第4話 超兵器バーストエンジン
コウは軍服の階級章を少尉に付け替え、軍官学校を出て旅立った。
だがその旅はわずか一分で終わった。
軍官学校の庁舎を出た新任「特務研修隊」計七名は久留米駐屯地の営門を出ることなく、同じ敷地内にある真新しい庁舎に入り、着任したのだ。
部隊の性質も任務も、その日初めて説明を受けた。
極東人民軍は来年度から強化歩兵部隊の運用実験を開始する。それに合わせて部隊の指揮官となる 要員を育成しなければならない。そこで、初任将校の中でもっとも優秀なコウたちが選ばれたということらしい。
なぜ倭人から選ぶ必要があったのか、という疑問が全員の中にわいた。
単に優秀という括りであることには異存はない。ここにいる初任将校全員が我こそはトップエリートなりと自負している。だが、この国の制度上、重要な地位に着くのは華人が優先されるはずだ。
教場で説明を受ける際、コウが率先してそこを質問した。
「その疑問はごもっともだ。我々は単に優秀な少尉ではなく、優秀な倭人少尉を求めていたからだ」
説明にあたっていたのはタキシマ博士という若い倭人科学者だった。本人の談ではサイバネティクスの専門で科学フリーク。だが、中等学校時代のコウはその名を知る機会があった。短期集中学習の教材を探すと必ずと言っていいほど博士の名が出てくる。共産党大学首席卒業、二十代で科学省審議官に抜擢された異例の天才。
「強化歩兵というのは他国ではサイボーグと呼ばれる者のことだ。世界的には、サイボーグとは肉体の欠けた機能を電子機器や機械の力で補って活動する人を指す。もちろん未だ技術として未完成で、我々と同じ日常生活を送れるサイボーグは世界中どこでも実現していない」
サイボーグ、コウにとっては聞き覚えのある単語だったが、それは父が日本から密輸したビデオという、公にできないものだ。
「訓練や任務中の事故で手足を失った兵士、心肺機能に欠陥を生じた者、生まれつきの肉体疾患、それらは身体障害者と呼ばれ、使い捨ての人材として国定の労働報酬すら与えられず酷使されてきた。彼らにチャンスを与えられるとしたら、我々の努力と研鑽が築き上げたサイバネティクス技術しかない」
おそろしく早口での演説が数分続いた後、いくつかの実例を紹介された。
人間の肉体と全く同じ動きを実現した義肢に始まり、三百六十度回転する手首や高速で走る為の義足、二メートルまで伸縮する腕など、実際に動いている映像も見せられた。
驚いたのは、臓器を機械に置き換えることが可能と言われたことだった。人工の心臓や腎臓、肝臓もすでに実用化が始まっているという。
脳以外の全てを機械の肉体に置き換えた例も複数ある。順調に普及した場合、事故や災害による負傷を恐れる必要がなくなる。
「ここからが本題だ。我々は軍事用サイボーグの開発を進めている。手足が強力な武器になり、撃たれても叩かれても落ちても死なない鋼の肉体だ。手術を受けられるのは兵下士官階級だから、ほぼ倭人に限られる。それを指揮するため倭人の君たちが選ばれた」
博士の夢物語はさらに続いた。
指揮官たる将校は体内に特殊な装置を埋め込む。それによってサイボーグ化された兵士に直接指令を送る。また戦闘を補助するため意思や感覚を共有することも可能となる。
さらに指揮官の生存性を向上するため、サイボーグ化なしで同等の能力を身につけることができるという。
初任将校たちは一ヶ月間かけて技術教育を受けた。
彼らに与えられる装置の名は「バーストエンジン」と名付けられていた。最初の模擬装置を使用した際、装着者の五感が爆発的に拡大したことに由来する。また本装置により指揮命令が音より早く、やはり爆発的に伝播するという意味も併せ持っている。
模擬装置は宇宙服の船外活動ユニットとよく似ていて、まるで玉座を背負っているかのように重たい。同じ機能を持ったまま体内に埋め込むほど小型化できるとは信じられなかった。
バーストエンジンが持つ個人戦闘機能を生み出すのが「エーテルコア」の役割だ。空間から集めた素粒子を核として物質を生成することができる。
