第10話 鉄球を引く少年と虹色の体液の妹

 鉄、

 だと思う。

 調べたことなんてないからそれが実際に何の塊なのか分からないけど、

 ごと、ごと、

 と僕の腰のあたりから金属の玉、多分鉄の玉がこぼれ落ちる。こぼれ落ちると母さんは更に怒ってあるいは面白がって? 同じことだ。何でこんな変なガキが生まれて来たの変な玉を出しやがってというようなことを叫びながらやけくそのように僕を打つ。ごとん、と鉄の玉が腰から落ちる。鉄の玉はピンポン玉くらいの場合もあれば果物くらいの場合もあるし一番大きかったときにはバッファローの二歳児程度の大きさだった。大きさに関わらず全ての玉にはこれもおそらく鉄のように見える鎖がついていてじゃらじゃらと束になって僕の腰の所につながっている。まるで囚人。どんな凶悪犯なのだろう(笑)バチン、ごとん、ばちん、ごとん、殴られて鉄の玉を出して。バッファローの二歳児なんて、もう大人じゃないか。

 そんな僕の後ろに隠れて?

 それとも僕を後ろから支えてくれるために?

 とにかく僕の後ろには妹がいて頑なに涙をこらえている。妹が涙を流すとその虹色が床を汚した服を汚したと言って母さんは更に僕を殴るそれを恐れて妹はじっと頑固に涙をこらえている。本当はそんな理由があってもなくてもどうせ殴られるんだけど殴る理由がなくなれば僕が殴られることはなくなるのだと妹は思い込んでいるから僕が殴られて鉄球を出す度に涙をこらえ、

 僕の服の裾をぎゅっと掴む。

 亜美、大丈夫だ。泣かなくていいし、泣いてもいい。僕はもう何をされても大丈夫だからもう後ろに立っていてくれなくてもいい、亜美、大丈夫だ、鉄球で足の指を潰さないようにね、もう少し離れたところで、別のことを考えていていいんだよ。

「何笑ってやがる気持ち悪い出て行け! 糞がき」

 ああ、やっとだ。母さんが僕の太ももを蹴ってごとんと大きめの玉が転がって合計10個くらいかな、ごご、ごごとととごと引きずって炎天下の、道。

 道。

 道。

 道。

 その道は最高気温が40度近くなるだろうと予報された日の昼下がりの道だった。腰から伸びる鉄の鎖とその先につながれた大小の鉄の玉。一〇個くらい。じゃらじゃら、と鎖が鳴る。ごごごご、と鉄の玉とアスファルトが擦れる音が鳴る。僕は鉄の玉を引っ張って進む。じりじり進む。進むのか退がるのか。回っているのか。追っているのか。逃げているのか。とにかく鉄の玉は重すぎて満足に歩くこともできない。暑い。

 ついてきた妹が鉄球の一つ、オレンジくらいの大きさのものを手に掴もうとしてすぐに落とした。鉄が日を吸って熱かったのだろう。

「大丈夫だ。亜美。亜美は家にいてもいいんだよ」

 と僕が前を向いたまま言うと妹はぶるぶると首を振って僕の服の裾を掴む。既に妹の全身からは汗がにじみ出していてTシャツがほんのり虹色に濡れている。掌にも汗がにじんでいてその掌で僕の服の裾を掴んだので色が僕の服の裾にも付着する。のを気にしてか妹はぱっと手を離し、

「付けちゃった」

 と泣きそうな顔で言う。服を汚したと言ってまた僕が怒られる理由を作ってしまったとでも思ったのだろう。大丈夫だ、理由もなく殴られるより理由があって殴られる方がマシだから。僕は妹の痩せた手を握り強すぎるくらいに握り、するとそれ以上に強く妹も握り返して来るのだ。ぬるぬると虹が滑って感触が面白い。わざと掌をこすり合わせて僕はちょっと笑い妹も笑うその口の中では虹色の唾液が日を受けてぬめぬめと輝くのだった。

 五分後には妹の身体から虹はもはや吹き出しそれが高い気温に次から次に蒸発をして妹の輪郭が虹色にぼやけている。既にシャツもスカートも元の色が何だったかなんて誰にも分からないくらいに虹色で顔首腕脚つまり衣服に覆われていない部分もべったり虹の汗に濡れている。そのとんでもないレアキャラのような姿に僕が吹き出すと、

「なに?」

 と妹はきょとんとして問うその問いがまた虹色なのだSSSSSSSR【妹】

「はは!」

「なに?」

 だけど炎天下の道があまりにも炎天下すぎたのと鉄があまりにも重すぎたのでだんだん僕は元気がなくなってきてしまった。その元気がなくなってきてしまったという思いがまた一つの鉄球になってこぼれ落ちる。ああこんなことをしていてはどんどん鉄球が増殖して今に本当に一歩も動けなくなってしまうだろうと思うとまたひとつごとり、そのごとり、という音が嫌でまたひとつ、ごとり、。ああだめだだめだ何か別のことを考えなくちゃと思って「席替え」ごと、「遠足」ごろ、「先生」ごろ、「音楽」ごろろ、「給食」こと、「係」「班」「実験」「移動」「掃除」「もう少し我慢できる?」「自分で努力できることはない?」「今日は何人に自分から話しかけてみたの?」ごとごとごとごとごろごごごごごご、だめだここで止まっていては焼け死ぬだろう。と思えばまた、ごん。

