lord of the princess -ガラスの令嬢-

「待ってくれ! せめて名前だけでも教えてくれ!」


 光沢のある白い服を着た男、ルーウェルの伸ばした手がネックレスを掴み取る。ガラス組紐を力強く引っ張ったことで紐が切れ、美しいガラス細工と鮮血が宙を舞う。時計の針は夜の十二時を指し示し、鐘の音が鳴り響く。淡い水色のドレスの裾を持ち上げ、会場の大ホールから煌びやかな王城の階段を駆け降りていく勢いは脱兎の如く。

 

「待たなくてもいいわ。そのまま行きなさい」

 

 振り返ることもなく走り去るその背中はどんどんと小さくなる。きっとその背中までエリザベールがかけた言葉は届かないだろう。それでも王女としての威厳に満ちた声で送り出す。


「――衛兵たちに伝えなさい。あの方の帰りを邪魔するのは第一王女である私、エリザベールが許しません、と」


 そしてエリザベールは周りの者には邪魔をしないように指示を出す。舞踏会はすでにお開きムードだ。取り繕うことなく粛々と、騒ぎを大きくしないように人を動かしていく。当然、第一王子であるルーウェルはそれが面白くなく彼女に噛みついていく。


「なぜだ! なぜ彼女を追わせない! 答えろエリザベール!」

「なぜ? なぜってお兄様は本気で言っていらっしゃるの? ――ルーウェルお兄様、婚約者の皆さんを放っておいてどのこ馬の骨ともわからぬ他の方を呼び止めるなんて不誠実じゃありませんこと? 私は王族として、お兄様には誠意ある王になられることを望んでいるだけですわ」


 ルーウェルからの招待で舞踏会に集まっていた貴族たちの興味は第一王女と第一王子のやりとりへと移り変わる。王子が執着していた令嬢は逃げ去り、すぐに状況が変わることもないだろう。素性のわからぬ紛れ込んでいた令嬢だったが、それも王子は承知の上で、十二時という舞踏会の終了時刻を超えるタイミングで体面を保ちながらダンスに誘ったのだ。もはやこの新しい嫁選びのための舞踏会に意味はない。


「ふん、オレが王位に着くのを邪魔したいだけだろ」

「そうですわね。第一王子という地位をそこまで汚されるお兄様には敬服いたしますわ」

 

 ここディズドス王国での王位はカリスマ性によって決まる。兄であるルーウェルは女性を侍らせることでそれをアピールしており、今宵の舞踏会でも新たな側室候補を見つけて唾をつけようとしていたところをエリザベールが邪魔をした。


「エリザベール様ももっと女性としてお淑やかに振舞えば騎士団なりの後ろ盾も得られたものを……」

「兄であるルーウェル殿下がアレですからな。致し方あるまい」


 エリザベールは愛想がよくない。男性からの支持は薄く聞こえてくる言葉はその通りだった。一方、彼の行っているハーレム計画は世間体の悪さは今だけだ。多くの美しい女性が虜になるという、目に見える魅力としてハーレムが機能しだせば王位に着くのはルーウェルで決まり。そもそも実務能力に関してもエリザベールよりも評価が高く、問題なのは性格だけと言われている。


「まあいい。――あの令嬢を探せ! 何でもいい! 情報を持っているものはいないか!」

「ルーウェルさまぁ~」

「エクレシア、何か知っているのか!?」


 桃色の髪をした女性、エクレシアが微笑みを携えてルーウェルに駆け寄る。側室として婚約している令嬢の中でもカースト上位の娘だ。

 

「ルーウェルさまから逃げるような女、私たち側室に不要ですわぁ~。私たちはルーウェルさまを愛していますからぁ~、一緒にはやっていけないと思いますの~」

「安心しろ、彼女は正妻として婚約する。アウーラを側室に回すことでこれまで正妻候補だった彼女に嫉妬しないか心配していたが、彼女は私を愛してくれているし上手くやっていけそうだな」

「ル、ルーウェル様……私を捨てるのですか?」

「捨てるなんてとんでもない! アウーラ、君のことも愛している。けれど正妻は一人という国のルールがある。わかっておくれ」


 泣き崩れるアウーラを本人は誠心誠意で宥めようとしているが聞いていて不快なため周囲の貴族すらも眉間にしわを寄せる。下衆な会話を蔑んだ目でエリザベールも見ていたが、空から雨粒がポツリポツリと落ち始める。天気読みの正確さは流石で、雲の隙間から月明かりが照らされていたはずがすぐに土砂降りに変わった。


「もういいでしょう。アナ、いくわよ」

「はい、エリザベール様」


 エリザベールは舞踏会を後にした。そのことに彼女に対してさして興味のない貴族たちは気付かず、王位争いに花を咲かせる。といってもルーウェルにさらに気に入られるため、あの走り去った者の情報集めだが。


「いもしないシンデレーラを探しているといいわ」


 エリザベールがほくそ笑んでいることなど予想だにせず、王子を軽蔑しながらも貴族たちは夜遅くまで媚を売り続けた。


§


 今は亡き義父、サンドウッド辺境伯の邸宅で、王女の侍女であるアナスタシアが見せていた舞踏会の映像が終わる。

 