これらの装置に対する入力は脳から直接行う方式のため、一つひとつの機能を動作させるだけでも数日を要した。人間の脳は個人差があり、動作、思考、感情、いずれにおいてもわずかに違う部位を使うからだ。
一ヶ月の初期教育が終わるとインプラント手術を受けた。一日目に三人、二日目に四人と振り分け、それぞれが同時進行の大手術だ。外科医が十数名、技師が数名、広い手術室を駆け回っていたという。開腹し腰椎まで達するので全身麻酔で行われた。
コウは二日目だったので、初日に手術の様子を見学することができたが、同期の腹の中を見るのは気持ちのいいことではなかった。そのため大まかな様子を眺めるに留めていた。
術後は数日間身動きが取れなかった。痛みではない。筋肉が思うように動かないのだ。ものの例えではなく、上体を起こしたり寝返りを打つといった動作すら行えなくなっていた。
外科手術後というのはそういうものらしく、当初から看護兵や従兵があてがわれていた。
食事と排泄はチューブ越しのため世話の必要がない。しかし汗もかくし寝たきりで身体が痛くもなる。看護兵の存在は大いに助かった。
一週間後からリハビリを兼ねて訓練が始まった。
模擬バーストエンジンで行ったこととほとんど同じカリキュラムだ。身体の外側に装甲を形成したり、身体機能を強化したりを繰り返す。サイボーグ兵に見立てたコンピューター端末に指令を送ると画面に結果が表示される。
大きな違いは重い模擬装置を背負っていないことだったが、激しく動くと術後の痛みがぶり返してくるため、初めはその有難みがわからなかった。
その上身体機能の強化というのがまた曲者だ。飛び跳ねたり走ったりすることは上手くなるが、やった分だけ疲労が溜まるし悪ければ怪我をする。
定期検査の際、コウはそれらのことをタキシマ博士に相談してみた。
博士は大笑いして、誰一人気づかなかったのか、と言った。
「身体機能強化を筋肉だけに使ったら回復も追いつかないし、手術の傷も開きかねないよ。その力を臓器や脳に回して、成長ホルモンの分泌や肝機能も強化してやればいいんだ」
大脳視床下部や肝臓を強化するべし、と言われても容易ではない。訓練時間外も医学書を片手に体内を駆け巡るエーテル粒子と格闘した。
数日を費やしてようやく健康問題は解決したが、バーストエンジンを使って行うことは確実に増えていった。
外出に羽織ものが欠かせなくなってきた頃、訓練と実験が滞り始めた。
エーテルコアの働きにより、物質の生成がほぼ無限にできるはずだったが、身体を覆う装甲で精一杯。
肉体を強化し超人的な能力を得られるはずだったが、少し優れたアスリート程度にしか向上しない。
サイボーグ兵との通信機能は端末に文字を表示することしかできない。
確かに一ヶ月で成長は見られた。博士も評価していた。
問題は軍が期待していた成果に届かないという点だ。
着隊から二ヶ月が経過した日、将校たち七名は無期限の待機を命じられた。
「全員事故で死んだって聞いたから来てみたんだが、驚いたなぁ」
研修隊の宿舎を訪れた軍曹が言った。
軍官学校でコウたち候補生を苛烈に鍛え上げた倭人の鬼軍曹その人だ。
「昨日事故の通知が流れて来たんだよ。で、さっき庁舎の方に顔出したら、詳しいことは言えないから帰ってくれってよ。さすがに手ぶらで帰るのもなんだし、宿舎に来たら誰か事情知ってる奴がいるだろうと思って、こっそり見に来たところだったんだ」
そうしたら死んだはずの少尉が談話室に集まってぼんやりしていたのだという。
軍曹も驚いただろうが、話を聞いた少尉たちも驚かされた。自分たちが死人だったとは知る由もない。
しかしいかな理由があれど、人民軍が所属する将校を「死んだことにする」など聞いたことがない。よもや本当に抹殺されるのではと、コウは背筋が寒くなった。
軍曹は談話室のソファに座りながら聞いてきた。
「エーテルコアとかいう器材の廃棄申請が出てるんだ。数は七個。それはどこにあるんだ?」
そう言われて思い当たるのは一ヶ月前のインプラント手術だった。
「……我々の腹の中です。体内に埋め込んで、神経と癒着してるはずです」
コウが答えると、軍曹はまた顔を歪めて声を張り上げた。
「なんだそれは! 研修隊ってのは何の研修をしてたんだ?」
