第31話

 彼の中には、そういう出自は厭われるという思いが深く根付いているようだ。そしてその考えは、あながち間違いとも言えない。

 一部の階級の人間にとっては、まさしくその通りなのだ。優秀な平民出身の人間と養子縁組をする貴族もいるが、彼らが必ずしもそのような立場で扱ってもらえるとは限らない。血筋だけを重視するような、そんな考えに支配されている人間は確かにいる。

 しかも、ただ平民というだけでなく、貧民街育ちとなると更に倦厭される可能性は高い。近付くことすら嫌がる人はいるだろう。

 彼らが平民層の中でも虐げられていた姿を実際に見たことがある私には、自分の出自を気にする必要はない、などと簡単に口にすることは出来なかった。


「貴方は、それについてなんとも思われないのですか?」


 恐る恐るといった様子でセシルは尋ねてくる。


「噂で聞いていたもの」

「それは、あくまでも平民だということでしょう? 貧民だとなると、また話は違ってきます」

「それは――そうね」


 でも、彼がどのような出自であったとしても、それによって私の中での彼の評価が変わることはない。セシルはセシルだ。


「俺は、両親の顔も知りません。もしかしたら、この身体には咎人の血が流れているかもしれないのですよ?」

「私、かもしれない、で遠巻きにされてきたのよ。それから覚えているかしら? 私、そういう子たちを保護している場所でずっと働いているのだけど?」


 私の発言にセシルの瞳が揺れる。後ろめたさの浮かんでいた瞳に、戸惑いと、僅かな希望が浮かぶ。


「元々ルノー家は孤児院への支援をしてきていたから、両親だってそれを理由にあなたへの評価を変えることはないと思うわ。だからこそ、貴族の社会から距離を取るためにあそこで働くことを提案してくれたんだもの。私について調べたなら、それも知ってるでしょう?」

「……はい」


 実際にあの場に行って働く貴族など、それこそ罪を犯して修道院送りになった者くらいだ、という意識すらあるかもしれない。だから仮にも貴族の未婚の娘である私が、直接に孤児院に関わっていることに眉をひそめる者は多い。それこそ履いて捨てるほどいる。

 元々孤児院や貧民街への支援をしていた実家でさえ、年に数度、それもごく短時間の訪問をするだけだった。私自身も、多くの貴族層生まれの人間がそうであるように、あの事件の当事者になるまでは彼らに対してほぼ無関心だったのだ。


「私ね、貧民街出身だという子たちに、とてもお世話になった経験があるの。彼らはみんなとても優しくて、自分の中の正義に真っ直ぐな子たちだったわ。その時から、出身だけで人を判断するようなことはしないって心に誓ったの」


 セシルは、少しの間、また言葉を探すように沈黙し――そして、絞り出すような声を出した。


「申し訳ありません」

「え? なにが?」


 急な謝罪に驚いて聞き返す。どうしてそこで彼が謝るのだろうか。


「……レディ・ミアがそういう方だと知っていたからこそ、俺は……こんな俺でも、それなりの地位を手に入れられれば、貴方に結婚を申し込めるのではないかと……」

「どういう意味?」


 問い返すと、セシルはまっすぐ私を見た。彼は首を縦に振った。


「貴族の娘に求婚するのなら、貴族でなければいけない。そう教えられたんです。そして、平民が爵位を得るには、貴族の家に養子に入るか、もしくは武勲を立てて認められるしかないとも聞きました。だから、俺はずっと……この地位を得るためだけに、我武者羅にやってきました」

「じゃあ、セシルがその若さで騎士団の副団長という地位に上り詰めたのは――」

「貴方のためです、レディ・ミア」


 セシルが影で野心家と囁かれるほどストイックな身の振り方をしてきていた理由が、まさか私にあったとは。驚きすぎてぽかんと口が開いてしまう。 

 ――あんな噂持ちの私ならば、別に平民であっても結婚させてもらえた気もするけど。

 そんなことまで考えてしまう。


「貴方にふさわしいと思える自分になるため、ずっとそれを目的にやってきました」

「……まあ……」


 ただ、私に求婚するに相応しい地位を得る、それだけのために命を賭けて剣を振るってきたなんて。なんてことなの、と胸の内で呟いて、熱くなるそこを押さえる。


「貴族に求婚するには、貴族じゃなきゃいけないって、誰から聞いたの?」


 問い掛ければ、彼は懐かしそうな顔になって「自警団の団長です。俺たちの、育ての親になってくれた人です」と返ってくる。


「彼はトレフの実父で……俺はあの方の推薦で、騎士団の入団試験を受けることが出来たんです」


 ということは、トレフとセシルは義理の兄弟のようなものなのだろう。思いがけない絆を聞かされて、また驚く。


「――俺は、貴方との約束を果たすために、ずっと」

「? 約束って?」


 穏やかに、でも少し悲しそうに微笑んだセシルの顔に、あれ? と記憶の隅に引っ掛かりを感じた。けれど、それがなんだったのかを確かめることはできなかった。セシルはそれ以上その話を膨らませず、お皿の上の焼き菓子を指差した。


「その菓子は、レディ・ミアがお作りになったものだそうですね」

「そうよ。孤児院に持って行くの」


 頷くと、セシルは嬉しそうな表情になる。


「貴方とお話したあと、自室で持ち帰ってきた書類を片付けていたところ、ウルが茶と一緒に一切れ運んできました。珍しく強引に『今すぐ食べろ』と言われたので、その通りに口にしたところ――」


 そこで一度言葉を切り、彼は小さく肩を竦める。


「『それ、ミアさんの手作りだよ』と。……もっと早く教えてくれていたら、もっと大切に、ゆっくり味わって食べたのに」


 悔しそうに眉を下げるその様子に、思わず吹き出しそうになる。なんだか可愛い、と思って笑顔になる。


「そんな顔しなくてもまた作るわ。今度は孤児院への差し入れ用の残りじゃなくて、セシルのために」

「いえ、そんな! 貴方のお手を煩わせるわけにはいきません」

「食べてくれないの?」

「いえ、喜んでいただきます」


 からかうように問い返せば、勢いのいい返事が返ってくる。どっち? と笑った私に表情を緩めた彼は


「美味しかったです。とても。そのお礼を伝えたくて、そして夕刻のことを謝りたくて、来ました」


 ゆっくりと噛み締めるように、ありがとうございました、とセシルは言って。

 お礼を言うために、そして反省したことを伝えるために夜更けにここに来てくれたらしい。夕食の場では他の人がいるから恥ずかしかったのかしら? と思うとなんとも愛らしくて、そんな彼に胸の奥を甘くくすぐられた。

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