誰も望まなかった連続殺人
深水彗蓮
第1話 拾った捨て猫
目の前の、潰れた人間の顔から離れる。
私が、たった今潰した兄の顔。
「な、んで……たんじょうび、……おかあさん……おとう、さん……」
生暖かい血が足を濡らす。
血に染まった真っ白のケーキ。その向こうに倒れているのは父母と、その親友。彼らの幼い娘。
みんな、死んでいる。
喉に熱いものが登ってくる。
気持ち悪い。
死体。嘔吐。血。脳漿。骨。血塗れの黒髪。甘いケーキ。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
「これは酷いな……」
「新人全員置いてきて正解だわ」
その意見には賛成だが、旧相棒と組みたくはなかった。蒼波は息を吐いて、気を取り直してから無惨な死体の写真を撮る。
「暇ー」
「せめて黙れ!」
写真の一枚すら撮れないくせに……この機械音痴め。
「んー、こっちから撃つでしょ? で、武器を持って攻撃を阻止しようとしたこの少年を返り討ちにし、逃亡した? ってこと?」
「……こちらから撃たれないとあの方向には倒れないだろう。猟銃からは行方不明の少女の指紋しか出ていないらしい。そいつが犯人だろうな」
「それにしてもひっでぇ事件」
「……」
蒼波は彼女を一瞥して、再び遺体に目を落とした。
「頭を潰すなんて余程兄を恨んでたんだな」
「……矢」
「ん?」
蒼波は顔のない遺体の右足を指差す。
「背後から狙ったんだろうな。
「……一番最後に取っておいた、とか? この仏さんを動けなくしてから全員を射殺し、
「流れるような早技だな」
「他にあるか?」
「……まあな」
蒼波は立ち上がる。
この胸糞悪い現場に、必要以上に居たくなかった。
「行こう」
「猟奇事件……。ああ、先輩達だけで行ってた?」
「ああ」
蒼波は歳若い
「最悪だった」
「そんなに……」
銀色の髪が靡く。金色に輝く瞳が逸らされる。
「容疑者は未成年なんですよね?」
「ああ。十五歳だ。……誕生日だったらしい」
「記念、でしょうか」
「かもな」
「……何故でしょう」
「……」
彼は指を組み合わせて憂鬱そうに言う。
「かなりの悪意を持っての殺害なんでしょう? 六人も殺してるし……」
「大事件にはなるだろうな。少年院に収容はされるだろう」
「……」
「十五歳かぁ……。二年前……呑気に学校生活を送ってたなぁ」
十六歳の頃、この少年は事件に巻き込まれ、以来警察の一員として働いている。この国の警察は万年人手不足で、犯罪処理能力が追いつかず、こんな若者でも優秀ならば就職できる。そして今、彼は自身の家を持ち、通信制高校に進んでいる。
「そんなものだろう。ただ、狂気と殺人犯は思ったより近くにある。それだけだ」
少年は困ったように笑った。
「一昨日も昨日もインスタントラーメン……今日はインスタントうどん……」
麺地獄。
暗い夜道を溜め息を吐きながら歩いていく。安いし手早いし美味しいし、楽なんだよなぁ……。
蒼波は十八歳の少年の食事じゃないと、嫌な顔をするけど。
前を男女が歩いていく。男が女の腰に緩く手を回し、宿泊施設の入り口へ向かっていく。
「……に、堂々と……いいの?」
銀煉は知らぬ間に足音を殺していた。
「いいだろ。どうせバレないし」
男がふと思い出したように女に袋を渡す。
「はい、代金」
女は首を傾げるように男を見上げる。男は袋を開いて札を見せる。……現金だ。
「ほら一万五千円。それにしてもこんな安くていいの? 未成年が身体売ってるんだから、もっと高くしても——」
「おい」
銀煉は男の肩に手を置いた。
「未成年に何させようとしてる?」
舌打ちをして、男は駆け出す。
「あっ!おい!」
振り払われた少女が路上に座り込む。