その驚きはもっともだった。
コウが説明した。タキシマ博士が研究しているサイバネティクス技術と、軍が採用予定のサイボーグ兵、そしてそれを将校が指揮するためのバーストエンジンとエーテルコア、それらを使った訓練まで。
柔らかいソファに身体を沈ませたまま、軍曹は腕を組んで考え込んでいた。何かを思いついてはまた逡巡する、といった様子が表情から見てとれる。
「……これは最悪の場合の話だが、軍はお前たちを処分して、失敗を隠蔽するつもりかもな。あくまでも状況証拠からの推察でしかないが」
誰かのため息が談話室に響き渡る。
「現に書類上、お前たちはもう事故で死んでるから、どこにも配置換えのしようがない。もっと穏便に済ませる方法はあったと思う。だけどどこかの馬鹿が判断を急いだんだな」
軍曹の言葉を聞きながらコウが思い浮かべたのはユイの顔だった。恋人と呼べるかもわからない関係で、もう一年以上も会っていない。
次にユキが浮かんだ。
道を誤ったのはどこからだろう。軍官学校を程々の成績で卒業していればよかったか。あるいは中等学校を出て田舎の工場で働いていればよかったか。あの日ユイの誘惑に負けていなければ。父を失ったあと気遣ってくれたユキに意地を張らなければ。
「……お前たち、家や友達を捨てる覚悟はあるか?」
軍曹の声は落ち着いていた。軍人にあるまじき提案をしているのだと気づかせないほどに冷淡だった。
「軍を脱走すれば、家には帰れない。家族もどうなるかわからない。割のいい職には二度とつけない。だけど、海沿いの漁港にたどり着けば漁師の手伝いで食っていくことはできる。国に足取りを追われずに働ける職はいくつかあるが、漁師が代表的だ」
周りを見渡すと、仲間は真剣に考えているようだった。現実問題として、脱走という手は妥当だ。だが、天秤にかけるのが自分の命と家族や親しいものの命となると、迷う者もあるだろう。
コウはどうかといえば、母が家に残っている。自分が脱走することで母は追及を受けるだろう。
「お前たちのうち五人は親が健在だな」
軍曹の言葉に皆が注目した。
「もし決断するなら、俺が親に伝える。その後の世話まで上手くいくとは限らないが、少なくとも、猶予ができるはずだ。その他に無事を伝えたい者がいれば、今のうちに申し出てくれ」
それが後押しになり、全員が脱走を決意した。
ユイのことばかりは気がかりだったが、脱走を伝えるわけにはいかない。政治将校を目指す彼女にとって現状を知ることは重荷にしかならないからだ。コウは少尉任官後に事故で死んだ、そう思っていてくれた方がいい。
「大変だったのでしょう? 人民軍の施設と聞くと、わたくし、監視が厳しそうなイメージを持ってしまうのですけれど」
澄華が背中越しに尋ねてきた。
午前の業務である書類作成がほとんど終わり、ファイルに綴じたそれを棚に納めているところだった。
コウは喋りながらの作業ということもあり、あまり手が進んでいない。もっとも、書類仕事はゆっくりでよい、と部署の長である広瀬真由美から言われているので、支障が出るようなことはない。
向かいに座っているユキは険しい顔になっていた。が、コウが見ていることに気づくと、眉間の緊張を解いた。
コウによる思い出話には、ユイのエピソードが時折混ざってしまう。名前を出さずともユキには伝わる。ユキが姉に対して複雑な感情を今も抱き続けている。それをコウもわかっているから、いくら気を使っても足りない。
迂闊だったかもしれないと思いフォローを入れようと口を開いた瞬間ユキは首を振り、ごくごく小さな声で「大丈夫だよ」と言った。
表情も和らいだままだ。
安堵しつつ振り返って澄華を見ると、ちょうど机に向かって歩いてくるところだった。
先の質問に答える形で思い出話に戻ることにする。
「ええと、監視ですよね。厳しいといえば厳しいかもしれません。軍の施設ですから。ただ、脱走ルートはすぐ決まりました。一年以上もそこで過ごしていたわけですから」
普段なら正門から堂々と出られた。軍服を着用し身分証明書を携帯した将校の出入りは自由だからだ。
