幻影戦士ファントムナイト

中條かなる

第1話 激写! 純白のスーパーヒーロー

 小さな50ccエンジンの叫びが限界を告げている。両膝の間から伝わる振動が一際大きくなり、ハンドルを握る広瀬真理の脳裏を焦りが駆け抜けた。

 アクセルを少しだけ緩める。足元から響く機械音と振動が和らぎ、排気音に混じる甲高い金属音が薄れた。

 都内の道路の流れは決して高速ではないのだが、原付バイクにはこれでも負担が大きい。

 乗り始めて十年も経つだろうか。真理が高校生の頃に原付免許取得祝いとして親族にもらった、ヤマハの原付オフロードバイク。

 中型二輪免許を取得した後も離れがたく、エンジン改造に加えて黄色ナンバーに変えて乗り続けている。

 学生時代の青春を共にし、週刊誌記者として働くようになってからも取材活動の相棒だ。そして今も全速力で現場に向かっている。

 昼食を終えて編集部に戻った直後、新宿五丁目付近で原因不明の爆発があったという報せを受け、愛車に飛び乗って今に至る。熱心な読者の中にはこうしたタレコミの電話をよこす者がいるのだ。

 靖国通りを西へ直進、これまで十五分ほど走ってきた。

 パトカーや消防車らしきサイレンは聴こえてくるが、緊急車両の姿は見えない。タレコミの場所が間違っていたかと案じたが、今しばらく走ってみることにした。


 現場に着いた真理が驚いたのが、何度か仕事で訪れたことのある出版社ビルが騒ぎの舞台になっていた。

 はじめに靖国通りと明治通りの交差点に止まっている機動隊の輸送バスと消防ポンプ車を見つけた。

 バイクを押しながら消防隊員の横を通った時、消防隊員が口にしたビル名に心当たりがあった。その場を離れて地図を開いたが、間違いはなかったので、徒歩で近づくことにした。

 機動隊に封鎖されている正面を避け、隣のビルから裏手に回り込んで、開いていた窓から忍び込むことに成功したのだ。

 なるほど避難は終わっているのだろう、在館者の姿はない。しかし、レスキュー隊員や警察官の姿もない。

 無人の出版社ビルの廊下を音を立てないよう小走りに駆け抜ける。

 歩きやすいはずのスニーカーは床との相性かベタベタと鳴りがちで、踵を浮かせなければならない。安全のために着ているナイロンのライディングジャケットも衣擦れがうるさい。そしてジーンズは生地が硬い。こんな空き巣のような真似をする格好ではないが、そもそも空き巣のような真似をするつもりできたわけでもないから仕方ない。

 角ごとに一息つきながら、真理は建物の奥から響く謎の破壊音に耳をすませた。金属を叩いたり、コンクリートか何かが割れる音がずっと聞こえ続けている。時折ガラスが割れていることもわかる。真理が思い浮かべたのは鉄パイプを振り回して暴れる過激派だった。

 タレコミでは「爆発があった」とのことだが、今こうして暴れ続けている何者かの存在を知ってしまうと、爆発については疑わしくなる。

 本当のところ、真理はこれがただの事故やテロでないことを薄々わかっていた。同様の「事件」が相次いでいるからだ。連続爆破テロだと報道されているが、目撃者を探しても見当たらないか、その場にいたはずの人物に声をかけても取材を拒否される。

 ここ数週間は不思議なことに、必ず避難と封鎖が完了してから爆発なり火災が起こっている。つまり避難を始めるような前兆現象が起こり、その後に災害に発展していることがわかる。

