第21話
傷物と言われ、ずっと社交界から逃げていただけあって、私は男性とまともに接した経験がほとんどない。
子供の頃にどこかの素敵な方に初恋でもしていれば良かったのだけれど、そんなこともないままに15の頃婚約して、それから輿入れまでの3年間は他の男性と接することはほぼなかった。若さと家柄のバランスだけで決まった婚約中、処女性を重視されるこの国の慣例で他の男性と親しくすることなど許されていなかった。誤解を招くことすらしてはいけない、と言われたら、それこそ夜会で異性と話すことにすら慎重になる。
この10年でまともに会話したのは、身内か、実家の使用人たちか、司祭様か、孤児院の子供たちだけ。そんな私にとっては、恋愛なんて遠い世界の話、本の中の物語と変わらなかった。
若い頃に家同士の付き合いで婚約した元婚約者には、正直なところ恋をしていたわけではない。ただ、恋に憧れていた子供のような恋愛観のままあんな事件に巻き込まれて、噂に傷つけられ心を閉ざした私は、それ以来ずっと恋という感情から意図的に遠ざかっていた。
一時は、男性が一定の距離よりも近づくだけで、身体がこわばり、喉が詰まるような感覚に襲われたこともあった。指先が震え、鼓動が乱れ、それが恐怖からくる身体の反応だと知るまでにどれだけ時間がかかったか。そんな私に、周囲の人々は理解を示してくれた。
それに、決定的に男性に嫌悪を覚えるような経験は、幸いにしてなかったのだ。だから、今では男性が隣に立ってもすぐに逃げ出したくなるようなことはない。男性が至近距離にいることに対して過度な拒否反応は出ない。現に、ピッケともトレフとも、もちろんウルとも……セシルとも普通に会話出来ている。
――あの時、私を守ってくれた子がいたから、私は今もこうして笑えているのよね。
私が事件に巻き込まれた後もまともに生活できていたのは、あの時、同時期に攫われてきていた子たちのおかげだと思う。自分たちも怖かっただろうに、世間知らずのお嬢様だった私に、賊の怒りを買わないような振る舞い方をそっと教えてくれた。私にちょっかいを掛けようとしてきた男の前に立ち塞がって盾になってくれた子もいた。身を挺して、なんの縁もなかった私を守ろうとしてくれた。あの子の背中の温もりと震えを、私は今も忘れていない。
彼らがいなければ、私は完全に男性不信、男性恐怖症になっていただろう。私を庇うように立ったあの小さくて華奢な背中が、どれだけ頼もしかったことか。もし、あの子たちがいなかったら、私は男性という存在そのもの、いや他人のすべてに心を閉ざし、恐怖を乗り越えることもできなかったかもしれない。今ここにいなかったかもしれない。
彼らがいてくれたから、私は人を信じるという希望を失わずに済んだ。
――あの子たちは、今、元気にしているのかしら。
目を細め、ぼんやりとそんなことを思い出した。
「なにはともあれ、セシルから愛されていることを自覚したなら、これから関係も変わっていくんじゃないですか?」
ドアに向かいながらピッケは明るい声を出す。
「いい方向に行くことを、皆楽しみにしてますよ」
「う……ん、そうね」
内緒話をするような調子の声に、曖昧に微笑んで返し、部屋のドアをそっと閉めた。木製のドアに背中を預けて、深く息を吐く。静かな部屋で、自分の心音が聞こえてくるような感覚に陥る。
これは、形だけの夫婦というつもりでの結婚ではなかった。
セシルは、私自身を求めてくれていた。
何故? という疑問は消えていないけれど、でも、こんな私でも本気で妻として求めてくれていたのなら、とても嬉しい。
こんな私でも、傷を抱え、不器用で、まだ誰かを愛していると胸を張って言えない私でも、それでも妻にしたいと思ってくれたのなら。
私だって、セシルに対して拒む気持ちがあるわけじゃない。彼の言葉に、心が温かくなるのを感じた。これから彼をもっと知っていくうちに、もしかしたら恋という形であの人を好きになる日が待っているのかもしれない。
拗らせている、とピッケはセシルのことを笑っていたけれど、でも私はそれを笑えない。ある意味、私だって拗らせているのだ。
しかも私が普段接しているのは自分の感情に素直な孤児院の子供たちで、どうにも彼らを基準に考えてしまうところがある。
――私こそ、改めてちゃんと、セシルとのことを考えなきゃ。……ね。
はぁ、と溜息を吐いた私は、グラスに残ったワインを一気にあおってベッドにもぐりこんだ。
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