だが、今の身分で正門を通れるとは思えない。隣にはこれまで勤務してきた庁舎があるから、監視されているだろう。
可能性があるならば、宿舎からほど近い「獣道」だ。
宿舎脇にある細い通路を渡って植え込みに身を隠し、外柵の下の隙間を通って外に出るのだ。外出に制限のある候補生たちはこの道から抜け出して外で買い食いをする。コウたちも何度も通ったことがあり、目隠しをしてもたどり着ける。
日が沈む頃には、脱走がグループとしての総意となっていた。もちろん葛藤を抱えた者もあったかもしれない。前向きに意見を出す者もいれば、黙ったままの者もいた。強いていえばコウも後者だ。
まず、母を残して姿を消すことになる。隣家には何も知らないユキがいる。
最も気がかりだったことが、ユイの今後だ。コウとの関わりが彼女の将来に影を落とすことになるかもしれない。脱走そのものへの関与をも疑われるかもしれない。
それら懸念を押しのけても、この場からは逃れなければならない。生き延びてこそ未来を気に病むことができる。
「見つかったらどうする?」と口にした者がいた。
これは、誰かが囮になって他の者を逃がすか、という議論だ。
コウも一旦母やナルミ姉妹のことは棚に上げて議論に参加することにした。
「バーストエンジンの力を使えば、逃げ切れるんじゃないかな。足も速いし、装甲化すれば銃弾だって防げるはずだ」
皆が納得した。
少尉たちはもはや普通の人間ではないのだから、逃げに徹する方が確実性が上がる。姑息な手は必要ないのだ。
消灯直前に「作戦」は始まった。
閉門されると、駐屯地内、特に外柵に監視の目が向いてしまうからだ。そのため警衛部隊が油断する時間帯を選んだ。
服装も暗い色合いの私服に着替えた。
宿舎から出ると柵内道路が見えた。ところどころが水銀灯に照らされているが、暗い部分を素早く移動すれば目立たないだろう。
道路の幅は五メートルほどで、それを渡ると同じく五メートルほどの草地、その先に目指す植え込みがある。
白壁の宿舎付近に長居することは避けたい。
「最初から全力で行くぞ」
メンバーの一人がぽつりと言った。
バーストエンジンを起動する。脳からの指令で動くこの機械は、念を送るように下腹に力を込めると動作を始める。
作業機械やコンピューターのように目に見えるインターフェースというものがないため、訓練を重ねて得た「勘」に頼ることにはなるが、慣れるとこれ以上に素直な機械もない。
下腹部が熱くなった。
先頭の一人が一度振り返ってから走り出した。加減速によるロスを含んでも、植え込みまでは三秒。
次々と走り出す。コウも走った。
植え込みの周りに七人が集まると目立つので、素早く伏せる。それでもわずかな灯りが芝生と人間の濃淡を際立たせる。
「庁舎方面に人影なし」
最後尾が後方警戒しながら報告する。
すでに二人目までが「獣道」を抜け終わっている。
コウの順番もすぐだった。
外に出るとすぐ前が一般道になっている。腰をかがめたまま、向かいの住宅街に向かって駆け抜けた。
息切れもなく道路を渡り終え、住宅の塀に張り付くようにしゃがみこんで揃うのを待つ。
あっという間に外に出た。慣れた道だから成功したのだ。
全員が住宅街に集まったので、移動することにした。
ここからはいつも通り。つまり、いかにも一般人民のような顔をして道路を堂々と歩いて駅に向かうのだ。
今いる小道は袋小路になっている。しばらくの間は駐屯地に沿って歩かなくてはならない。
大きな安堵と少しばかりの緊張感を抱いたまま七人が道路に戻ろうとした時、大型車のようなエンジン音が近づいてきた。
物流車両だろうと思って立ち止まった一行の前に、一台のトラックが急停止した。
人民軍のウラル軍用トラックだ。
助手席からはヘルメットを被った兵士がこちらを睨んでいて、荷台の方からはガチャガチャと物音が聴こえる。
「逃げろ!」
後ろから誰かが叫んだ。
荷台から降りたらしい数名の兵士が姿を現す。全員戦闘服姿で自動小銃を持っている。
コウの脳裏には一瞬迷いが生じた。逃げるか投降するかではない。逃げるか正面突破するかだ。
バーストエンジンによる身体強化を用いれば、兵士数名を倒して突破することができるはず。ただし小銃弾を防ぐことまではできないから、撃たれる前にこちらから襲いかかる必要がある。