 初期は政治家や官僚、会社経営者などの犠牲があったが、最近は誰も命を落としていない。

 外国のテロリストと警察がドンパチやってるのかもな、と上司が語っていたのを思い出す。

 運良く潜入できたが、この先命を落とすのは自分かもしれない。実際のところ想像できない。

 危機感を持てよ、とも上司は言っていた。

 例えば真理が潜入工作員に射殺されるような事があったら、事故死として闇に葬られるのだろうか。または、テロの犠牲者として政治的に利用されるのだろうか。

 ぼんやりと考え込んでしまった彼女を正気に戻したのは、近づいてくる破壊音だった。コンクリートが割れるような音と、パラパラと破片が落ちる音が大きくなってくる。

 足元が揺れ始めた。

 爆弾かもしれないと焦り引き返そうとした時、目の前で何かが弾けた。

 思わず顔の前に腕を上げたが、そこに重い塊が打ち付ける。思いのほか大きな衝撃に身をよじる。勢いは止まらず後方にもんどり打って、背中から壁に叩きつけられた。

 目の奥が、胸が、背筋が疼く。

 自分が上を向いているのか下を向いているのかわからない。怪我をしたのか、そもそも生きているのかすら。

 真っ白に染まった視界のどこかに人の声が響く。

「……人間を見つけた、捕獲する」

 そう聞こえた。日本語だ。そう思ったものの、何だか曖昧で自信がなくなった。現実感がない。

 圧迫感。

 モヤの中に影が浮かび上がった。

 人の形だ。

 意識がハッキリしてくるに従い、それが実際に人であり、真理に向かって歩いて来ているのがわかった。

 潜入工作員、テロリスト、過激派、予想していたどの姿とも大きく違った。

身の丈は3メートルもあるだろうか。決して狭くないはずの通路を埋め尽くすような巨体が、僅かに身をかがめる様に歩いてくる。天井が低いのだろう。

 近づくにつれて姿がよく見えるようになった。

 鎧武者だ。正確には、大河ドラマで見た鎧武者をカリカチュアライズしたポップアートか何かのようだ。室町時代だとか、鎌倉時代の甲冑を身につけているようなシルエットだが、色も質感も日本の鎧というわけではない。硬そうな艶があり、炭色で表面に葉脈のような筋が走っている。

 思ったよりガチャガチャ音は鳴らないんだな、とボンヤリ思いながら見上げると、その巨体は間近に立ち止まった。

 これから拉致されるのかも、という想像が浮かんだ。ようやく自分が受けるであろう被害というのが想像できた。

 ここ数十年の間、外国の工作員に連れ去られたとされる市民は多い。労働力にされるのだという説もあり、慰みものになるのだという説もある。人体実験に使われるのだとも聞く。だが、それらの国々が暴力的な独裁国家だったとして、同じ人間にそんな真似をするものだろうか。

 真理は床に投げ出された身体をゆっくりと起こした。背中を打ち付けたから危険だとは思ったが、動かせるなら逃げ出したい。

 鎧武者が手を伸ばしてきた。

 硬直。逃げるどころか身構えることすら叶わない。

 その時、新たな声が廊下に響き渡った。

「その人に触れるな!」

 男の声。これも日本語だ。

 鎧武者の動きが止まる。

 タンッタンッタンッ、と硬くも軽い足音が迫る。

 硬直が解けた真理は足音の源に振り向いた。

 鎧武者とは違う、白く輝く細身の何者かが廊下を駆けてくる。

 純白の人影としか形容できない。人かどうかもわからない。だが、筋肉質な男の体付きだと思った。先の声と照らしても、きっと若い男に違いない。もし人間なのであれば、の話だが。