「君、大丈夫? ええと、児童相談所に案内しようか?」
「……い」
「?」
銀煉は優しく少女の言葉を待つ。
髪留めが短めの金髪を纏めている。青い目がそれに良く映えていた。
「お願い……誰にも言わないで……」
「で、でも」
「お願い……。親にバレたら、それこそ生きていけない……だから、」
銀煉は男が駆け去った方向を見る。
「お願い、今回が初めてだったの。もう止めるから……誰にも、言わないで……」
恐怖に震えているらしい少女に、銀煉は手を差し伸べた。
「もう夜だよ。家に帰ろう。送ってあげる。……誰にも言わないから」
「……ほんと?」
銀煉は戯けて肩を竦める。
「証拠がないや。むしろ僕が疑われそうだ。……家はどこ?」
彼女は首を横に振る。
「え、道分からないの?」
また首を横に振る。
「帰りたくない?」
今度は縦に。
「……どうするつもり?」
「ここに泊まるか……公園で寝ようと……」
「これから雨になるよ。それに、ここを予約したのはさっきの人じゃないの?」
ぎこちなく少女は肯定する。
「じゃあ、僕の家来る? 狭いし汚いけど」
「……」
「あっ、いや、下心とか全然なくて……! なんなら君を泊めて僕は知り合いの家に行ってもいいし……!」
「別に……
「えっ」
少女は俯く。主張の弱い金髪が綺麗だった。
「え、えっと……」
「……」
これ以上喋るともっと拙い事になりそう。慌てて銀煉は歩き出し、話題を変える。
「こっち」
少し遅れて足音が従いてくる。
「僕は銀煉。一応高校生。一人暮らししてるんだ。……あ、苺とか好き? 今、実家から沢山送られてて困ってたんだ。食べる?」
「……良ければ、貰う」
「良かった。うち、農家でさぁ。いっぱい送って来てくれるんだよね。君は?」
「……私?」
「ほら、名前とか……歳とか。僕は十八」
「……
「いい名前だね。なんか雰囲気も合ってる感じ」
彼女は目を逸らした。何か拙いことを言っただろうか、と銀煉は眉根を寄せる。
「……。十六歳」
最低限の言葉が浮遊する。
「へえ……学校は?」
「……」
通っていない、詰まらない、不登校、虐め……。
通わない、通えない事情は、多い。
「おうちの人は?」
「いない」
「そ、そう……」
彼女の胸元で光っている綺麗な
「それ、綺麗だね」
「……大事なものが入ってるの」
「写真?」
「うん。それと——」
彼女は金色のそれを両手で包んだ。
物憂げな表情を、見てはいけない気がして、銀煉は指を差した。
「ほら、あの
気後れしたように従いてくる少女を励ますように笑い続けながら、銀煉は家の鍵を差し込んだ。
「……仕事……してるの?」
眉根を寄せて少女が言う。
「え、ああ、してるけど。なんで?」
「実家が農家にしては住んでいるところが豪奢過ぎる……と思ったから」
「ああ……そうかもね。でも、物とかも少ないし……だいぶ殺風景だけど、どうぞ。あ、インスタントのうどんでいいかな? きつねうどん」
こくりと少女は頷く。銀煉は机まで案内して、
「ちょっと待っててね。あ、お風呂とか、どうする?」
「……じゃあ、借りる」
「うん。寝る時はベッド使ってどうぞ。僕はこっちの部屋で寝るから」
「でも、」
「良くあるから大丈夫。ソファもあるし」
銀煉は少女の頭を撫でた。
「……?」
ぱっと手を引っ込める。流石に不躾だった!
「あ、いや、良い子だな、と思って……ごめん」
「良い、子?」
うん、と銀煉は頷く。苺を取り出し、水洗いをして彼女の前に出した。
「どーぞ」
「……ありがとう」
銀煉は微笑む。
「でも、私——」
きゅー!
薬罐の音に飛び上がってから、銀煉は慌てて火を消す。
「あ、梱包破ったりとか何もしてない!」
格好つけてる場合じゃなかった! 恥ずかし!