だが自然と体は反転を選んだ。
振り向いて走り出す。身体強化を心肺と下半身に集中させる。
目の前には住宅の塀が見えた。
撃たれる前にその向こうに飛び込めば安全を確保できる。あとは体力の限りを尽くして逃げるだけだ。
塀の高さは一メートル半。楽に飛び越えることができる。
走りながら跳躍したコウの耳に、パーンと破裂音が響いた。聞き慣れた小銃の発砲音だとすぐにわかった。
塀を飛び越え、着地と同時に前転しながら衝撃を逃がす。その勢いで立ち上がってまた走り出す。
他のメンバーがどうなっているか、もうわからない。
捕まりそうになったらバラバラに逃げるよう話し合ったから、今は速度を緩めないことが正解だ。
走りながら考える。
住宅街で撃ってきたことから、軍が彼らを通常の脱柵とは考えていないことがわかる。脱柵なら身柄を拘束して部隊に連れ帰り処罰すれば済むからだ。
つまりコウたちは、周辺に被害を出してでも殺害するべき人間として扱われている。戦場における敵兵そのものだ。
そう考えると、やはり反転して逃げ出したのは間違いだった。
トラックから降りてきた兵士は十人にも満たなかった。白兵戦なら容易に制圧できたはずだ。
人民軍兵士は仲間だから傷つけたくない。そういうコウの思いは甘すぎたのかもしれない。
気づくといくつかの住宅の敷地を抜け、また別の道路に出ていた。
「止まれ!」
その怒声に、コウは無意識に立ち止まってしまった。
余計な考え事をしてしまったが故の油断だった。
振り向くと一人の兵士が小銃を向けている。
睨み合いになった。兵士は撃ってこない。銃を肩付けしようともせず、胸の高さに構えている。
この兵士は人を撃つことに躊躇いがあるのだ。
今なら制圧できるかもしれないと考え、コウは一息に距離を詰めた。
胡乱に掲げられた小銃を掴んで銃口を逸らし、顎に向けて軽く掌打を放つ。できるだけ重い怪我をさせたくないが故の安全策だ。
だがそんな安全策など無意味だった。手加減をしていたにもかかわらず、相手の首はカクンと軽く後ろに折れ曲がった。まるで首から上を失ったように見える。意思を失った肉体はその場に崩れ落ちた。
ただの一撃で兵士は死んだ。
コウの全身を震えが襲う。
戦場では簡単に人が死ぬ。そう習ってはきたし、自分もまさにその現場に立つべき人間なのだと理解していたつもりだった。
だが、それは武器を使った殺し合いという、戦場での有り様として学んだはずだった。自分が武器を使わずに人を殺せる存在になったつもりはなかった。
後ろから足音が聴こえる。
人が集まって来ているのかもしれない。夜とはいえ、市街地で発砲騒ぎになっているのだ。野次馬が集まっても不思議ではない。
振り向くと、そこにいるのは別の兵士だった。
小銃を持っていない。ということはこの兵士は殺す必要がない。早く逃げなければ。
そう考えながら立ちすくむコウの目の前で、兵士はその姿形を変化させ始めた。
最初に肩幅が広がり、戦闘服が破れた。そのまま胸板も厚くなり、身長も伸び始める。
わずかな時間で兵士は三メートルはあろうかという巨体になった。タキシマ博士が言っていたサイボーグ兵だろうか。
サイボーグはまとわりついた戦闘服の破片をつまんで捨てた。
全身が黒く、凹凸だらけの装甲になっている。甲殻類の外骨格のようだ。頭だけが変わっておらず、もとが人間の兵士であったことを思わせる。
咄嗟に身体が動いた。迷ってはいられない。手加減も許されない。サイボーグに向かって駆け出したコウは全力で拳を叩き込む。
拳は当然のように甲殻に阻まれた。
痛む拳頭を抑えながら、敵の下半身に向け前蹴りを放つ。踵を叩き込めば多少揺るがせることならできるかもしれない。
それも無駄だった。
身体強化したコウの蹴りでも、バランスを崩させることすらできなかった。
力が足りていないのか、それとも一般兵の首を折った感触が力を奪っているのか。
「無駄だ、諦めろ」
サイボーグが言った。スピーカーを通したような機械的な声だった。
「まだ残ってたのか」
その声とともに、もう一体が角から姿を現した。同じ姿のサイボーグだ。
