやく手が空いたと、腰で結んだ長衣(カフタン)の裾をほどきながら、隣を行くホレスを見上げた。


 すっと通った高い鼻と、優しい紫の瞳。肌の色は白くはなく、割と濃い目だ。榛色の髪の毛は、いつも光を浴びて淡く光っている。宮廷内でもかなり女性に人気が高い。けれど、誰かと親しくしているという話はあまり聞かない。もったいないなと思いながらも、誰にでも丁寧に分け隔てなく接する師匠せんせいを、イルマは誇りに思っていた。


 見習いの期間は、特定の師に就いて学ぶ。


 同期の中では群を抜いて成績のよかったイルマだが、女性である。宮廷魔法使いは男性社会だ。

 他の見習いたちが次々に受け入れ先が決まっていく中、イルマを迎えようという教育係はなかなか現れなかったと聞く。最終的に、ホレスの弟子となることが決まったのは期日ぎりぎりになってからだった。彼は教育係の中でも一番若く、イルマと十しか離れていない。他の教育係は前線を退いた四十代五十代、一番上では六十代といった年寄り連中ばかりだ。教育係の中では異色の人物だった。


「どうかしましたか?」

 随分長い間見つめていた。その視線に気付いて、ホレスが笑いながらイルマを見下ろす。

「いえ、何も」


 慌てて前を向く。そこには白亜の城が天を突く勢いで高くそびえ立っていた。王の居城だ。その周りには尖塔がいくつも並び、それを起点とした結界が敷かれていた。イルマたちが先ほど使っていた防御の結界などとは違って、本格的な防御の陣だ。これによって王宮は外敵からの攻撃を防ぐ。結界師の仕事だった。


 彼らの編み出す方程式は複雑ではあるが美しく天を覆う。


 ホレス師匠せんせいの下で学ぶ二位ドゥオが、イルマは結界師になればいいと言った。

 見習いは、三つの位に分けられる。入って一年目は三位トリア。これは誰もが通る道で、全体にまんべんなく宮廷魔法使いの仕事を経験する。一番あちこちへと忙しい年だ。二年目以降は二位ドゥオ二位ドゥオからは仕事を選ぶこともできる。たいていは教育係である師匠せんせいが、弟子の能力と本人の希望を計り仕事を回すことになる。二位ドゥオは最高でも三年間。その間に方向を決めるのだ。そして、半年ごとに行われる試験に合格すれば、一位ウーヌスとなり、教育係の下を離れ、それぞれの職場で働くこととなった。そこで今度は実地で適性を見られるのだ。悪くすれば適性なしとして、二位ドゥオに落とされることもある。だが、そんなことは滅多になかった。一位ウーヌスになればほぼ間違いなくその職に就ける。


 その彼は結界師の道を選んでいた。次の試験は間違いなく通ると言われている。イルマの結界はきめが細かくよく褒められた。それを知っていたのだろう。


 同時に、彼女の本当の望みも、彼は知っていた。イルマが公言してはばからないからだ。

 王属護衛官になりたい。

 それが、目標だった。


 宮廷魔法使いの中でも花形の職業、王属護衛官は、その名の通り王やそれに近しい者を護衛する職務だ。武芸に長けた騎士と、宮廷魔法使いの中でも特に能力の高い者がその任に就く。イルマはそれを目指して日々鍛錬に勤しんでいる。

 だが、女性だからという理由で宮廷魔法使いになることですら反対された。


 皆が口を揃えて言う。


 過酷な任務だ。きつい仕事だ。イルマは女なんだから、わざわざそんな辛い道を選ばなくともよかろうと。

 周囲の反対を押し切って、誰にも文句を言わせない成績で試験を通ると、今度は宮廷魔法使いの中でも女性に向いた仕事がある。王属護衛官は常に神経をすり減らさねばならない。女性では無理だと立ち塞がる。


「イルマ、どこか怪我でもしたんですか?」

 今度は反対に、ずっとこちらが見られていたようだ。


 いいえと答えようとして、留まる。


 そしてホレスの瞳とぶつかった。


師匠せんせい……、私、やっぱり、王属護衛官にはなれませんか?」

 薄い紫色の瞳が一瞬揺らぎ、色を濃くしたように思えた。目を細めてイルマを見返す。

 少しして、彼は視線をそのまま前方の城へ向けた。レグヌス王国を象徴する不落の城だ。


「魔法使いほど、男女という性による能力の差がない職業はないと思いますよ」

 城を見据えたまま彼は笑う。


「努力を怠らぬことです。君は私が受け持った魔法使いの中でも群を抜いて優秀です。確かに今は男性優位の社会です。特に、この宮廷魔法使いという仕事は。けれどね、変わらないものなんてないんです。そうでしょう?」

「はい!」


 イルマは元気よく返事をした。

 ぎゅっと左手の杖を握りしめる。

 陰っていた表情が、明るく切り替わった。杖の先のオレンジ色の魔石のように、彼女の空色の瞳も輝きを取り戻す。


 あまりに簡単だと言われそうだが、師匠せんせいの言葉はいつもイルマを助けた。彼の慰めは、口先だけのものではない、そう思わせる何かがあった。


 ホレスの右手がイルマの頭へ伸び、柔らかいその金色の髪を優しく撫でた。


「努力は報われる。そうでなければいけません。あとは、チャンスをものにすることです。機運を待っているのではなく、呼び寄せるんですよ」

「呼び寄せる?」

「ええ。……さあ、急ぎましょう」

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