 白い影は手を突き出しながら鎧武者に突進する。

 鎧武者が弾き飛ばされると同時に、鋭い衝撃波が真理の肉体をも突き抜けた気がした。カンフー映画というか、マンガやアニメの演出のようだ。

 飛ばされた鎧武者は廊下の奥の方に転がったいった。壁や天井が割れている。

「動けますか? 動けるなら起き上がってください!」

 それが自分に向けられた声だと察するまで、わずかに時間を要した。

 慌てて立ち上がる。まだ心身の動揺が収まっていないため、咄嗟に返事もできない。

 歩き出そうとすると左くるぶしの辺りに激しい痛みが走った。思わず床に膝をつく。

 白い影は真理の上体を抱き抱えるように支える。

「無理はしなくていいですよ。こっちの部屋の窓際にゆっくり進んで、少し待っていてください」

 やはり男で、年齢も若いのだとわかる。優しい声だが、喋り方は何となく硬いような気がした。まるで日本語の上手な外国人のようだ。

 白い影……純白を纏った男は真理の肩を支え、近くの部屋の中に進ませる。ちゃんと実体ある人間なのだ。姿をよく見たいがそれどころではない。

 男は真理が部屋の内側に入るなり、すうっと離れていった。

 左足首は捻ったのだろう。素早く動いたりはできないが、爪先を軽くつける歩き方ならできる。幸い部屋の中には机が並び、体重を預けられる場所も多い。

 部屋は埃が舞っている上、何箇所かは天井ボードが落ちている。しかし窓から差し込む光で広く照らされているため躓いたり滑ったりするおそれはない。

 甲高い雄叫びが背後に響き、驚いた真理は首を竦めたが、歩みを止める訳にはいかない。

 安物のスピーカーを通したような声だ。先程の鎧武者だろうか。怪物然としているのは外観だけではないのだ。

 部屋を揺るがす低い衝突音に思わず振り返ると、廊下側の壁にヒビが入っていた。

 争っているのだ。それも、壁が砕けるほど激しく。

 できる限り離れようと歩みを速める。

 窓に近づくとそこはビルの正面側で、外には新宿の街並みが広がっていた。

 確か三階にいたはずだと考えながら外を見下ろすと、ビルを封鎖している警官たちがこちらを見上げていた。

 誰かが救助に来るのだろうか? そうすると、あの純白の男は警察の一員だったりするのだろうか。

 廊下の方からはずっとガチャガチャガラガラと何かのぶつかり合う音が聞こえていたが、唐突な衝撃音を最後に静まった。金属のドアか何かをバットで叩いたかのような音。壁のヒビが大きく広がり……崩れた。

 壁に開いた大穴の向こうには純白の男が立っている。

 明かりに照らし出されたその表面はプラスチックのような艶を帯びているのがわかる。昔の特撮テレビドラマで見かけたような、身体に密着したタイツやラバースーツだろうか。子供の頃、近所の男の子たちが夢中になっていたスーパーヒーローみたいだ。

 顔はフルフェイスヘルメットのような仮面を被っている。目元はゴーグルのようだ。目尻が高く精悍に見える。角のように尖っている部分があったり、口元と思われる部分に段々模様が浮かんでいたり、本当に特撮ヒーローとしか思えない。

 テレビと違うのは、ぼんやりとした輝きに包まれている点だ。彼の身体が光っているというよりは、光がまとわりついているように感じられる。

 男は穴を抜けて部屋に入ってきた。

「お待たせしました。逃げましょう」

 さっきより落ち着いた喋り方だが、やはり訛りがあるようだ。その訛りは真理の記憶にはない。

 外から警官隊に見守られている窓を男が開け放つと、一気に風が吹き抜ける。足りなかった酸素が補われたようで、あの怪物と出会う前程度には頭が冴えてきた。

 純白の男は何も言わずに真理を抱え上げた。いわゆる「お姫様抱っこ」だ。足を抱えられたと感じる間もなかったことに驚いた。

「目を閉じていてください」

 そう言うなり、二人の身体は窓の外に飛び出していた。空の光に目がくらみ、慌ててぎゅっと瞼を閉じる。

 この男は身を屈める動作すらないままジャンプし、そう広くもない窓を通り抜けたのだ。少なくとも真理の腰の高さほどはあった窓なのに。

「目を開けていいですよ」

 男の声に恐る恐る目を開くと、手の届くような位置に警官隊が見えた。

 地上に降りていたのだ。いつ着地したのかわからなかった。三階の窓から宙に舞ったはずなのに、衝撃もなく地上に降り立ったのだ。

 やはり人間ではないのだろうか。鎧武者の怪物ともども別の星から来たと言われても納得してしまう。

 足先が、続いて腰がフワリと地面に下ろされる。アスファルトの冷たさがジーンズ越しに伝わってくる。足を傷めたことを覚えていて座らせてくれたのか。

 次の瞬間、真理は黒づくめの男たちに囲まれた。警官隊ではなく、その後ろから黒い影の集団が現れたのだ。

 乱暴な手つきで抱え起こされる。足の痛みを訴える間もないまま、真理の身体は引き立てられ、黒いワンボックスカーに押し込められた。


 あれほどの異常事態に遭遇したにも関わらず、連れて行かれた場所は四谷警察署だった。アメリカのドラマだとFBIの秘密施設に連行されて放射線や感染症の検査を受けたりするのだろう。宇宙人に出会ったのだから記憶を消されたりするかもしれない。

 同年輩と思しき婦人警官に足首の手当を受けたあと、取調室に案内されたが、そこに現れたのはこちらも同年輩に見える若い男。

 ややこしい事になった……と目の前が暗くなる思いでパイプ椅子に腰を下ろしたのだった。

 