新たに現れた方は片手に何かをぶら下げている。
「他は全員仕留めたぞ」
そう言いながら新たなサイボーグは持っていたそれを掲げてみせた。
ともに脱走した少尉の一人だった。肌が黒く染まり、腹部からは腸が飛び出し垂れ下がっている。
「待ってろ、今終わらせる」
先にいた方のサイボーグが言い、コウに迫った。
腕をヒョイと振り回し、殴りつけてくる。
ギリギリでかわせると思ったが、肩を引っ掛けられた。
投げ飛ばされるような格好で近くの壁に叩きつけられる。
背中一面に衝撃を受け、口から何かが飛び出す。地面に散らばったのが血だとわかるのに数秒を要した。
「こっちの少尉は頑丈だな」
大きな手がコウの頭を掴む。
脳が揺さぶられる衝撃の中、幼い頃に見た景色が脳裏をよぎった。
ユキが隣にいる。夕日が差し込む部屋の中で一緒にテレビを見ていた時の光景。テレビに映っていたのは父の書斎にあったビデオの一場面。父が日本から密輸したビデオで、異形の英雄が人智を超えた怪物と戦うものだ。
英雄の姿は今も思い出せる。全身を白で装い、ヘルメットのような仮面を被っていた。体内に埋め込まれた装置で敵に幻を見せ戦うのだ。
頭が締め付けられる。
サイボーグはコウの頭を砕いて殺害するつもりなのだ。
こういう時、彼ならどう戦うだろう。意思の力で武器を作り出すこともできたはずだ。その姿を思い浮かべると、自分にもできそうな気がした。武器があれば状況が変わるはずだ。
今のような至近距離ならばナイフが役に立つだろうか。二十センチほどのサバイバルナイフを思い浮かべる。敵の腕には装甲の隙間が見えるから、そこを一突きすれば……
気づくと、右手に何かが握られていた。
今思い浮かべたナイフだと察したコウは、それを強く握りしめ、サイボーグの腕に突き立てた。
手が開き、頭が解放される。サイボーグは自分の慢心を悟ったのか後ずさりする。
「何をした!」
ナイフは消えていた。敵の腕にも刺さっていないし、コウの手にも握られていない。文字通り雲散霧消した。
ただ、敵の腕からは粘り気のある黒い液体が流血のように垂れていた。
ようやく理解した。
自分にもできそう、ではない。できるのだ。彼と同じように戦うことができる。
痛みが和らいでいく。頭蓋骨にヒビが入ってもおかしくない力で掴まれていたのだが、バーストエンジンが細胞を修復している。
背中や胸、肩の痛みももう消えた。
次にやることもわかっている。あるべき姿へと変わる時が来たのだ。いつか夢に見た、純白の勇者。
下腹部から湧き上がるエネルギーの奔流がコウの全身を白い光で包み込みはじめた。
彼の動きを、言葉をなぞる。あの時の言葉を。
右の手刀を突き出し、手首を返して顔の前で外側に向かって円を描く。
この動きが何かを生むわけではない。彼の真似に過ぎない。
だが、これは儀式なのだ。人でありながら人を超えた英雄となるための。この身に神を降ろす招魂の祭祀なのだ。
「——変身——」
エーテルコアがもたらした粒子の渦が、バーストエンジンに導かれてコウの肉体を白く装っていく。
いつもは透き通っている装甲も今は純白のプレートに変わっている。肩、胸、腰を覆い尽くした粒子は顔を取り巻きはじめ、次第に硬い仮面へと成長した。
記憶の中にある英雄。コウは今まさに彼自身と一つになった。
「その姿はなんだ!ふざけているのか!」
サイボーグが激昂している。
だがその声には焦りが多分に含まれていた。
稲妻が走り、その後にブン! と衝撃音が鳴った。サイボーグの腕が振り下ろされたのだ。
当たればコンクリートでも打ち砕くであろう拳の一撃。それは空振りだった。
異形の腕が変身したコウの身体をすり抜けていく。
勢い余ってバランスを崩す敵の姿を、コウは後ろから見ていた。
避けたのではない。そもそもサイボーグが襲いかかったコウは幻だ。
バーストエンジンの機能は遺憾なく発揮されている。
身体強化だけではない。サイボーグとの連携機能によりその意識までもが伝わってくる。為す術ない戸惑いがまるで自分の気持ちのようだ。
だが優越感はない。
早く終わらせなければ。その一心から、敵の背中に拳を叩き込む。