少女の細い手が梱包を解いて、蓋を製品の指示通り開け、火薬や調味料を取り出していく。銀煉はごめんね、と謝りながら熱湯を入れた。
「ありがとう。ごめんごめん、駄弁ってて」
少女は首を振り、三分経った容器に箸を入れた。
少しの間黙々と食べ、銀煉は少女に笑いかけた。
「美味し、——」
美味しいか、と訊ねようとした。だが、出来なかった。
彼女の頬を涙が伝っていたからだ。
熱過ぎたのかもしれない。目に塵が入ったのかもしれない。でも、銀煉はそのままそれを見なかった事にした。
「……食べ終わったら、お風呂入りな。先がいい?」
「……うん」
銀煉は容器を持って立ち上がると、流しに液体を流した。蒸気が上がる。
「僕、これから少し仕事あるから、二時間ぐらい入っててもいいよ」
「……ゆでだご」
「え?」
蛸? 茹でられるって言いたいのかな? 思わず銀煉は振り返った。
はっとしたように少女は顔を上げ、目を逸らした。
「……なんでもない」
「あ、おはよう」
「……おはよう」
焼いた食パンを置いて、銀煉は佇む少女に問う。
「帰れそう?」
「……」
「電話とか、良ければ貸すよ? 運賃とかも出すし」
「……家族は、いないから」
「出張……とか? かな?」
そんな訳ないと知りつつ銀煉は言葉を放つ。
「……死んじゃった」
少女の言葉はソファの上の銀煉に軽く当たって、ぽつんと浮いた。
「だから、帰りたくない」
「そっ、か。……でも、お家はあるんでしょ?」
「……うん。一人で住んでる」
「保護者は?」
「遠くの親戚。一回会っただけ」
ふと、目の前の少女に憐憫を覚えた。
「その人の許可が取れたら、泊まってもいいよ」
少女は顔を上げる。
「本当?」
「うん」
「……連絡入れて、友達の家に泊まるっていうだけでいい?」
「いいよ」
「じゃあ、着替えとか取ってくる。その時に公衆電話で知らせる」
本当は電話の様子を聞いて、こちらから挨拶がしたかったんだけど……まあ、いっか。
「了解。宜しく伝えておいて。鍵は渡しておこうか?」
彼女はこくりと頷くと、銀煉に促されて席に座った。温かい朝食が、二人分ほわほわと湯気を上げていた。
「——いただきます」
数学の問題演習に低く唸りながら鉛筆を転がしていると、玄関が開いた。これ幸いと銀煉は身体を起こす。
いつまでも
「おかえりー。どうだった?」
「いいよって」
「良かった。怒られたりしなかった?」
「うん」
銀煉は微笑んで立ち上がると、彼女を街に連れ出した。
「行きつけの喫茶店があるんだ。なんか美味しいの食べよう?」
どれでもいいというので、銀煉はチョコレートパフェを頼んだ。
「甘い……」
「そりゃあ、パフェなんだから。美味しい?」
「うん」
彼女は微笑んで頷いた。髪の毛がそれに合わせてぽわぽわ揺れる。
可愛いな。妹みたいだ。
「妹さんですか?」
顔見知りの店員が笑いかけてくる。
「いえ。友達です。僕、一人っ子で」
「いいですね。……それ、実は蜂蜜かけるともっと美味しいんですよ」
へぇ。銀煉は蜂蜜と書かれた瓶を手に取って、アイスの上にかけた。
「あ、美味しい!」
要る?
——要る。
ああ、楽しいな。
「ご馳走様でした」
代金を置くと、先程とは別の店員が訊いてきた。
「彼女さんですか?」
「ち、違います!」
銀煉は店の外で待っていた少女と合流する。
「ごめん、お待たせ」
「ううん。……奢りでいいの?」
「いいよ。何かしたい事、ある?」
彼女は少し首を傾げ、首を振った。
「じゃあ、帰ろうか」
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