「それで素直に帰って来たんじゃシロートと同じなんだよ……」

 編集部に帰り着いた真理がこれまでの事情を話すと、編集長が唸るように漏らした。

「事件現場に忍び込みました、変なバケモンに出くわして、怪我をして、警察に保護されましたって、まるきり夢か妄想じゃねぇか。仮にもメディア人として、記録に残せるものがないと今日一日遊んでたのと変わらないんだよ」

 時刻は20時を回ったところだ。

 編集部は日が沈んでから仕事が始まる傾向があり、当の編集長も昼に出勤してくる癖があったが、この日は皆が仕事を止めて真理の帰りを待っていた。

 編集長が真理の横に椅子を引き寄せて真理の話を聞き始めたため、手空きの幾人かが面白がって二人を囲うように集まってきたのだ。

「それで、黒いバケモンか白いバケモンか知らんが、写真でも撮ったのか?」

 もちろん皆が待っていたのは真理の体験談などではなく、成果物だ。

 真理は無言で頷いた。

 ライディングジャケットからマイクロカセットレコーダーを取り出し、編集長に手渡す。編集長がテープを巻き戻す傍ら、ショルダーバッグから厚みのある封筒を引っ張り出した。

「さっき言った取調室の録音か。よくバレなかったな」

「東新宿一帯が大混乱でしたから、警察署も電話がひっきりなしで、身体検査もありませんでした。でも写真はいいとこ三枚って感じですね」

 封筒の厚みは十数枚の写真によるものだ。ほとんどがビルの外観や路地裏、動きながら勝手にシャッターが落ちたようなブレブレの写真など、使えないものばかりだったが、そのうち三枚は真理が見たものをそれなりに捉えていた。警察署を出たあとこれの現像を待ったために、二時間ほど余分にかかってしまったのだ。

「確かに特撮ヒーローみたいなシルエットですね。最近アニメファンの間で流行ってるコスチューム・プレイってやつですか」

 編集長の後ろから覗き込んだ若手記者がつぶやいた。

「テレビのヒーロー番組か? じゃあこいつは、流行りのオタク族とやらがやってる余興かもしれんのか?」

「そうですね。白い全身タイツなんてパーティーグッズで売ってますし、仮面だって段ボールとか粘土で作れますし。それにコイツ、昔テレビで見たことあるデザインしてますよ。ボク写真探してみます」

 若手記者は部屋の外に駆け出していった。特撮ヒーローとの類似性は真理もわかってはいたが、細かいデザインについては知識がない。それに、粘土や段ボールで作ったようには見えなかった。

 編集長は写真を真理の手に戻した。

「カメラとテープを忘れなかった気合は悪くない。だがこれだけだと使えねぇな。この素材が生きてくるのは白いやつの正体と、警察が口止めする理由を突き止めてからだ。しばらく追いかけてみろ」

「わかりました」

 神妙な面持ちで頷く。

 四谷警察署で真理が受けたのは「取り調べ」ではなく「説明」だった。

 若い男は警察庁の職員で片岡と名乗った。

 今回の事件において真理は当該ビルを訪問していて巻き込まれた被害者で、決して重要な目撃者ではないこと、現場で何を目撃したにせよ他言無用であることを簡潔に伝えられた。つまり早期に避難していたから、黒い鎧武者にも白いヒーローにも関わってはいなかったことにしろというわけだ。

 効いたのは彼が真理の職業や出身地などを調べ終わっていたことと、秘密漏洩があった場合破壊活動防止法に基づく監視を家族ぐるみ受けるという脅しであった。

 早逝した両親や、援助を惜しんだ薄情な親族はともかく、姉には迷惑をかけたくない。姉は真理の学費を工面するために自衛隊に入り、近年ようやく退官して民間の興信所に勤めるようになったのだ。自衛隊時代はかなり自由を制限されたと聞き及んでいるし、今の生活を奪うわけにはいかない。

 とはいえ、その流れを全て編集部で暴露しているのだから台無しといえば台無しではある。記者として勤めてきた年月によるものか、真理は秘密にされた部分こそ興味を抱く人種になっている妙な自負があった。