全力の一撃だった。
体内に深く刺さった腕を引き抜くと、敵の巨体は仁王立ちのまま二度と動くことはなかった。
振り返りもう一体のサイボーグに狙いを定める。
あもう一人はあまりの驚きに身動きが取れなくなっているらしい。もの言わぬその姿から震駭の思いが伝わってくる。
合わせて五体のサイボーグ兵を殺害した。
後から来た三体も、コウの姿と仲間の亡骸に驚き攻めあぐねているうちにその命を終えた。
これらの技術を生み出したタキシマ博士は「バーストエンジンの力を最大限に発揮しても、指揮官は戦闘力ではサイボーグに劣る」と言っていた。
つまりコウは計画を超えた何らかの異常な力を手にしたのだ。
今の姿が理由なのかもしれない。意思の力で物質を生み出すという装置に対して、常人を超えた思念が注ぎ込まれた結果ということか。
昂りが静まってくるにしたがい、下腹部の熱も冷めてきた。
変身が解けていく。
掌を掲げてみると、指先まで白く覆っていた膜の様なものが薄れていくのがわかる。
肩や胸の装甲も消え、締め付けるような感触から解放された。
その時、背後に新たな気配を感じ、コウは慌てて振り返った。
今からではバーストエンジンの再起動が間に合わない。敵であるなら、生身のままできる限り善戦を尽くし、それから逃亡を図るしかない。
だが、そこにいたのはサイボーグでも一般兵でもない。新たに現れた人影の正体はぼろ着を纏った若い女だった。
顔は倭人のように見える。身につけている服は着古した作業服か何かだが、髪は短く艶がある。髪の手入れを怠らない階層の人間が着る服装ではない。
女はコウをじっと見つめている。
物音を聞きつけてやってきたのなら、サイボーグとの戦いも見ていただろう。もちろん、コウの姿が変化するところも。
それらを見ていながら物怖じする様子もない。
つまり、まともな生活を送る一般人民ではないのだ。
最悪の場合この女も殺す必要がある。そう考えると緊張が走った。
「待って、私は敵じゃないわ!」
女が強い口調で言った。
コウの殺気を感じ取ったのだろう。だが警戒を解くわけにはいかない。
距離を保ったまま、女が喋り続ける。
「私は日本政府から派遣されてきた調査官よ。あなたは?」
すぐには言葉を返せなかった。
日帝のスパイが人民軍の拠点近くに潜伏していて、脱走兵の自分に接触してきた。そんなでき過ぎた話があるだろうか。
だが女の口調はコウたちのような訛りがなく、まるで幼い日に見たビデオの登場人物を思わせた。
この女が味方になるのか、敵になるのか、それはわからない。
迂闊に信じるべきではないが、目的は探っておかなければならないだろう。
「極東人民軍少尉、シンザキ・コウ」
端的に名乗る。
女が微笑んだ。
「人体を改造して、戦闘に特化した超人を作り上げるプロジェクト、私たちはそれを察知して見張っていたの。あなたたち新任将校が選ばれたことも、漏れてくる情報からわかってた。なぜ味方同士で戦っていたの?」
コウは今一度、足元に転がるサイボーグ兵の亡骸を見た。
計画が上手く進んでいれば、彼らは味方のはずだった。コウの部下になる者もいたかもしれない。
「脱走したんです。僕たちは失敗作だったようで、処分されるところでした」
だが生き延びた。
仲間がどうなったのかわからない。先程のサイボーグ兵の言葉をそのまま受け取るなら、一人残らず捕まったか死んだのだろう。
「あなたが望むなら、日本政府はあなたを保護します。その力を貸してくれることと引き換えに、だけど」
日帝の武力になれというのか。しかし、もし本当に日本に渡って逃げ延びられるなら、それもいいかもしれない。軍曹が言ったように片田舎の漁村で隠れて暮らすより希望を持てる。
「もうひとつ、さっきの姿についても聞かせて。あなたの戦闘形態。まるで映画のスーパーヒーローみたいだった。なんて言う名前なの?」
「……あれは……」
その答えは簡単だった。
ずっと夢に見ていた姿。
人々の自由と平和のために戦う勇者。
「——ファントムナイト」
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