第17話 レン、一歩踏み出す

 遅刻してきたレン君が堂々と教室に入ってきた。

 クラスメイト達がまるで猛獣の動向を見守るかのように静まり返っている。

 私はこのまま何も言わずに見送ることにした。


 このままレン君がやるべきことをやらずに着席するのであれば、きちんと指導するつもりだ。

 ところがレン君は私の前にやってきて直角に腰を曲げた。


「遅刻して悪かった」


 教室内が驚きの声とどよめきで満たされた。

 ひとまず第一段階はクリア、と言いたいところだけど。


「遅刻してすみませんでした、でしょ?」


 私が追い打ちのようなことをすると、またも教室中がざわつく。

 あのレンが謝ったんだぞなんて聞こえてきたけど、だからなにという感じだ。

 ここで私が謝れて偉いわねなんて言えば、それこそバカにしている。


「探索者をやっていれば人に迷惑をかけることもあるわ。その時に不躾な謝罪をしたところで逆効果になることもあるの」


 レン君は頭を下げたまま、表情を見せない。

 それともう一つ言いたいことがある。


「無断で欠席したことも謝りなさい」


 実はレン君の家に電話したんだけど、知らんと怒鳴られて切られた。

 どんな親なのかさっぱりわからないけど、ひとまず家庭環境については後回しだ。


「……無断欠席と遅刻をしてすみませんでした」


 レン君はハッキリとした声で謝った。

 どんな心境の変化かわからないけど、これは成長している証拠だと考えていいかな?


「頭を上げて自分の席に戻りなさい」


 これでレン君はけじめをつけた。

 私からこれ以上どうこう指導するつもりはない。

 ところがレン君は自分の席に戻ろうとせず、私を直視したまま動かなかった。


「どうしたの? 早く席につきなさい」

「休んでいる間、オレはケンカばっかしてた」

「は?」

「売ったケンカ、売られたケンカ……名のある不良に片っ端から挑んだ」


 今回ばかりはレン君の発言の意図が読めない。

 ただ冷やかしや冗談の類でないことは口調や姿勢、視線や呼吸なんかでわかる。

 私は黙って聞くことにした。


「県内最強チームの一角、愚礼斗の総長、地下格闘技大会二連覇の王者、暴火連合の幹部達……どれも現世代で最強の不良として名前の挙がる奴らばかりだ。オレはとにかく拳を振るった」

「……それで?」

「いいパンチを何発か貰っちまったし、どれもそこそこ歯ごたえはあった。だけど最後に立っていたのはオレだった。散々現役最強だとか持て囃されていた不良がオレの足元でうずくまっているんだ」

「そう……」


 口を挟みたかったけど、意味もなくこんな話はしないと思う。

 私から言わせれば誰が誰より強いだの、いつまでそんなことをやってるつもりという感じだ。

 それはそれで青春なんだけど、どこかで区切りをつけないと将来何の役にも立たない。


 社会人になってからケンカが強いですと自己紹介をしたところで、鼻で笑われる可能性すらある。

 探索者目線で見れば、ダンジョンスタイルやスキルがあるかどうかのほうが重要だ。

 なぜなら単純な強さだけで決まらないのが探索者界隈だから。


「どいつもこいつも……満たされなかった。怖いとすら思えなかった。マオ……先生、あんたやゴブリンからもらった一撃よりも響かなかった。満たされなかった……それどころか、乾きは増す一方だ」


 レン君が拳を握りしめてかすかに震わせていた。

 言わんとしていることはわかる。

 だけど私はその言葉を待つことにした。


「マオ先生、オレと勝負してくれ……ください」


 教室内がいよいよ騒がしくなった。

 あのレン君がまた頭を下げている。


「うまく言えねぇし、こんなのが正しいかはわかんねーけど……。オレの中で何かが晴れないんだ。モヤモヤした霧がかかってるっつうか……。だから一度、あんたと全力でぶつかりたい」