 とうとう立って歩くことができなくなったので僕は四つん這いになって進む。這い、進む。陽射しにアスファルトが焼けていて熱すぎる。背中を太陽がおおらかな直角で叩き付ける。もう消えてしまいたい。とりあえず太陽の直射しないところへ行きたい。だけどこんなにたくさんの鉄球を引きずってせめて仮に木蔭に行き着いたとしてそこで何とか生きながらえてこんなに重たいのに、こんなに苦しいのに、いったい何のために僕らは焼け死ぬことを拒むのだろう。家にも学校にも行きたくない。いたくない。世界の全て。板橋区の道は全て家か学校につながっていて、公園も図書館もその中間地点に過ぎなくて、それは練馬区だって和光市だって同じでどこにも僕らの居場所がないから大人に本気で助けを求めても、

《親権者》

《親権者が》

《いったんは親権者》

《親権者の許可がないと》

《親権者は?》

《親権者と一緒に》

《親権者に知らせずにそれはできないんだよ分かるね?》

《それは、誘拐になっちゃうよ(笑)分かるね?》

《一応親権はお母さんにあるんだよ分かるね?》

《親権って、法律って、分かるね?》

 分からない。親権の詩でも歌ってるんだろうか?

 僕が死んでしまったら妹はどうなるんだろう。その妹とて全身虹色の体液なんかでこの先どうやって幸せになるんだろう。面白がられることはあっても愛されることはあるんだろうか誰が妹を愛してくれるんでしょうかごろごとごろんごごごろとずんずしんごととお。 とうとうどうやっても前へ動くことができなくなってふと後ろを振り返るともう、山なんだよ(笑)病気のぶどう(鉄)

 こんなものを引いて前へ行こうとしていた、行こうとしてきた、ハハ。よくやったよなぁ。これ以上進めないということを悲しむのではなくここまで進んで来る力を与えてくれた神様に感謝する唾を吐く。吐く。吐く。吐く吐く吐くでもさすがにこれは無理ですと鉄球の山を眺め上げて笑っていると山の向こう側から妹が鉄球を一つ持ち上げてこっちへ運んで来るのが見えた。運んできてそれを僕の傍に置いてまた向こう側へ取りに行ってまた一個運んで来て置いて。一個ずつ移動させてくれている。途方もない考えだ。妹が行き来した経路にぽつぽつというよりびっちゃあと汚い虹の滴が付着してその粘着質の滴はアスファルトにこびりつくと化合してしつこく蒸発しないのだ。妹が運んできてくれた鉄球にも妹の手形がべったりと虹色に張り付いている。なんとなくそれを手に取ってみようとすると触っていられないくらいに熱いのだ。

 こんなものを一個一個運んで少しずつ前へ進んでいこうというのだ。もういい。亜美、あみ、もうやめよう。

 ばかげた方法だ。だけど唯一無二の方法なのだ。こんな方法しかないのだと思うとまたごとん(笑)。コメディなんだろうか? 埒があかない。けれども最後まで諦めず一つずつ鉄球を運んでくれている妹のために、ためだけに、僕は再び透明の汗を流しながら這い進み始める。「ううううん。うううううん」と呻きながらせめて日陰の所までと鉄の山を引きずり引きずり。その時、

 きこ、きこ。

 鉄のぶどうの山の陰から女の人が。荷車を引いて。現れた。ホームレスみたいな見た目の女の人。

 変な人が変な荷車に変なものをたくさん積んで運んでいる(笑)僕の方が変だけど(鉄)妹も変なんだけど(虹)もうろうとしてると荷車を引く女の人が歩みを止めた。四つん這いの僕を見下ろして、

「パントマイムでもしてるのかい?」

 と、話しかけてきた。低くかすれた声だった。

 何を言われているのか咄嗟に分からず僕が何も答えられないでいると横から妹が、

「パントマイムじゃありません。お兄ちゃんもわたしも、本当に困ってるの」

 と口を出す。

 こんな人に助けを求めてどうなるものでもないだろう、亜美、もうしゃべらなくていい。

「おい」

 と女の人は妹ではなく飽くまで僕を見下ろして問う、「おい、あんたに聞いてるんだよ、パントマイムなのかって」

「パントマイムなわけないだろう」

 と僕は舌打ちをしてから答えた。

「パントマイムだろうが」

 と女の人はガラクタの山の荷車をごそごそあさり出してやがて一本の釘バット。木製の野球用のバットにたくさんの釘が打ち付けられたものつまり釘バット。

「こんなのしかないや」

 落ちくぼんだ目は何を見るようでもなく悲しそうに笑うとバットを構えぶん、ぶん、ぶん、と振る。野球なんてしたことがないのだろう全然フォームはなっていない。痩せた身体でバットを振るというよりバットに振られている。それでもばちばちばちん、一振りで五、六個の鉄球がはじけるのだ。あんなに鉄のようだったものがまるで風船かビーチボールだった。「本当はね、こんな大層なものはいらないんだけど」ぶん、と振って、よたついて、髪の毛を振り乱し、ばちばちばちん、割れる度にぼん、ぼわぁと風圧が来てよろけそうになる妹の背に僕は手を回すその背も僕の手も汗に濡れて透明が虹を分離して滑る、「キリか、まち針の一本でもあればじゅうぶんだったんだけど」ぶん、ぶん、ぱちん、ぱちん、ばちん、「キリもマチ針も、あいにく在庫切れなんだわ!」絶叫、もっとも巨大な鉄球に釘バットを叩き付ける。スイカ割りのようにとどめのように縦に。釘がアスファルトに擦れて火が散った。

 全ての鉄球が風になった後、妹が「それ、なに?」とゴミ満載の荷車を指した時もその人の落ちくぼんだ目は何を見るようでもなかった。ひときわ低く紙やすりをこすり合わせるようなかすれた声で「パントマイム」と言ったが妹の質問に答えたのか独り言なのか分からない。そして白い唾だけ吐き捨て去ってった。

その後、二十分の間土砂降りになり唾や虹や熱や色々なものをいったん洗い流した。いったんね。

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