 バタバタとサンダルを鳴らして若手記者が戻ってきた。

「資料借りてきました!」

 右手に子供向けの特撮図鑑らしきものを持っている。

 今この時間に仕事をしているのは漫画雑誌の編集部と真理たち週刊誌だけで、子供向け雑誌などの部門はもぬけの殻になっている。おそらく鍵がかかっていない編集部から無断で拝借してきたのだろう。

「ボクもテレビっ子でしたから、二歳とか三歳の頃からずっとテレビ見てたみたいなんです。本当に小さい頃だとストーリーなんかわからないのに映像だけ憶えてたり。あとはテレビで見てなくても、こういう図鑑を見て知ったりしますね」

 少年時代の記憶というのは確かにいつまでも残ることがある。

 記者がパラパラとページをめくる手を止めた。

「これじゃないですか?」

 差し出されたページを覗き込むと、空手か拳法のようなポーズをとる白い特撮ヒーローの姿があった。

『幻影戦士ファントムナイト』という名前で始まる解説。

 確かに似てはいるようだ。だが比べたくとも、本物の「白い影」のディテールを思い出せない以上比較のしようがない。写真の画質とてシルエットと色がようやく判る程度に過ぎない。

 次に「白い影」に会える日は来るのだろうか。もし彼がテレビ番組のようなスーパーヒーローなら、こちらが生命の危機に陥って初めて現れるのだ。

 真理は椅子に座りこみ脱力した。目を閉じて現場の風景を思い浮かべているうちに、バイクを出版社ビル前の歩道に置いたままだということも思い出した。

 


 改めて訪れると、事件現場となった出版社ビルは半壊しており、昨日真理が脱出した時とは様子が一変していた。

 あの後どれほど激しい戦いが繰り広げられたのか、察するに余りある光景。

 現場を見返してみるなどとんでもない。昨日真理がいた部屋は崩落して跡形もないのだ。

 当然立ち入り規制も厳しくなっている。取り囲む機動隊の人数も増え、建物のすぐ脇には自衛隊の装甲車も止まっている。

 だが現場が大仰になるほど野次馬も増えるもので、真理が様子をうかがう隙も増えるものだ。

 痛む左足を引きずって歩き回り、機動隊員の前ではあるが堂々とビルの崩落跡や破片などを観察できた。

 あとは昨日通った裏口を観察できれば申し分ない。

 真理は例によって隣のビルに入った。


 隣は保険会社や警備会社が入居する雑居ビルで、人気のない守衛室の前を通れば裏口に抜けられる。

 この勝手口を実際に使う社員や業者はいない。今日も誰にも会うことなく素通りできた。

 裏手には物干し台とエアコンの室外機以外何もない。ビルの空調がこんなところにぽつんとあるはずもないので、守衛室のエアコンだろう。

 ここからつながる狭い通路を抜ければ当の出版社ビルの一角が見える。

 今日は忍び込む訳ではない。建物が半壊している完全な災害現場だ。命がいくつあっても足りない。

 ポケットカメラを取り出し、通路の写真を一枚、ビルの崩れていない面を一枚ずつ撮っておく。

 手のひらに収まるカメラのシャッターはカチリと小さな音を立てて切れる。昨日の格闘戦の最中に写真を押さえられたのはこのカメラのお陰だが、画質の悪さもその性能に由来する。110フィルムという、親指の爪ほどのサイズに一枚の画像が記録される代物だ。熟練のカメラマンやスパイならこのカメラを使いこなすのだろうが。

 通路の突き当たりには窓があった。

 昨日はこの窓から忍び込み、館内の非常階段を登って三階に上がったのだ。今はとてもできそうにない。

 窓のさらに上の壁面を見上げる。

 何ヶ所かの壁が剥がれ落ちているし、そうでない部分もヒビだらけだ。

 この先で得るものはない。真理は潔く引き返した。


 災害現場らしい写真が足りていないことに気づき、正面側に回り込むことにした。

 雑居ビルの玄関を出ると野次馬の群れが目に入る。

 この野次馬に紛れてできる限り近づこう。

 真理は野次馬をかき分けてバリケードの前まで進んだ。

 痛ましい姿の出版社ビルにレンズを向け、一枚。

 ビルを囲む機動隊の列を一枚。

 アングルを変えて撮るべく、交差点の方まで歩みを進める。

 ふと、ビルの方から視線を感じた気がして立ち止まった。

 警官はいちいち野次馬の顔を見たりしない。現場にいる誰かに見られたのだ。

 機動隊員の肩越しにビル前の広場を見渡す。

 視線の源はすぐにわかった。

 昨日真理を保護した黒い戦闘服の男たちがいたのだ。

 そのうち一人、細身の青年が真理をじっと直視している。

 顔見知りを見つけたような、敵意のない瞳だ。

 野球帽のようなキャップを被り、黒いオーバージャケットに黒いカーゴパンツ、足元は布と皮革の編み上げブーツ。警察にこんな制服があるのだろうか。特殊部隊があると聞いたことはあるが、彼らがそうなのだろうか。

