ゲンとの日々 ――異変――

 小川で遊んで来た。川の水は冷たく、気持ちがいい。

 釣りでもしたいなあとのんびり考えていると、ゲンが魚を鷲掴みにして見せてきた。前から思っていたが、魚を獲るのが上手い。すぐに魚は川へ帰してやった。

 (一九×◆年七月十五日)



 風邪をひいてしまった。別に大したことではないが、大事をとって休んで正解だった。

 ゲンが窓から向日葵を見せてきた。家内が生けてくれた。小ぶりな向日葵は可愛らしい。

 (一九×◆年七月二十日)



 今年の夏も暑い。朝夕に少し動くだけでも汗をかく。

 家内やゲンは平気そうにしているのに。オレだけか。

 (一九×◆年七月三十一日)



 ゲンが玄関で死にかけていたセミに鳴かれて猫のように飛び跳ねた。あれは確かに驚くが、今回は完全に油断していたな。

 セミは庭に埋めてやった。墓標代わりの石を置き、花も供えた。ゲンと一緒に手を合わせた。せっかく地上に出られたのに、また、土の中を過ごすのかと思った。

 ゲンに死んだセミはこの後はどうなるのかと訊かれた。とうとうそんなことを言うようになったかと思う。

 そもそも、死という概念を理解しているのか。

 死は嬉しくないこと、とゲンは言った。おじさんも死ぬの、と不安そうに訊いてきた。

 もちろん、そう長くはない命だから。とは言っても、持ちこたえてくれている。ここに来る前は一年、長くても二年ぐらいだろうと言われていた。それが今ではどうだ。随分生きている。身体は相変わらず弱いが、それなりに生活できている。

 ありがたいなあとぼやくと、ゲンに寄りかかられた。

 おじさんも死ぬの、とまた訊いてきた。ああ、と答えれば、ぶう、と頬を膨らませる。

 死は避けられないこと。遅かれ早かれ誰にでも訪れる未来だ。

 ゲンはまだ先だな、と頭を撫でると、ゲンはオレの手をとった。

 おじさんは死んだら稲荷様のところに行くの? と。

 どうだかな。神様というよりも、仏様の方な気がするが。稲荷様がオレをお招きくださるなら行ってみてもいいかもしれない。でも、神様は穢れを嫌うから、行けないかも。あの世に行く前に、遠くからでもいいからお参りはしたいな。

 (一九×◆年八月六日)



 雑誌に載せる詩はどうしようかと寝転びながら考えていたら、ゲンがのしかかってきた。詩を書いたから見てーとノートをぶんぶん振り回す。今回のタイトルは「おやすみなさい」。ゲンにしてはしんみりとした詩を作ってきた。


 「あんなに元気にないたセミも なきつかれて おやすみなさい」


 昨日のことを詩にしたようだ。

 (中略)

 ゲンの詩の添削をしてやった。まだまだ伸びしろがある。

 (一九×◆年八月七日)



 気がつけば、夕方になっていた。昼食後の記憶があまりない。詩のことを考えすぎていたせいか、時間が過ぎるのもあっという間だ。

 (一九×◆年八月十六日)



 昨晩の夕食後、主人が立ち上がった際にふらつきました。具合が悪いのかと訊けば、ちょっと立ち眩みだと。本当に、と訊けば、主人は本当だ、と。早いところ休むよ、と言って主人は先に床につきました。

 そして、今朝。とくに問題はなさそうと思って過ごしていました。

 おやつの時間にスイカを切ったので、縁側で寝転がっている主人とゲンに声をかけました。ゲンは飛び起きて、スイカ、スイカとはしゃいでいましたが、主人が身体を起こす様子はなく。顔を覗き込めば、眠っているようでした。それにしては、あまりにも静かな寝顔で、嫌な予感がしました。夏の熱にやられたかと思いましたが、ゲンにのしかかられて、すぐに起きました。少しねぼけていて、舌が回っていなかったけれど、ゲンを軽く窘める様子にほっとしました。

 今日はそれぐらい。けれど、少し心配です。

 (一九×◆年八月二十二日 祥の日記より)



 この頃、怠い。暑さのせいだと思い込んでいたが、どうもそれだけだろうかと疑問に思う。家内も心配しているし、診察の予定はまだ先だったが、早めに診てもらおう。

 (一九×◆年八月二十五日)