「以上がその後の様子です。それにしても完璧な振舞いでした。さすがリヨン様です」


 成果に満足しているのか、いつもは無表情に近い天望の魔女、アナスタシアがわずかにほほ笑んだ。きっと彼女の思惑通りに事が運んでいるのだろう。


「ありがとうございます。それであいつは……、艶美の魔女は動きを見せましたか?」

「いいえ、残念ながら。ルーウェル王子はあなたを探しているようですが彼女自身は静観を決めているようです」 


 王子たちがガラスの令嬢と呼んでいる令嬢は、僕、リヨン・サンドウッドだ。目が丸めの童顔で小さい頃は女の子に間違われた。母と義父が爆火災で他界し、サンドウッド辺境伯を継ぐことに――とならず……


 後見人となった王女、エリザベール様から淑女教育とともに美容の知識などを叩きこまれ……蜂蜜色のウィッグと化粧、そしてドレスを着れば王子にもバレないような、立派な令嬢に擬態できる美貌を手に入れていた。それは王子と繋がっているとされる艶美の魔女が美しいものが大好物だからだ。


「そう……ですか」

「艶美の魔女は必ず動きます。エリザベール様を信じてください」

「……わかり、ました。あの魔女を捕え、お義姉さまたちの眠りが解けるのなら……僕は――」


 今もガラスの棺で眠る義姉の二人を想いながら目を瞑り、心の薔薇園で花を愛でる。気持ちに余裕を、心に美しさを。気高い香りを身に纏わせ、意識を――シンデレーラへと切り替える。

 

「私は、エリザベール様が王位に着けるように協力いたしましょう」

 

 今の私なら女装せずとも口調と空気を変えれば錯覚をさせられる。彼女の目にはシンデレーラが見えたはずだ。


「……こほん。次の指示は追って連絡いたします。これからもよろしくお願いしますね」

「ええ、お待ちしておりますわ」


 馬車に乗り込んで館から離れていく天望の魔女を窓から見送り、私はしっかりと身嗜みを整え――本日の主賓を出迎える。


「あら? 今日は真っ赤なドレスなのね。もしかして私に合わせてくれたの? それに……そのガラスの靴もとっても素敵だわ。私のサイズで作ってもらえないかしら」

「お褒めにいただきありがとうございます。マチルダ様の瞳は引き込まれるような美しい赤ですので――私も赤の虜になってしまいましたわ」


 ドレスの裾を軽く摘まんでカーテシーを行う。目の前には美を追求したメリハリのある体のラインが際立つドレスを着た女性、マチルダがその赤い目をとろ~んとさせて私を愛でているようだった。


「まあまあまあ〜っ! 本当に所作まで美しいこと!」

「この国と引き換えにお義姉さまを助けてくれる約束、ちゃんと守ってく――うっ」

「シ・ン・デ・レ〜ラ〜?」


 首を絞められたような感覚に襲われ膝をつく。リヨンとしての感情が表に出てしまい、それがマチルダの気に障ったようだ。


「もう……しわけ、ありません」


 シンデレーラとして笑みを取り繕い謝罪を口にすると首元の圧迫感がスッと消え去った。彼女が醜いと思った者はその瞳に睨まれると自由が奪われる。魔眼、それが艶美の魔女のチカラだ。


「わかればいいの。あの二人が大切なら気をつけてね?」

「……はい。マチルダ様のご慈悲に感謝致します」


 ルーウェル王子に『美しい令嬢を映す鏡』を与え、エリザベール王女に僕を利用させ、王位争いを愉悦に浸りながら楽しんでいるこの女は、シンディーお義姉さまとレイラお義姉さまに眠りの呪いをかけて人質にしている。


「王子さまを焦らして射止めてネタバラシ。そして、あの劣った王女とあなたが結ばれる……と思わせて王子にあなたが迫るの。あのクソな王子様とバカな王女様、それに天気予報くらいしか役に立たないマヌケな天望の魔女はどんな反応をするのかしらね〜? 想像しただけでゾクゾクしちゃうわ〜」


 皆がガラスの令嬢を求め、真実を知り失望する。その全てを陥れて嘲笑い、天望の魔女が支配するこの国を乗っ取るのがこの魔女の企みだ。


「あなたがちゃんと私に尽くしてくれているのもわかあことだし、そろそろ帰るわ」

「でしたらこちらをお持ち帰りください。マチルダ様のために作らせたガラスの靴です」


 ラッピングした可愛らしい箱を差し出す。憎くても、今はこの魔女にも媚を売っておく。

 

「ふふ、私が求める物がわかるのかしら? ありがたくいただいてくわ。それじゃ、またね。私のシンデレーラ」


 魔女がサンドウッド領に広がる煤塵の森へと戻ったのを確認しウィッグを外す。女の子のような白髪の僕が窓ガラスに映った。


「私――、ううん、僕も利用させてもらうよ。王族も魔女も、こんなくだらないことに僕たち家族を巻き込んだ全てを――潰すために」


 カリスマ性、人を惹きつけるチカラで王位が決まるのなら王族である必要はない。プリンセス道を突き進み、艶美の魔女が描くフィナーレまでに男の娘でも美しく有能ならば国を任せてもよいと人々に思わせる。


 そして魔女の魔眼が効かないほど美しくなれば、あの魔女はただの女になるはずだ。


 ――義姉の二人を助け、玉座に座るのはこの僕だ。

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