 しかしただひとり真理を見つめている青年から、機動隊員のような尖った精悍さは感じられない。鍛え抜かれた逞しさは見て取れる。彼の姿勢のよさがそう感じさせるのだろう。まるで軍隊のエリート将校のようだ。

 どことなく戦闘服が合っていないように見えたが、しばらく観察しているうちに、真理は違和感の正体に気づいた。

 その青年は警官や自衛官にしては髪が長いのだ。キャップからはみ出した髪を耳の後にかきあげているが、うなじを覆うほどの長さがあるし、前髪も顔に垂れている。

 安っぽい戦争映画で軍人役を演じる若手俳優みたいだ。

 思わず、真理は青年に向かって大きく右手を振った。頭上でブンブンと、こちらも見ていると気づいてもらえるように。心当たりもない相手だが、反応を窺いたいという衝動が勝った。

 バリケード付きの警官が慌てたように一歩前に出てきた。

「関係者の方ですか?」

 そう訊かれてしまうと答えようがない。

 どうあがいても関係者ではないし、唯一の関わりといえば、昨日事件の最中にこのビルに忍び込んで戦闘に巻き込まれたことなので説明ができない。

「あの、取材に来たんですけど、許可証忘れちゃって」

 咄嗟の嘘があまりにも幼稚なのは真理自身わかっている。

 警官は一瞬呆気に取られた顔をしたが、妙に生真面目な顔つきになるや否や、確認を取りますのでお待ちください、と言い残して手近のパトカーへと歩き去った。

 余計なことを言ってしまったことはすぐにわかった。この場に残っても立ち去ってもバツが悪い。問い合わせなどされても困るのだ。

 被害を極限するにはやはり立ち去るしかない。

 警官がパトカーから戻ってくるのが見えたが、その場を離れるべく野次馬の群れに潜り込もうとした。

 その時、バリケードの内側から声をかけられた。

「昨日の方ですよね? お怪我は大丈夫でしたか?」

 はいごめんなさい! と返して人垣に身を潜めようとして、聞き覚えのある声であることに気がついた。

 バリケードを跨いで、先程の戦闘服の青年が近づいてきた。

「無事でよかった」

 純白の男だ。

 ビルの中で出会ったあの白いスーパーヒーローが発していた声だ。

 服装が違いすぎるため、背格好や仕草が同じかどうかわからない。だが、日本語の達者な外国人という印象の喋り方があまりにも特徴的だった。

 あの白いタイツのような格好はやはり兵士が戦うためのプロテクターのようなものなのだろう。

 警察か自衛隊か、それとも何か秘密組織のようなものがあるのか。とにかく彼はそういった立場で、日本を守るためにあの奇抜なスーツを身につけて戦っているのだ。

 とっさに、思い出した名を告げてみた。

「……ファントムナイト!」

 青年が固まる。その顔にはこれ以上ないほどわかりやすく不安の色を浮かべている。

「あなた、ファントムナイトよね?」

 頓狂な声になっていたかもしれない、と思いつつ、真理は興奮を抑えられなかった。

 悪の怪物と戦う純白の戦士。そんなものが実在するのを目の当たりにしてしまったのは事実だし、何より今は本人が目の前にいるのだ。

 そして興奮もそのままに、人垣の中から伸びてきた腕に抱えられ、真理は引きずられるように自動車の中に押し込められた。

 昨日保護された時と同じワンボックスだった。

 


「広瀬さん、昨日は事件に巻き込まれた市民という立場で扱いましたけど、今日は違いますよ」

 パイプ椅子に拘束された真理に、警察庁の男、片岡が見下ろしながら告げた。

 連れてこられた場所はどうやら四谷警察署ではないようだ。

 車両に乗せられた直後に手錠をかけられ、目隠しまでされた。せめて西に向かったか東に向かったか程度は確かめたかったが、東新宿を何度もグルグル回っているのに気づいたあたりで真理の心が折れた。有無を言わせぬ手際の良さだ。