 先生に診てもらった。最近の様子からすると、確かによくないらしい。薬を増やしてもらった。

 万が一、散歩中に倒れでもしたらよくないし、しばらくは外出を控える。ゲンにそう伝えると、わかった、と素直に返された。おじさんの元気が大事だから、と。

 そうだとも。別に、大人しくしていても詩は作れる。

 (一九×◆年八月二十八日)



 この頃、書斎のベッドで横になりながら詩を作っているとゲンが窓を叩いては花や木の実、虫などを見せてくる。何だか、出会った当時のことを思い出す。あれから、ゲンは言葉を覚えてきた。詩を作るようにもなった。不思議な縁だと本当に思う。

 ゲンと出会ってから、色々と変わった。また詩を作るきっかけになったのはあの子だ。詩を作ること、作風が変わったこと、身体のこと、と悩みは多かった。今も、悩みはあるが、それでも、少しずつ前向きに考えられるようになった。

 ありがとう、ゲン。


 もっとほめてもいいんだよ(※)

 調子にのるな。

 (一九×◆年九月十日)

 (※)ゲンに書かれたもの。



 ざっくりと詩を書いてみたものの、少し雰囲気が硬いか。子供向けなのだから、難しくしないようにとしたものの、ぎこちない。単純に言葉を平易にしただけの物は子供を馬鹿にしているみたいだったから、よくなかった。

 何だか、ゲンに向けて作るのと勝手が違うように思う。

 (一九×◆年九月八日)



 何だか、筆の進みが悪い気がする。気持ちの問題というよりも、身体の方。手の動きが悪いか。

 まだ気怠さは抜けない。

 (中略)

 のんびりと書いていると、ゲンが窓から入ってきた。ちょうどいい風を部屋にいれるために開けていたのであって、ゲンの出入りのためではない。


 そこにまどがあったから(※)

 だからと言って窓から入るな、と何度も言った。

 ぶっぷぷー(※)

 (一九×◆年九月十九日)

 (※)ゲンに書かれたもの。



 ゲンに原稿を見られた。これ、見ていい? と訊かれた。

 構わないと伝えると、ふーん、とゲンは原稿とにらめっこした。そして、しばらく読むと、首を傾げた。


 いつもと違う?


 ゲンに言い当てられて驚いた。そうなんだよ。どうもしっくりこない。

 またこれか、と思ってしまった。スランプか。

 原稿を返されたと思いきや、ゲンに詩見てーとノートを渡された。「あわてんぼうのわんこ」らしい。こーんなおっきいあわてんぼうのわんこがいて、と両腕を広げて教えてくれた。確かに、それはでかい。

 (一九×◆年九月二十三日)



 久しぶりに散歩に出ようと思ったが、立ち眩みがして断念。代わりにゲンが外でも見聞きしたことを教えてくれた。ちなみに、今日の外の目玉はきのこだと思ったら石っころ、と思いきやきのこでした、らしい。きのこには気をつけろよ。

 (一九×◆年九月二十七日)



 やはり、主人の容態はよくないみたいです。急に悪くなる、というよりも、じわじわと悪くなりそうと先生がおっしゃいました。どうしてこの時期にと思いました。菅間さんからの依頼を受け、頑張っているというのに。

 いいえ、むしろ、今までが異常だったのかもしれません。この地に来た当初の主人に残された時間は本当にわずかでした。しかし、この地で過ごす内に元気が出てきて、時間が延びたのでしょう。

 時間は延びても、いつかは訪れる。それがじわじわと迫っていることが恐ろしい。

 (一九×◆年九月下旬 祥の日記より)



 今日の主人はあまり力が入らないのか、ゲンに文字起こしを頼んでいました。ゲンは漢字がわからないと辞書を引き、主人に確認をとっていました。これもいい勉強だなあ、と主人は笑っていました。

 (一九×◆年十月一日 祥の日記より)



 昨日、一昨日とゲンに手伝ってもらった。漢字がすぐに出てこなくて、唸っているところを見ると、いい勉強になることがわかった。たまにこんなことをするのもいいみたいだ。

 それにしても、身体が怠い。今日はまだ元気な方だが、困った。せめて、この詩は自分の手で書き上げたいのだが。

 (一九×◆年十月三日)



 おじさんの詩のお手伝いをした。

 ちょっとむずかしかった。

 同じ読み方する漢字、どっちなの、てなった。

 (一九×◆年十月上旬 ゲンの日記より)

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