 レン君らしいというか、今までそういう生き方しかしてこなかったから他に方法を知らないんだろう。

 今のレン君が前に進むとしたら、それしかないのかもしれない。


「わかったわ。ホームルームが終わったら運動場に行きましょう」


 それから出席確認の際にもレン君はきちんと返事をした。

 自分より弱い相手としか戦ってこなかったレン君が、強い相手と戦って気づきを得たに違いない。

 早い話が身の程を知ったということかな。


* * *


 運動場で私は軽く準備運動をしていた。

 一方でレン君は自分の拳を見つめ続けている。


「どちらかが参ったといったら負け。もしくは私の独断で勝負を打ち切る。それでいいわね」

「あぁ……」


 レン君が拳を握りしめて、ファイティングポーズを取った。


「……いくぞコラァッ!」


 レン君が拳を放ってきた。

 心なしか、コブリン戦の時よりもかすかに鋭くなっている。

 軽く体をそらして回避すると、今度は回し蹴りを放ってきた。


「せぇいッ!」


 レン君の回し蹴りをかわすと、鼻先で空を切る。

 これも鋭い蹴りだ。確かにそこら辺の腕自慢じゃ相手にならない。

 せいぜい数発のうちに決着がつくほどの威力だ。


(たった数日でここまで自分を変えるなんてね)


 子どもの成長は早い。

 私なんかがあれこれ言わなくてもいいんじゃないかとたまに思う。

 よし、決めた。


「オラァァッ!」


――ゴッ!


 私はレン君の拳を顔面で受け止めた。


「……せ、先生?」

「当たったのかよ」


 生徒達が不安の声を上げているけど、一番驚いているのはレン君だ。

 拳を固定したまま微動だにしない。


「な、なんで……」

「かわしてばかりじゃ、今後あなたを指導する上での判断材料が少なくなる。より正確に実力を把握しておきたいわ」

「マオ……先生……」

「じゃ、覚悟はいい?」


 私も拳を握ってレン君の頬に軽くヒットさせた。

 それでもレン君の大きな体が浮くほどの衝撃で、地面に倒れてからはまったく動かない。


「……空が……回っている……」


 レン君が起き上がれないことを遠回しに言っている。

 私はレン君の隣に座って、空を見上げた。


「どう? モヤモヤは晴れた?」

「……わかんね。やっぱりオレはその辺をフラフラしてるのがお似合いだなって思っちまったよ」

「じゃあ、逃げるの?」


 レン君が頭を押さえながらも上半身を起こす。


「いや、歩ける」


 言葉通り、レン君は立ち上がって歩いた。

 それを見かねたアヤネさんだけが駆け寄ってレン君の腕を掴んで心配そうに見上げる。

 あの子も気づきを得て、なんて声をかけるんだろう?


「おかえり、レン」

「……おう」


 レン君が照れ臭そうに頬をかく。

 なんて声をかけるのか、難しく考える必要なんてなかった。

 今は戻ってきたことを素直に喜ぶだけでいい。


「レン! おかえりデス!」

「お前なら絶対来ると思ったぜ!」


 モノコさんとソウヤ君、そして他の生徒達がレン君に群がる。

 こうして見るとレン君はクラス内で恐怖政治をしていたのに、好かれているな。

 私はこの学校に来て間もないから、この子達の関係性なんかはまるでわからない。

 レン君、ああ見えて実は面倒見でもいいのかな?


「皆、教室に戻って授業をするわ。今日は次の実習に向けた基礎知識を習得してもらうわ」

「また実習かよ!」

「ソウヤ君、私は座学なんて半分くらい無駄だと思っているの。探索者は現場で覚えてなんぼよ。どこの世界でも経験に勝る武器なんてない」

「歌とダンスの練習しておくかぁ……」


 自分でダンジョンスタイルとスキルを磨こうとするなんて、思わず褒めたくなる。

 次は獰猛な獣系の魔物が徘徊する狼の森ダンジョン、下水ダンジョンからのステップアップとしては適切な場所だ。

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