 今いる場所は薄暗く湿っぽい、倉庫のような場所だ。

「……はい、煮るなり焼くなり好きにしてください……」

 目隠しと手錠は外されたが、今はパイプ椅子に両手を回した状態で固定されている。手首を紐か何かで括られていることはわかる。

 政府機関の人間たちなら即座に殺しはしないだろうと踏んで、出方をうかがうことにした。

「とって食いはしませんが、今日はあなたに伝えることがあります」

 男は昨日よりも冷たい声でそこまで言い切ると、向かって左にサッと身を翻した。足をスライドさせるような動きで「右向け右」を行ったのだ。踵同士のぶつかる音がカツーンと響き渡る。

 その向き直った先には、ビジネススーツに身を包んだ長身の女が立っていた。

 男が一礼する。

 素早く答礼した女が、真理の方を向く。

 その女の顔を見た真理は文字通り椅子ごと飛び上がった。

「お、お姉ちゃん……?」

 自衛隊を退官後興信所で働いているはずの姉、広瀬真由美がそこに立っていたのだ。

「……お姉ちゃん、なんでこんなとこにいるの?」

 真由美がしゃがみこみ、真理と目線を合わせる。

「驚かせてごめんなさい真理……これが私の仕事、国防に関わる危機を未然に防ぐための人的諜報活動なの」

 真由美が微笑む。

 三十路を迎えたばかりの割には少々小じわが目立つ。化粧気がないことも手伝って、老け込んで見えた。

 思えば苦労をかけさせた。真理のために進学も諦め働き続け、突然自衛官になると言いだした。危険だしイメージも悪い、嫁のもらい手がなくなるからと引き止めたが、将来のためだからと家を出ていった。真理が大学に入った年だった。

 そんな姉が諜報活動と言ったか?

「スパイとか、そういうことやってるの?」

 姉は軽く笑みを浮かべる。だが、その眉尻の下がり方を見ると、幼い頃に悪戯で困らせた時を思い出す。

 姉がまだ公務員であるなら、真理の行動によって今後が左右されてしまうこともあるのではないか。

「……もしかしてアタシやらかした? お姉ちゃんの立場が悪くなったりする!?」

 自分の取材が反政府活動と受け取られてしまうと、姉が職を失ってしまうのではないかと思い至ったのだ。知識の乏しい真理にとってさえ、そのような連想が成り立った。

 どうやらその反応は真由美には予想外だったようで、少し慌てた表情になった。

「やだ、別に私たちのところはそんな血も涙もない組織じゃないわよ!」

 慌てながら、変わらず笑みを浮かべている。

 その口元から伝わってくる暖かさに真理は安堵した。

 真由美は腰を伸ばし、一歩退る。

「真理、いえ『週刊スラッシュ』記者、広瀬真理さん、今後は内閣情報調査室外部協力者として広報活動に従事してもらいます」

 姿勢を正した真由美の口から出た言葉は、真理の胸に不安をかき立てた。

「広報活動って、政府の御用記者になれってこと?」

 真由美は軽く首を振った。

「政府として命令はしません。あなたを育て上げた肉親として、恩を着せてるだけよ」

 言いながらも、笑みは崩さなかった。

「まいったなぁ……その顔で言われたら断れないよ」

 逡巡。

 御用記者でもなんでも構わない。今後の人生で記者として血肉になる経験を得られるだろう。別に正義感に従って仕事をしているわけでもない。

 だがせっかくならもう一つ何かを掴みたい。

 自分にできること、やるべきことがあるはず。

 思い浮かんだのは、先程現場で声をかけてきたあの青年だった。純白の英雄として戦っていた若者。自分が見たいのは彼の姿だ。何を思って、何を願ってあの黒い怪物に立ち向かっていくのか。

 椅子に縛られたまま、真理は姿勢を背筋を伸ばした。

「広報任務お受けします。お姉ちゃんの役に立てるなら、むしろ汚い仕事でもなんでも引き受ける。……でも一つ、妹として甘えさせてもらうなら……あの白タイツの彼の密着取材、許可してもらえるよね?」

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